文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年12月21日】(前文に続く)
人を救う
刑務所から戻ってきた後、私は仕事に復帰しました。職場は私のことを受け入れたために大きな圧力を受けていましたが、経営陣や同僚の私に対する待遇はとても良く、何の困難も排除もなく、私は元のポジションで働き続けました。私の仕事の環境は非常にリラックスしており快適で、収入も悪くありませんでした。職場では、私は法を学ぶ時間が十分にありました。しかし私が迫害を受けていたこともあり、職場の上司には圧力があり、私と同じ事務所の誰かが私を見張り、その誰かに私の出勤状況を報告してほしい、ということでした。ですから、私は以前のように午後から真相を伝えるために出かけることはできなくなりました。このような状況下では、私の場合は法輪功の資料を配ることの方が適切であると思いました。
私は郊外に住む高齢の同修(以下、Cさん)に相談したところ、すぐに同意してくれました。Cさんは2人の孫娘と家にいるため、外に出て真相を伝えることができず、ずっと適切なプロジェクトを見つけることができませんでした。Cさんの同修の周りには年配の同修が多く、みな真相を伝えるために出かけ、資料を配っていませんでした。Cさんさんは資料を作りたかったのですが、誰も配ってくれなかったので、作っていませんでした。農村に住んでいた時は、専門に資料を作っていたので、私がCさんに教える必要はありませんでした。私たちはすぐに行動を開始しました。
私は資料を作った経験もなく、消耗品の買い方もわかりませんでした。私の家の近くには消耗品を扱う卸売市場があり、私は師父にご加持をお願いしながら一路買いに行きました。すぐにプリンターとインクを購入し、Cさんの家には紙がいくらかあり、まずは始めてみました。その時はすでに中共ウイルスの流行の時期に入っており、私たちは明慧ネットから中共ウイルスの流行に関する専門の情報をダウンロードしました。Aさんがしっかりと作業を終えた後、私はCさんのところから持ち帰り、二人で分けて別々に包装しました。Cさんはこの作業が好きで好きでたまらず、家の狭い部屋のあちこちに資料の山を作っていました。寝る時はいつも、スペースを空けておかなければ、横になって寝ることさえできませんでした。
秋から冬にかけてずっと、私たちは1万枚以上の資料を配りました。市内のすべての地区に私たちは一緒に行き、バスを使って遠くに行って配ることもよくありました。冬の夜は、気温がマイナス30度近くまで下がり、バスを待っている間、体は骨の髄まで凍りつき、足先は痛いほど冷たく感じましたが、私たちは心の底から幸せでした。私たちは師父が法を正すことをお手伝いする道を歩むことができていっそう喜び、法を正す時期の大法弟子であることを誇りに思い、万古の機会を逃さなかったことに感謝しました。
今年(訳注:2021年)の4月に、Cさんの家族に災難があり、農村の実家に帰らなければならず、資料の作成ができなくなり、どうすべきか相談し、私は「私は公安局の監視対象になっている重要人物であり、家族も私の状況から大きな圧力を受けており、現在私は働いており、家にいる時間は限られ、自分で資料を作ることはとても難しい」と、少し心配になりました。
師父は「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[2]と説かれました。迫害を受け続けるという考え方にとらわれてはならず、自分の行動の基点が法に則っている限り、道は開けてくることを私は知っていました。私はCさんのプリンターを3台とも自宅に持ち帰り、自分用にも新しいプリンターを購入して合計4台にし、自宅の空き部屋で資料の作成を始めました。包装作業は年配の同修が引き受けてくれ、私たちはとてもよく協力し合いました。Cさんが戻ってきてからは、私たちは以前と同じように全市の各地区を回って配布しました。
私たちは迫害前の時代に数量とスピードを求めるために安全に気を配らなかった教訓を生かしながら資料を作り、高品質なプリントを印刷するための機器の設定を行い、少し遅かったのですが、できあがった資料の文字ははっきりしており、色も鮮やかでした。機器に不具合があった場合は、常人が運営する修理センターに持ち込んで修理し、技術サポートの同修の負担を増やさず、また安全面でのリスクを減らすようにしました。
2019年以降、私たちの地区では再び大規模な連行が何度か発生し、多くの資料拠点が破壊され、一部の同修は情報源を失いました。年配の同修の中に年配の女性がおり、同じく大法弟子でした。年配の女性のところでは、年配の女性自身も含めて、資料を得る場所がありませんでした。私は6〜7人の同修のために資料を提供する仕事を引き受けました。その6〜7人の同修のために新経文や「明慧週刊」、真相小冊子、明慧の音声版の交流資料などを提供し、私は仕事の前後の時間をスケジュールでいっぱいに組みました。多少の忙しさはあったものの、焦る心を修めて取り除く過程の中で、すべてがとてもスムーズに整然と進みました。
最近、年配の同修が歩行が困難で修煉環境がない女性と会い、その女性は法輪功の資料を非常に必要としていました。年配の同修がこのことを私に伝えた後、私たちはこの女性の同修のために必要な資料を毎週提供することにしました。年配の同修は現在(訳注:2021年11月)とても大変で、資料を包装する以外に、毎週長時間バスに乗ってその女性の姉のところに資料を届けに行かなければならず、歩くのが困難な女性に資料を届けました。歩くのが困難な女性はとても安全に気を配り、私たちの修煉環境を維持するために最善を尽くし、あまりにも多くの同修が私たちのこの資料拠点を頼りにしていることを知った時は、善意で拒絶し、私たちが仕事に対する執着に振り回されて静かに法を学び着実修めることができなくなるのを防いだのです。私たちの資料拠点は明慧の 「資料拠点を津々浦々まで広める」という要求に厳密に従っていました。
正す
2020年には、全国各地でいわゆる「ゼロ行動」の妨害が起きました。ある日、街道(訳注:中国の行政単位の一つ)の警官から私に電話がかかってきて、私に警察署へ行って「三書」にサインさせようとし、さらに「サインすればネット上のブラックリストから名前を削除する」と言いました。私は「私の職場は忙しいので行きません」と言って電話を切りました。その警官は別の警察官を通じて公安局が私の連行に関わった時の「担当」の警官を見つけ出し、その「担当」の警官に私の「案件」を依頼したとは思いもよりませんでした。公安部の警官は、私が「転向」したら判決はなく、これからはしっかりとした態度で臨まないと大変なことになるので、すぐに警察署に協力してサインするようにと私を脅しました。
電話を置いた後、私は冷静に「もし常人の認識を越え、修煉の基準に基づけば、この問題にどう対処するか」と考えました。師父は「真相を伝えることは万能の鍵です」[3]、「あなたに恐れ有らば 它は直に抓む 念を正にすれば 悪は直に崩れる 修煉の人 法を持っており 正念を発すれば 爛鬼炸く 神が世に在りて 法を実証す」[4]と説かれました。私の心は明るくなり「そうです、私が行っていることは本当に良いことであり、 私は間違った道を歩んできたが、この機会にその道を正しく歩もう」と思いました。昔から今まで、すべての正法門の修煉の弟子たちは生死を放下するこの関を歩まなければならず、今日もこうして前に進み、師父が説かれた通りに行えば、結果はついてくるのでした。
私は1時間ほど正念を発し、携帯電話を手に取り、警察署の警官に「こんにちは、私は○○で、あなたからお電話をいただいた時は私は仕事が忙しかったので、話す態度が悪かったことをお許しください」と電話をかけました。警官は「他の用事はなく、上から与えられた仕事だから従うしかありません。この『ゼロ行動』は社区と警察署が対象になっている人の家に行き、写真やビデオを撮る必要があり、私はそういうことはしていないので、あなたに協力してほしいと思って電話をかけました」と丁寧に答えました。
私は「私はこれに署名できません。サインなんて大したことはないと、あなたは思われるかもしれませんが、私たち修煉者にとっては死よりも辛いことなのです。私が洗脳班にいた時、同様に強制的にサインさせられたのですが、彼らは私を釈放したでしょうか? 彼らは私に対する行動を『ゼロ』にしたでしょうか? なぜ私がサインしないのかわかりますか?」と言いました。そして、私はその警官に、法輪功とは何か、首謀者である江沢民がなぜ法輪功を迫害したのか、私たち大法弟子はどのような人間なのか、大法弟子を迫害し、真・善・忍という普遍的価値を破壊することによりもたらされる悪の報い、および今現在のウイルスの大流行の目標、そして20年に及ぶ迫害によって何千もの家族(私の家庭を含む)にもたらされた大きな苦しみと被害などについて伝えました。
私は30分ほど伝え、警官は静かに聞いていました。最後に、私は「私たちは以前会ったことがあり、その時のあなたの印象はとても良く、あなたが管轄区域を巡視していた時、一帯の安全を守るのが自分の任務だとあなたはかつて言っていました。あなたが協力している『ゼロ行動』が、善良で遵法精神に富む市民に大きな被害を与え、さらには命を脅かすことになったとしたら、あなたの心の平穏は得られないと思います。正義を守り、悪を罰し善を促進することこそがあなたの職責です。人に道を譲ることは、自分に道を譲ることでもあります。今あなたは何をすべきかわかっていると私は思います」と言いました。その警官は「はい、信仰は個人の問題なので、私は口出ししません。ただ上がやらせるので、私にはどうすることもできません。でも今はどうすればいいかわかりました」と言いました。
それ以来、その警官は二度と声をかけませんでした。
物事はこのように順調に進み、私の心も平静になり、まるで学生が正式な試験には落ちたが、努力して追試に合格しようとしているかのようでした。それは自慢できることでもなければ満足できることでもありませんでした。師父は「煉功者としてはこうしなければならないものです」[2]と説かれました。
3年間の錬磨、3年間の鍛錬、魔難が突然やって来ましたが、人心を放下し、宙を舞い、足下に蓮が見えるようになりました。
結び
以上は私の3年来の修煉の経歴と体験です。この3年間は、私にとって心を入れ替えて真の人間に生まれ変わる、生命再生の過程であり、師父の洪大な慈悲と法輪大法の深遠な法理が私の傲慢さ、横柄さ、利己主義、狭量を溶かし、私に人心を放棄させ、法に溶け込ませ、真の法輪大法の修煉者となりました。
適当でないところがあれば、同修のみなさんのご指摘をお願いします。
師父の慈悲深い済度に感謝申し上げます!
(完)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
[4] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「恐れ無し」
(明慧ネット第18回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)