湖北省嘉魚県留置場における学習者への迫害手段14種(一)
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 【明慧日本2022年6月27日】(湖北省=明慧記者)1999年7月20日、中国共産党(以下、中共)の江沢民集団が法輪功への迫害を開始し、この迫害は23年間経った現在も続いている。多くの善良な法輪功学習者(以下、学習者)が不当に拘禁され迫害を受けており、留置場は主な迫害の場所の一つである。中共の留置場が学習者に対して行った迫害方法は数多く、非常に残酷で陰湿である。一部の学習者は留置場で残酷な迫害を受け、その場で死亡し、一部の学習者は帰宅後まもなく死亡し、一部の学習者は帰宅して一定の期間経た後に死亡した。多くの内部の情報は隠蔽され、未だに表に出ていない。

 本文は様々なルートから入手した、湖北省咸寧市嘉魚県留置場で学習者に対して行われた迫害手段に関連する情報を暴露し、人々に中共の邪悪な本質を認識してもらい、世間の人々の良知を呼び起こすために書いたものである。

 一、嘉魚県留置場における学習者への迫害の手段

 嘉魚県留置場における学習者への迫害の手段は:1.暴力的な殴打、2.残酷な灌食、3.手錠と足かせ、4.数人の学習者が同時に繋がれる「花手錠」、5.数日連続して睡眠させない、6.薬物を投入する、7.跪かせる、8.壁にくっつけ長時間立たせる、9. 異郷の留置場に拘禁、10.「演劇を演じる」、11.金銭を掠め取る、12.強制労働、13.煉功を妨害する意図的な冷却、14.法輪功を誹謗中傷するテレビ番組を繰り返し見せる、などである。

 各迫害の手口について挙げた実例は、説明のための僅かな一部の事実であり、実際には中共によって情報を封鎖されているため、暴露されていない迫害の実例はもっとある。

 1.暴力的な殴打

 嘉魚県留置場では、暴力的な殴打が最も一般的な迫害方法である。留置場の警官は学習者を直接殴ったり、また受刑者に学習者をひどく殴るように指示したりした。徐暁春さん、沈国焱さん、張玉旺さん、張玉燕さんなどの学習者が、嘉魚県留置場で激しい暴行を受け、死亡した。

中共酷刑示意图:殴打

拷問のイメージ図:殴打される

 ◎劉徳瑚さん(63歳女性)は、嘉魚県留置場で拘禁されている間、数回にわたって激しい暴行を受け、深刻な内傷を負い、2013年に死亡した。

 劉さんは生前、次のように語った。「2001年1月13日、私は嘉魚県留置場で政保課の関係者に尋問され、どこから資料を入手したのかと自白を強いられました。私は『法輪功は人々を善へ導き、より良い人間になることを教えています。資料は、法輪功迫害の実態を人々に伝えるものであり、合理的で合法的なものです』と伝えました。政保課の周文得は尋問するたびに、私を蹴ったり殴ったり、罵ったりしました。彼は私を押し倒し、ひざまずくことを強要し、さらに両手をまっすぐに高く上げなければなりません。1時間以上ひざまずいた後、再び足をそろえて両手を垂直にした状態で立たされ、動くことは許されませんでした。夜になると、8人が4交代で不当な尋問を続けましたが、私は何も答えませんでした」

 「私は夜明けまで立たされ続けました。政保課の課長・劉長林は、状況を聞きに来ました。当直の男は『態度は非常に良いのですが、何も言わないです』と報告した途端、劉長林は激怒し、「言わないと打ち殺すぞ」と怒鳴りつけました。そして、近づいてきて、拳骨で私の顔を一発殴り、私の顔が即時に腫れ上がりました。続いて、私の右目を殴りました。彼は他の人に見られないようにドアを閉め、また私のこめかみを直撃し、こめかみの所に大きな瘤ができました。4発目は左耳に当たり、すぐに左耳は何も聞こえなくなり、現在に至るまで(3年以上)、左耳に絶え間ない金切り声が響いています」

 「劉長林はまた拳骨で私を地面に倒し、蹴ったりして、私の髪を掴んで『資料はどこから入手したのか?』と問い詰めました。私は『もう聞かないでください。私が教えるはずがありません』と言いました。60代の私は28時間立ち続け、昼間座ることも、夜寝ることも許されなかったのです。彼らは万策尽くした後、私を刑務所に送りました。他の人たちは皆、私を見て変形してアザだらけで、見ていられないほどだと言っていました」

 ◎沈国焱さん(60歳男性)は、嘉魚県牌州湾鎮の農民である。2001年9月末、沈さんは法輪功を学び、迫害の実態を暴露する資料を配布したとして、嘉魚県第一留置場に拘禁された。期間中、胸を殴られるなど様々な拷問を受けたため、全身が腫れ上がり、極度に衰弱し、危篤状態に陥った。2002年10月、沈さんは解放され帰宅したが、2003年2月に冤罪が晴れないまま死亡した。

 ◎徐暁春さん(42歳男性)は嘉魚県新街鎮晒甲山の村民である。2001年4月25日、徐さんは新街鎮派出所の警官らに連行され、派出所で滅多打ちにされ意識を失った。警官は、徐さんを家に帰らせると言いふらしたが、実質的に徐さんを嘉魚県第一留置場に拘禁した。25日の当日、警官らは徐さんの自宅に行き家宅捜索を行った。

 嘉魚県第一留置場で、徐さんは受刑者から暴力を振るわれ、3000元あまりの現金を騙し取られた後、2001年6月1日に解放された。帰宅した後、徐さんの身体はずっと回復しておらず、それでも、晒甲山の政府関係者・李冰山、李永祥、李柏林らによる嫌がらせを受け続けていた。

 徐さんは内臓を損傷したため、長い間普通の生活ができず、2006年12月13日に亡くなった。

 ◎張玉燕さん(23歳女性)は、嘉魚県牌州湾鎮に在住。2000年5月、張さんは法律に基づいて北京に陳情に行ったが、連行され嘉魚県第一留置場に拘禁された。期間中、張さんは残酷な迫害を受け、何度も吐血し、命の危険に晒されたため、嘉魚県人民病院に搬送された。

 直後、留置場は責任を負うことを恐れ、張さんを自宅まで送った。しかし、牌州湾鎮の610弁公室の関係者らは、度々張さんの自宅にやって来て、嫌がらせを働いたり家財を押収したりした。2002年3月、張さんは無念の思いが晴れないまま死亡した。

 ◎張虎さん(30代男性)は、2011年前後、潘家湾鎮派出所の警官により2回連行され、嘉魚県留置場に7日間拘束された。激しい暴行を受け、内臓に重傷を負った張さんは、肉体的にも精神的にも大きなダメージを受け、長い間、体が回復せず、最後に肝臓病や糖尿病を発症してしまった。2016年2月29日、張さんは亡くなった。

 2.残酷な灌食

 中共の関係者は、学習者に真・善・忍の信念を放棄させるという目的を達成するために、肉体的かつ残酷な拷問を行っている。灌食に使用されたのは、わずかな水が入れてある粗塩、とうもろこし粉、刺激性の薬物、高濃度の酒、洗剤、糞尿などがある。

酷刑演示:野蛮灌食

拷問の再現:無理やりに灌食される

 学習者が残酷な灌食に抵抗できないように、ほぼすべての学習者は縛り付けられ、両手を背中に回されて手錠をかけられ、重い足かせを付ける、ヘルメット(頭の動きを制限する)を被せる、押さえつけられるなどの方法で制限された。また、わざと管を抜き出したり挿し込んだりして、食道や胃、腸を突き破り痛みを与え、学習者に法輪功を放棄させようとしている。

 ◎劉徳瑚さん(63歳女性)は、嘉魚県留置場で何度も灌食された。

 劉さんは生前、「ある日、警官が私の『轉法輪』を奪い取りました。私たちは集団断食して迫害に抗議しました。数日後には強制灌食が開始されたのです。 6日目、私は警官と受刑者6、7人に引きずり出されました。彼らは私を地面に打ち倒し、膝で私の全身を押さえつけ、口をこじ開けたり、注ぎ込んだりしました。口をこじ開けられた時、私の歯が割れて欠損し、下の歯の全体が変形し、今も変形したままです」と語ったことがある。

 3.手錠と足かせ

酷刑演示:脚镣

拷問の再現:足かせをつけられる

 ◎鄭玉玲さんは赤壁市商業局の職員である。2000年11月26日の夜、鄭さんは赤壁市留置場に連行された後、しばらくして嘉魚県留置場に移送された。嘉魚県留置場では、鄭さんは15キロの足かせを付けられ、両手に手錠をかけドアに繋いだ。このように昼夜連続して3日間、拷問が行われていた。

 4.数人の学習者を同時に繋がれる「花手錠」

 嘉魚県留置場では、警官が3人の学習者の足かせと手錠を繋げる拷問があり、「花手錠」と呼ばれる。この種の拷問は非常に残酷で、学習者を苦しめ煉功を意図的に制限する拷問である。

酷刑演示:戴手铐脚镣

拷問のイメージ図:手錠と足かせを付けられる

 ◎汪光元さん(61歳女性)は、嘉魚県留置場で「花手錠」をかけられた。

 王さんは以下のように話したことがある。「2000年1月、工場で働いていた最中に、警官がやって来て、調査のために私と5分間話があると工場長に嘘をつきました。工場長はそれを信じて、警官と一緒に公安局に行くようにと言いました。公安局の劉課長は私に、『なぜ法輪功を学ぶのか? 今でもやっているのか?』と聞きました。私は、『法輪功は高徳な大法であり、人々に真・善・忍に従って良い人になるように教えています。私は良い人になりたいです』と答えました」

 「この一言で、私は嘉魚県留置場に78日間も不当に拘禁されました。留置場で、私は煉功し続けたとして、他の3人の学習者の手錠と足かせと一緒に繋がれ、「花手錠」と呼ばれる拷問で、18日間も繋がれました」

 「数人が一緒に繋がれているので、着替えも食事も睡眠もトイレも一緒にしなければならず、トイレに行かない人も一緒に行かなければなりませんでした。私たちが交代で煉功をしていると、夜中に留置場の所長がたらいで何度も監室に水をかけ、水をかけながら罵っていました。布団も服も全部濡れてしまい、監室内は水が溢れていました」

 5.数日連続して睡眠させない

 学習者を「転向」させてボーナスをもらうために、警官は積極的に610弁公室と協力し、学習者に長時間睡眠させず、学習者を強制的に「転向」させようとした。この拷問は立つ姿勢の体罰と一緒に使われることが多い。学習者は目を閉じて寝ると、激しく殴られ体罰を受ける。

 ◎劉徳瑚さんは2000年12月、嘉魚県第一留置場で、28時間にわたって立たされ、寝ることも許されなかった。

 6.薬物を投入する

 嘉魚県留置場の警官は、密かに薬物を投入し健康者を迫害し、わざと学習者を苦しませて痴呆症にさせ、あるいは苦痛の中で死亡させることもあった。

 ◎陳金秀さん(50代女性)は2008年3月3日、新生橋の近くに法輪功の資料を貼り付けていたところ、警官により嘉魚県留置場に連行された。

 留置場の所長と警官の王霞は、陳さんの写真を撮ろうとした時、陳さんはそれを拒否した。すると、所長は陳さんの髪を引っ張り、王霞はヒールの高い靴で陳さんを蹴り、蹴り疲れると足で陳さんを踏みつけた。陳さんは王霞に法輪功迫害の実態を伝えたが、王霞は忠告を聞かず、親切なふりをして飲み物に薬物を入れ、陳さんに飲ませた。それによって陳さんはめまいがして、精神が朦朧とした。

 王霞が陳さんに武漢の洗脳班に行くことを告げた時、陳さんは行かないと言った。そして王霞ら6人の警官は、陳さんに対して激しく暴力を振るった。彼らは陳さんの手を後ろにして手錠をかけ、靴下を陳さんの口に詰め、透明テープで口を封じた。王霞らは殴りながら「お前を殴ったことを、誰が証言できるのか?」と誇らしげに言った。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/6/18/445044.html)
 
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