湖北省嘉魚県留置場における学習者への迫害手段14種(二)
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 【明慧日本2022年6月29日】(前文に続く)

 7.強制ひざまずき

 多くの学習者が跪くことを強制されたことがある。特に、留置場の中で、例えば、赤壁市留置場、咸寧市猫耳山留置場、嘉魚県留置場などの留置場では、警官は学習者に跪かせ、故意に学習者を拷問し、虐待、侮辱している。

 ◎劉徳瑚さんは生前、次のように語った。「2001年1月13日、私は嘉魚県留置場で政保課の関係者に尋問され、どこから資料を入手したのかと自白を強いられました。私は『法輪功は人々を善へ導き、より良い人間になることを教えています。資料は、法輪功迫害の実態を人々に伝えるものであり、合理的で合法的なものです』と伝えました。政保課の周文得は尋問するたびに、私を蹴ったり殴ったり、罵ったりしました。彼は私を押し倒し、ひざまずくことを強要し、さらに両手をまっすぐに高く上げなければなりません。1時間以上跪きました……」

 8.壁にくっつけ長時間立たせる

 「壁にくっつけて」立たされることは、両手は脇を閉めて動かず、人を見ること、話すことは許されず、トイレに行くことも許可を得なければならず、このような姿勢を長時間強制されることである。それだけではなく、監視役は1枚の紙を6等分にし、小さい紙1枚を頭と壁の間に挟み、残りの5枚を関節の可動部位と壁に当たる部分に置き、紙が少しでも動くと学習者を叩いたり、罵ったりする。

 「壁にくっつけて」立つことを強要された学習者は、腰痛やめまいがすることが多く、両手はものを持てないほど腫れ、脚は腫れ上がり、靴を履くこともできず、歩く時はフラフラとバランスを失って倒れたり、下肢麻痺になることもあったという。

 ◎嘉魚県の学習者・劉徳瑚さんは、足をそろえて両手を垂直にした状態で立たされ、動くことは許されず、翌日の夜明けまで立たされ続けた。

 9. 異郷の留置場に拘禁

 地元を離れた他県の留置場に拘禁することは、留置場の裁量に委ねられるものではないが、留置場が公安局に告げ口をすれば、学習者が県外の留置場に拘禁されることにつながる。これは、中共のよく使う手口である。

 学習者が他所の地域に拘禁されるため、現地の警官らに酷い拷問を受ける可能性が高く、金銭を脅し取られたりすることがあり、家族や他の学習者からの助けを得ることも難しく、孤立無援の状態に陥る。中共は学習者を孤立させ、「転向」させようとしている。 

 ◎嘉魚県の学習者・熊秋蘭さん(55歳女性)は、次のように語った。「2001年11月のある日、私は自宅でゆばを作っていたところ、私服の警官がやって来て、家宅捜索を行い、法輪功の書籍をすべて取り上げ、『公安局に来てくれ、話がある』と、私を公安局まで連れて行きました」

 「翌日まで公安局に拘束されていたのですが、そこの関係者に殴られました。最初、私は嘉魚県留置場に送られ、留置場で煉功を続けていました。警官はそのことを上のほうに告げ口をしたため、公安局の関係者は車で私を異郷の赤壁市留置場に拘禁しました」

 「当時、どこまで連れて行くのかは分かりませんが、私は何も悪いことはしていないし、法律も犯していないと思っていました。まさか赤壁市留置場に半年も拘禁されるとは思いもよりませんでした。その時、家族は私がどこにいるのか分からず、私は孤立無援の状態に陥りました。半年後、また嘉魚県留置場に連れ戻されました」

 10.「演劇を演じる」

 「演劇を演じる」の名目はかなり多くあり、例えば、「餃子食い」、「パンを食らわす」、「滴る観音」、「竹の子と肉炒め」などがある。

 「パンを食らわす」とは、学習者を壁際に立たせ、背中と壁の間にコップなどのものを挟み、それから監室のすべての受刑者が、順番に学習者の胸部を拳で一発殴り、あるいは一人ずつ胸に向かって飛び蹴りをする。これを「パンを食らわす」と呼ばれる。「パンを食らわす」を受けた人の口から、よく血が噴き出していた。

 「滴る観音」とは、暑さ寒さに関係なく、服を全部脱がして裸にし、まず石鹸をつけて壁に沿ってしゃがませ、後頭部を壁に押さえつけ、もう1人が頭のてっぺんから水をゆっくりと連続して少しずつ垂らしかける。水が鼻を通って「滝」となり、鼻と口全体を覆うので、息ができず窒息死しそうになる。もし抵抗すれば、すぐに暴力を振るわれる。冬の極寒の日に、十数のたらいの水を連続してかけられた学習者もいた。

 「竹の子と肉炒め」とは、女性の学習者を留置場の通路に長い列を作ってひざまずかせ、細長い竹の棒で学習者の体、特に露出している皮膚を叩き、その痛さは蛇にかまれたり毒蜂に刺されたりするのと同じであった。

 「餃子食い」とは、学習者を布団の中に包んで、他の人が狂ったように襲いかかり、蹴ったり殴ったりする拷問である。

 ◎張玉旺さん(63歳男性)の妻は、次のように語った。「2002年10月のある日、魚岳鎮派出所の警官・趙守懐ら数人が、私の家にやって来て、『轉法輪』二冊と他の書籍数冊を押収し、夫を嘉魚県留置場に拘禁しました」

 「午後3時、私も勤務先から連行されました。一晩中監視され、手をズボンの縫い目に合わせて一晩中壁立たされ、寝ることも許されず、彼らに苦しめられました」

 「嘉魚県留置場では、夫も「餃子食い」という拷問に遭い、布団の中に包まれ、激しく殴られ蹴られました。また、夫は壁に寄りかかって立たされ、受刑者が膝を使って夫の胸を力強く押さえました。その時、夫の顔は真っ青になったそうです」

 「2カ月後、夫は帰宅しましたが、重傷を負っていたので、胸の痛みがずっと断続的に続き、家事さえできなくなりました。身体が衰弱した夫は2010年に亡くなりました」

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/6/18/445044.html)
 
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