【慶祝513】大法を修煉して3カ月 以前の心性とは雲泥の差がある
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文/山東省の大法弟子・静思

 【明慧日本2022年5月27日】私は1996年6月から法輪大法を修煉し始めました。師父の要求に従って、返本帰真の道(真実に戻る道)を歩む中、身体に数々の奇跡が起きました。

 3カ月でまるで別人のような変化

 1996年6月、法輪大法を修煉してから、『轉法輪』を毎日読み、読めば読むほど読みたくなりました。大法を得たことで、言葉で言い表せないほど嬉しくて、楽しくて、幸せを感じました。それと同時に、師父の要求に従って自分を律し、体の変化をしっかり感じました。

 修煉して3カ月も経たないうちに、ある出来事で自分もびっくりするような心性の変化が起こりました。

 1996年8月末のある日の昼、私は仕事を終えて、信号待ちのため交差点で自転車を降りました。私は南に向かって、信号が変わったら左折しようとしましたが、突然、右折してきた玉石を積んだトラクターに(車の情報はその後判明)ぶつけられ、自転車とともにトラクターの下に巻き込まれたのです。しかし、運転手は緊張のあまり止めるどころか、かえって加速してしまい、右折して西へ向かって走りました。トラクターの下敷きになった私は、意識ははっきりしていて、車輪に背中を押しつぶされるのを感じて、目を閉じて「もうダメだ!」と絶望的になりました。

 道端の人たちの「止めて! 止めて!」と叫ぶ声が、車の下敷きになっている私に聞こえました。運転手は緊張のあまり車の止め方もわからなくなり、そのまま走り続けていきました。車輪が私の背中を押しつぶすように感じながらも、私は目を閉じたままにしていました。

 絶望の私は、背中を車輪が押しつぶすように感じるのですが、全く痛くないことに気づいたのです。突然、師父のことを思い出しました。師父は、大法弟子がみな師父に見守られているので、本当に危険にはならないとおっしゃったことを思い出しました。そして、私は突然目を開け、車の下から「車を止めて!」と繰り返し叫びました。私がずっと叫んでいると、道端の人たちも続けて叫んでくれたので、運転手はようやくトラクターを止めました。

 私は自ら車の下から出ようとしたのですが、出られませんでした。「誰か私を助けてくれないか」と思いましたが、誰も車に近寄らず、助けに来てくれなかったのです。そのとき、師父がきっと守ってくださると信じていたので、不思議なほど冷静になりました。周りの人は私の悲惨な姿を見る勇気がなかったからだと思います。運転手も呆然として助けてくれませんでした。

 私は車の下から「バックして!」と叫びました。しかし、頭が混乱していた運転手はバックではなく、発進してしまいました。それから気が付いた運転手は車を止めてバックし、また30メートルほど走って、停車しました。私はやっと自力で車の下から這い出し、自転車も車の下から引き出しました。その間、誰ひとり助けに来ませんでした。

 運転手は、トラクターの運転席に呆然と座っていました。その時、私は玉石を引くトラクターであることが分かりました。

 道端の人たちは私の無事を見ると、そばに来てくれました。ある人が運転手を責め、「早く降りて、この人を病院に連れて行って検査させないと!」と言いました。運転手はゆっくりと降りてきて、私のところに来ました。青白い顔をしている運転手は、私の方を見て、まるで私の怒りが爆発するのを待っている様子でした。運転手の顔を見た私は、恨む心は一つもなく、むしろ気の毒に思い、優しい口調で「あなたの車は保険に入っていませんよね」と聞くと、彼は頷きました。私は、「これからは運転に気をつけてくださいね。農民がお金を稼ぐのは容易ではありません。ほかの人にぶつけたら、賠償金を多く払わないといけないでしょう。私は法輪功を学んでいるから、病院に行かなくても大丈夫です。心配しないでください」と穏やかに話ました。

 見物の人たちから病院に行くように勧められましたが、私は断りました。 運転手は私に深々と頭を下げ、感謝の意を表しました。「私は法輪功を学んでいる人です。感謝しなくても結構です」と言いました。奇跡的に私の自転車も壊れませんでした。私は家に帰ろうと自転車を押して少し歩き出したところで振り返ると、運転手はまだ私に深々と頭を下げていました。

 20数年前の出来事ですが、運転手の頭を下げる姿を思い出すたびに涙が出ます。残念ながら、当時、運転手に大法の師父に感謝すべきことを伝えていなかったので、いまだに後悔しています。

 そして、自転車に乗って帰りました。当時、子供に母乳をあげている時期でした。翌朝、夫が起きて、私の背中と太ももの裏側に、車輪の跡がくっきりと紫色の線になっているのを見つけました。私は夫に事情を説明しましたが、車のナンバーを記憶していなかったことを責められました。出勤すると同僚からも、「運転手の連絡先を何で聞かなかったの」と責められました。しかし、誰が何を言おうと、私は全く後悔していません。大法を学んでから偉大で慈悲なる師父は私を救ってくださり、弟子の私は師父のより深いご恩に感謝することしかできません。師父の言われることに従い、より良い人間になり、他人のことを優先に考えるとわかっているからです。

 私は勤め先で、心を静め、この出来事を思い返してみると、自分の変化に自分でも驚きました。大法を修煉して3カ月足らずで、私は生まれ変わったようです。この事故の9カ月前、それは妊娠7カ月のある日、私は自転車で通勤していたとき、後ろの自転車に軽くぶつけられました。自転車に乗っている男性はすぐ自転車から降りて私に謝りましたが、その謝罪に誠意が足りないと感じ、私は情け容赦なく男性を叱責し、男性の行く道を阻むようにしました。出勤を急いでいる男性は何度も謝ってくれたのですが、私は「眼鏡をかけているのに、気品がない人ね」と言い放ち、どうしても許せなかったのです。その男性から「あなたは眼鏡をかけているのに、品行が悪い女性にしか見えないね」と言われ、私は言葉を失いました。

 「自分に一理があるときには絶対譲歩しない」と、修煉する前の私の悪い癖でした。自転車で軽くぶつかるのと、トラクターの下敷きになって30メートル以上引きずられたのを比べると、事の大きさは一目瞭然ですが、私の対処の仕方は天と地ほどの違いになったのです。 法輪大法の修煉により、私は新たな人に生まれ変わりました! 偉大で慈悲深い師父に感謝いたします!

 職位を譲る

 1996年6月、私は法輪大法を修煉し始めました。しかし、1999年7.20から、中国共産党江沢民グループは法輪大法への迫害を発動し、大法師父が罪を着せられ、大法弟子たちは迫害を加えられました。思いもよらないことで、私は息もできないほど苦痛を感じました。しかし、大法弟子として、どんなに辛くても、大法の基準である「真・善・忍」に従って、自分に要求しなければならないとわかっていました。勤め先の校長は、私たち大法弟子が迫害されないようにと多くの苦労をして、上からの圧力に耐えました。

 2000年9月、同校の教員が職位競争で、1等級の教員のうち1名が2等級に格下げされ、それに伴い給与も減額されることになりました。1等級の教員はみんな、格下げされて評判を落とすことを心配していました。

 職位競争の演説が始まる前に、私は校長に「私は煉功者です。校長は私たち煉功者を迫害から守るために大変な苦労をされました。私は校長と他の教員たちの悩みを解消したいのです。私の降格をお願いします」と申し上げました。しかし校長は、「あなたのような優秀な教師が、降格を申請することは絶対に許しません。全教員の投票で降格の教員を決めることにします」と真剣に言い、目に涙を浮かべていました。

 その結果、1等級教員の中では最年少の私は降格しませんでした。20数年来、何度も職位の争いがあり、私自ら競争演説を放棄し、票を集めようとしませんでしたが、一度も降格されたことはありません。

 同僚たちは、法輪大法を修煉した後、病気がちだった私が健康になり明るい性格に変わり、仕事を真面目にやって成果を上げ、私が学校にも市にも栄誉を勝ち取ったという変化をはっきりと見ていたからだと思います。

 2015年、年金に関係する退職前の最後の職位競争で、私は事前に学校の責任者に相談せずに(責任者は納得しないだろう)、演説で「私より年上の教員は、私より生活面での圧力が大きく、仕事を頑張ってきたので、その人たちを格下げしないでほしいです。私より若い教員は、私より学校に貢献できる時間がとても長いので、その人たちを格下げしないでほしいです。ですから、私は降格を申請します」と発言しました。演説後、責任者たちは、「あなたが降格されたら、これからの仕事が展開しにくくなるし、学校の教員たちにとっても不公正な行為になるのです」と私のことを怒りました。退職したとき、私は中等教育機関の教員として、最高位の職位を持ったままになっていました。

 配分の住宅を譲る

 2001年前後、学校の職員に住宅を配分するということがあって、最後のこととなりました。教員たちがみんな待ち望んでいたことでした。80~90㎡の家が5万元で買えるとのことでした。学校内の住宅で、通勤の苦労もなくなるのです。朝6時の自習、夜9時の自習があり、学校内に住んでいれば、本当に楽なことです。私の家は学校から自転車で20分以上かかり、1日に4往復する通勤がとても大変でした。

 ある日、校長は私を事務室に呼び出し、遠回しに悩んでいることを打ち明け、住宅の申し込みを放棄することを望んでいることでした。しかし、条件通りに行けば、今回必ず私の分があるはずでした。校長の話を聞いて、私はしばらく迷いましたが、地元の郷と鎮にある多くの学校の大法弟子が教室に閉じ込められたとき、私たちの学校では夜になると、校長が本校の大法弟子を自分の家に連れて行って休ませ、自身は学校の事務室で寝ました。私たちはみんな感動しました。校長は学校の大法弟子を守るために、いろいろ苦労されてきたことを思い出し、「大法弟子は感謝の心を持つべきで、他人のことをまず優先に考えなければならず、他の人が私より住宅が必要かもしれない」と思うようになりました。

 そして、私は住宅をあきらめると校長に伝えました。この過程で私は悩まず、悲しくもなかったのです。これは偉大な慈悲の師父のおかげです! 大法の威徳です!

 20数年も自転車で通勤し、春夏秋冬、たくさんの苦を嘗めました。昼に学校内に住んでいる教員は昼寝を始めていますが、私はまだ帰宅途中でした。その当時の配分の住宅は、現在30万元の価値になっています。不思議なことに私は、20数年来、一度もその時の選択を後悔したことがありません。これは本当に奇跡的なことです。大法弟子は「真・善・忍」の基準に基づいて修煉し、穏やかな心理状態を保ち、人を優先するという師父の教えを守って、数々の奇跡を起こしました。

 修煉する前、負けず嫌いな私は名、利、情のために苦労しても追求し、得ると喜び、失うと悲しみました。俗世間での煩わしさの中で尽きることのない欲望は、私に無限の悩みをもたらしました。大法を修煉した後、大法の師父の洪恩を受け、生命が「真・善・忍」に同化する過程を体験して、真の修煉者になりたいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/17/442184.html)
 
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