【ヨーロッパ法会】常人の殻を破る
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 文/ドイツの大法弟子

 【明慧ネット2022年9月30日】 

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は17歳です。ドイツからきました。母のお腹にいるとき、母が多くの大法の活動に参加したので、私は間接的に大法の活動に参加したことになり、大法の修煉を開始したと言えるでしょう。

 子供と若者の修煉者は、あまり修煉体験を書かないので大多数の大人の修煉者は、私たちがどんな修煉の道を歩んできたかをあまり知らないと思います。今回、私の修煉体験を通じて、青年の大法弟子の修煉を知ることができるようにと願っています。

 潮流に逆らって進む

 私は学生ですが、いくつかの試練がありました。ほとんど覚えていないのですが、4つほど印象に残っているので、今日はそれを交流したいと思います。

 現在の社会では、予防接種、気候変動、同性愛などの話題がよく取り上げられています。私の学校でも、こうした話題が授業でよく取り上げられました。数年前、授業で「家族」というテーマに対して討論がありました。そこでは現代家族、同性愛についても議論されました。そのため、同性愛者の結婚を認めるべきかどうかの投票を行ったのです。クラスメート全員が賛成し、私1人が棄権しました。クラスメートたちは驚き、「どうして? 」と聞かれましたが、「私は支持も差別もしないからです」と答えました。

 これに対して、クラスメートは、私が同性婚に反対していると解釈し、同性愛者を差別していると感じたようでした。そのため数年経ってもからかわれました。「同性愛を差別している」とよく言われ、私は悩んでしまいました。その都度、私は答えを繰り返しましたが、嘲笑されました。しばらくすると、そのことを言われても、私はあまり苦悩せず、やがてその不快感が完全に消え去りました。私は自分の信念を堅持し、言われたことに対して淡々としました。クラスメートも次第に言わなくなりました。

 「気候変動」というテーマについても、同じような状況がありました。授業の間の休憩時間に気候変動の話をしていた時、私は「気候変動なんて存在しない!」と率直に言ってしまったのです。しかし、クラスの友人たちは、私のいうことをよく理解せず、「信仰とは関係なく、気候変動は存在する」と私を説得しようとしました。家に帰って家族と話している時、「私の発言は正しくない、常人が誤解する可能性がある」と気づきました。翌日、学校で、「私は人為的な気候変動を信じていない 」とみんなに説明しました。 しかし、私の説明は完全に無視されました。それから数週間、彼らは私の最初の答えだけを繰り返し、私をからかいました。先生もそれを知って、「なぜ気候変動を信じないのですか」と私に何度も聞きました。その時、私は何と答えていいかわからず、何も言いませんでした。そして「闘争心が出ないように」と自分に言い聞かせました。

 もう一つのことですが、8年生のとき修学旅行が始まるので、全員予防接種のカードを持参しなければならなかったのですが、親も私も予防接種を受けたことがないので、私だけが予防接種カードを持っていませんでした。このことでクラスメートは驚いて、彼らはすぐに、なぜ私が予防接種を受けていなかったのかと聞きました。同時に、どんな予防接種を受けたらよいかを教えようとしました。今度も私は何も答えませんでしたが、ただ、「予防接種を受けたくない。受ける理由がないからです」と言っただけでした。

 それから、重病から身を守るための予防接種を受けなかった私に、友人たちはよく「先に死ぬよ」と言いました。そして「きっとアルツハイマー病になる」とも言われました。私は何も言わず、反論や口論をしないようにしました。「どうせ私は、根拠的なものをはっきりと説明ができないし、予防接種に関する知識もあまりないので反論ができない」と思いました。修煉者の立場からすると、反撃してはいけない、立ち向かってはいけないとわかっていても、このトラブルに正確に対処できたとは言えないので、実際にはこの試練に合格できなかったと思いました。

 師父は、「しかし、すでにお話ししたように、煉功者としては、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、常に高い基準で自分を律しなければなりません」[1]と説かれました。

 そして数カ月前、私は再び同じような状況に陥りました。ウクライナ戦争が始まり、ハンブルクでは大規模な行進が行われると発表されていたので、学校側は生徒がこの行進に参加できるよう、授業を中断することにしました。私のクラス担当は、クラス全員が参加するよう望んでいたのでした。

 しかし、私も友人の1人も行きたくなかったので、私はクラスのグループチャットに「参加しない」と書き込みました。しばらくして、あるクラスメートから「行進に参加しないことは、団体精神に欠けている」などのメッセージが届きました。それは長いメッセージだったので、読んでみて衝撃を受け、少し怒りも感じました。団体精神がないと思われることと、興味もない行事に無理やり参加させられることだったので、私は平静ではいられなくなりました。

 最初のころは、私はそのメッセージを無視して、母や友人にそのことを相談しました。特に母は、「クラスメートがこんな大きいプレッシャーをかけてくるなんて」と驚きました。どう対応すべきかと両親に相談し、その後よく考えました。私は非常に厳しく率直な言葉で返事を書こうと思いました。

 私は返事の中で、「行進に参加したくないのは、団結精神の欠如ではありません。私が行かなくても、他の人が行けば良いし、誰かが参加するのを止めるつもりはありません。参加に強制的であれば従って参加します。送ってきたメッセージに不快を感じ受け入れられません」と直接伝え、最後に、私が行進に参加したくない本当の理由をこう書きました。「私は中国で起きている迫害のことに関心を持っているので、私の関心事はあなたとは違うだけのことです」

 本当にこのメッセージを送っていいのか迷いましたが、ほかの良い表現が思いつかなかったので、まずは両親に読んでもらい、意見を聞いてみることにしました。両親は私の言葉がかなり厳しく、ストレート過ぎると感じていましたが、しかし、私はこのまま送るべきだと思いました。なぜなら、一つ目、これ以上良い言葉が見つからないこと、二つ目、今送らなかったらもう返事する気がなくなると考えたからでした。

 「これは一つの試練であり、彼に大法のことを伝えるべきだ」と悟りました。師父は、私にもう一度、常人の殻を破るチャンスを与えてくださいました。そして私はこのチャンスを掴んで最終的に、そのままメッセージを送り、最後のところに厳しい口調を使っていることに、詫びの言葉を添えました。彼は肯定的な返答をしてくれました。私の言いたいことを、理解してもらえたと思います。振り返ってみて、私はこのメッセージを発信したことに、誇らしく思いました。

 学校での心性の試練は、まだまだ終わらないと思います。卒業まであと1年ですが、やはりこれからもトラブルに遭ったり、新たな状況が出てきたり、他の人とは違う考え方があったりすると思います。今後も、常人の束縛の殻を破り、法輪大法のことや、法輪大法が受けた迫害のことについて、気兼ねなく話せるようになればと思っています。

 神韻の舞台裏の仕事を手伝う

 数年来、父は神韻の舞台裏の仕事を手伝ってきました。私もずっと父と同じように手伝いたいと思っていたのですが、若かったので願いが叶えられなかったのです。昨年のある日、家族で食事をしているとき神韻の計画について話していました。私は「神韻を手伝いたい、父の神韻の仕事を手伝いたい」と、冗談で言ったのですが、父はあっさりと「もちろんいいよ」と答えました。

 最初父が、本気で言ったのかどうかは分かりませんでした。それから数週間、私と家族はその話をしなかったのですが、私はそのことをずっと気にしていました。そのほか、ワクチンの話題が多くなっているとも感じ、「神韻と関係がある」と思いました。当初、私は全くワクチンの接種を考えず、普通に生活していましたが、「ワクチンを打つべきか、打たないか」と決断を迫られていると感じました。

 その間、父は関係者に確認していました。私が神韻の舞台裏の仕事を手伝ってもいいとの返事をもらっていたのです。その結果を聞いて「やっと願いを叶えた!」と驚きながらも喜びました。

 新型コロナウイルスの影響で、劇場側がワクチン接種証明の要求があるかが不明でした。そこで、「ワクチンを打つべきか、打たないか」という問題が再び出てきました。同時に、「神韻の手伝いに行くか、行かないか」ということも再び考えることになりました。そして「絶対に行きたい、ワクチンも接種する」と、答えはすぐに出ました。神韻の手伝いをしたいし、本当に力になりたいと思ったので決断は簡単だったのです。

 舞台裏の仕事は、私の期待を上回るものでした。普段はあまり仕事するのは好きではありませんが、舞台裏では何事も楽しく、やる気を持ってしました。例えば、私たちは舞台の幕を何度も掛け直す必要があり、そのためにたくさんの結び目を作ったり、幕を吊ったり、棒に吊るしたりしましたが、面倒など全く感じませんでした。私は、「考えずにとにかくやってみる」という姿勢でした。それは神韻の舞台裏の手伝いを始めたころ、父に言われた言葉でした。あまり考えすぎると、計画を乱してしまうかもしれないからです。やれることをやりました。みんなも一生懸命働いていました。 

 最後の公演終了後、私はケーブルと一部の技術機器を解体しました。ある会社の技術部長から、「君に仕事を与えるよ」と冗談で言ってくれました。このことから、修煉者の精進の姿は特別なものであり、常人もそれに気づき、好印象になるということを学びました。舞台の裏側の仕事は大変でしたが、一秒一秒に喜びを感じていました。

 師父、このような機会を与えてくださってありがとうございます!

 この数年間、助けと支持をしてくれた両親と同修に感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/24/449939.html)
 
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