色彩学と修煉文化(三)
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文/Arnaud H.

 【明慧日本2022年1月13日】(前号より続く)「丹青」とは一体何でしょうか? 中国古代で丹は「丹砂(たんしゃ)」という鉱物、青は「青雘(せいわく)」という鉱物を指します。美術界で「丹青」の成分と言えば「朱砂」と「藍銅鉱」で、さらに深く見ると「朱砂」の成分は硫化第二水銀であり、つまり硫と水銀の化合物です。「藍銅鉱」の成分は炭酸塩です。ここまで読むと、西洋の修煉文化に詳しい人なら、「硫、水銀、塩」の三つの単語について、馴染みを感じるでしょう。昔の人は、多くの現代化学元素を知りません。しかし、この三つの元素は西洋工業文明以前の文化では特殊な意味がありました。人を構成する三つの要素と対応していたのです。よって「硫、水銀、塩」という三元素は西洋の歴史上、自然哲学、伝統医学、錬金術などの伝統文化において、一定の地位を占めています。

 現代科学が現れる前、大部分の西洋人は万物に霊性があると認識していました。多くの学問でも物質と人間に共通性があると認識し、これは中国の天人合一の思想と似ていました。ここで硫は暖かく熱いという陽性の特徴があるため、慈悲なる天上から来ている人の魂と対応すると考えられていました。水銀は常温で水のように液体となり、陰陽では昔から陰と見なされ、また展延性があって揮発性などの特徴もあり、人の精神と対応しています。塩はそもそも粗いものですが純化できるので、それは人が修煉を通じて体を浄化することと対応しています。

 多くの人は、魂と精神の区別がつかないかもしれません。私たちは自然哲学の文化の文脈でこれらの単語を使用していますが、実は魂と精神は、意識を区別するための数ある方法の一つです。(ここで話しているのは錬金術ではありません。同じ文化的背景を持つ用語に言及するかもしれませんが、錬金術理論とは異なります)

 例を挙げましょう。普段、人が何かを考える時は魂(Anima)と精神(Spiritus)の共同作用の結果であり、通常は魂と精神の区別を感じとることができません。しかし、一部の臨死体験のレポートに、その違いが表れています。短時間の死亡後に生き返った人の多くが、このような状態を体験しています。彼らは死亡する直前、かなりの恐怖を感じ、心神喪失にもなります。しかし死亡の瞬間は安らかで解脱したような感覚を体験し、喜びやポジティブな感情も体験します。生き返った後は、死亡していた時の考え方とは全く異なる正常な思惟状態に戻ります。このように死亡時は純粋な魂の思想と考えられ、高次元の不滅の本質的思考に属します。一方、人の通常の意識は、魂と精神が合一した通常の状態であり、そこには人の肉体細胞が構成した浅い次元の思惟も含みます。

 この三つの要素は、その対応関係によって、理論上は自由に組み合わせることができます。三つのものが統合すると、完全な人を構成します。つまり、人の三位一体の概念です。西洋の昔の修煉文化にも同様の言い方があります。

 この角度から見ると丹青は、「硫、水銀、塩」の組み合わせです。そして「硫、水銀、塩」は人の魂、精神、体の三位一体と対応しています。もし引き続き上に昇華するなら、人の三位一体は生命の異なる次元の三位一体と関連し、更に神の境地に達すことができます。つまり伝統文化は非常に奥妙であり、そもそも神伝文化です。上下に通貫することができ、宇宙の構成とも繋がり、本当の天への正しい道です。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/3/431981.html)
 
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