天津の李希良さんに不当判決、李希望さんは迫害死
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 【明慧日本2022年8月10日】(天津市=明慧記者)天津市の法輪功学習者(以下、学習者)・李希良さんは11年間不当な迫害を受け、2021年11月頃に天津濱海刑務所10管区に送られ、12月19日に10管区2分管区(学習者を迫害する厳しい刑務所)に移された。李希良さんは10日目の夜、トイレで突然倒れ、刑務所の病院に運ばれた。

 李希良さんの弟、李希望さんも再び判決を受け、2011年7月18日に濱海刑務所(旧港北刑務所)2分管区に連行された。李希望さんは10日後の29日、「地錨」という拷問で死亡した。「地錨」とは、両手両足を地面につけて人を曲げ、立ち上がれないようにするもので、非常に残酷な拷問である。この拷問が長引くと、「地錨」を外さなければ、脳に血が流れて、目玉がとび出してしまう。李希望さんは、法輪功を堅持したため、刑務所の強制「転向」は失敗し、警官や受刑者は彼に「地錨」をかけ、長時間放置した末に死亡させた。

酷刑演示:地锚

拷問のイメージ図:地錨

 2021年11月頃、李希良さんは天津濱海刑務所10管区に送られ、到着後1カ月ほど、10管区1分管区の隔離室(縦約3メートル、横約1.2メートルの独房)に収容されていた。12月19日、濱海刑務所の警察官・臧(ぞう)海旭によって、10管区2分管区に移送された。

 李希良さんと李希望さんは2001年、中国共産党(以下、中共)当局に連行され、それぞれ12年と8年の実刑判決を言い渡された。李希望さんは8年間投獄されおり、2009年5月、解放された時には危篤状態であった。李希良さんは2013年11月20日まで刑務所で拘禁された。

 2010年12月21日、李希望さんは妻とともに再び中共の警官に連行され、河西留置場に6カ月以上拘禁された後、再び判決を受け、2011年7月18日に濱海刑務所に移送された。10日後の2011年7月29日、「地錨」という拷問により死亡した。

 李希良さんは濱海刑務所で2回殴られて気絶し、自分の身の回りのことさえできなくなるほど迫害されたこともある。家族は何度も、李希良さんを解放するように求めたが、刑務所側は「規則があるから死ぬまで出さん」と言って解放しなかった。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/7/28/446884.html)
 
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