【慶祝513】「最も尊敬する人は母親です」
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文/遼寧省の大法弟子 

 【明慧日本2022年10月24日】2017年、私が瀋陽女子第一刑務所に不当に拘禁された時、第10監区の李監区長が私に「あなたは法輪功を修煉すると福報を得ると言いますが、あなたはここで拘禁され、多くの苦しみを味わいましたが、あなたの福はどこにあるのでしょうか?」と質問されたことがありました。現在(訳注:2022年5月)、私は李監区長への返事として、息子との修煉の話を書くことにしました。それこそ縁ある人たちに法輪大法が私たち修煉者に与えた福を理解してもらうためにもなるのです。

 ついに性命双修の大法を見つけた

 私は今年(訳注:2022年)65歳で、1997年4月に法輪大法の修煉に入りました。

 修煉前は、県の石油会社で人事課長として働き、出張も多かったのです。当時は、病気だと言われるのが怖くて、知り合いと会うことも、同級生と集まることもできませんでした。当時、私は40歳を前にして、胆嚢炎、胃潰瘍、神経衰弱、慢性虫垂炎、関節炎、不整脈、足腰が立たないなど、さまざまな病気に悩まされていました。私は「消炎利胆片(訳注:胆管炎の痛みを緩和する薬)」をいつも飲んでおり、薬を見ると胃が痛くなるほどでした。特に、神経衰弱になり、一晩中眠れないこともあり、顔はシワだらけで、実年齢よりずっと老けて見えました。

 私はかつて「もし、若返ることができる功法があったら最高です!」と幼稚に考えました。まさかこの一念が実現するとは、誰が想像できたでしょうか!

 1997年4月、私は幸運にも法輪大法の貴重な書籍である『轉法輪』を手に入れました。師父は書籍の中で「この宇宙には次のような理があるからです。佛家によれば、常人の中のことは、すべて因縁関係があり、生老病死は常人にとって当然のことです。人は、以前に悪事を働いたために生じた業力のせいで病気になったり、魔難に遭ったりしています。苦しみを味わうことはほかでもない『業』を返すことなので、いかなる人といえども勝手にそれを変えてはいけません」[1]と説かれました。

 この法を読んだ時、私は人が病気になる根本的な理由が理解できました。現在(訳注:2022年)の世の気風がどんどん悪くなる現代社会の中で、私は多くの悪い習慣を身につけ、勝ち気で負けず嫌いで、出世を望みながら、いつも思うようにいかず、心身ともに疲弊し、そのために多くの病気に見舞われてきました。

 法輪大法を修煉した後、私は大法の真・善・忍の法理に従って自分を正し、良い人間になることから始め、私利私欲のために他人と競い合わなくなりました。修煉後すぐに無病で全身が軽い状態になり、見た目も修煉前よりずっと若くなり、仕事にも気力が充実してきました。この時、率先して懇親会を開き、クラスメイトを集めてみたところ、全員が「別人のようだ!」と言いました。

 1999年の職場の改革で、11人の課長の中から1人だけ、総合事務所長を選ぶことになり、私が抜擢されました。2002年、定年までの残りの勤務年数を買い取った後、職場に再雇用され、私は仕事も人柄も、みんなから認められました。

 息子が「僕も修煉したい!」と言った

 大法を修煉して間もないある夜、私が煉功から戻ると、息子が「ママ、僕も修煉したい!」と言うのです。私は修煉を始めたばかりで、修煉に年齢による区別がないことを理解できていませんでした。ですから、「子供に何がわかるのかしら?!」と言いました。当時、息子は12歳で、小学5年生でした。息子は「『轉法輪』を読んだことがあるよ」と言ったので、私は息子にいつ見たのかと聞きました。息子は「一度、パパと一緒に煉功場に行った後『どんな年代になっても、パパとママはやはりこんなに信じていて、まだ修煉したいと思うのだろうか?』と考えると、2人が夢中になっている本は何だろうと思いました。その後、私は『轉法輪』を拝読しました」と言いました。

 それ以来、息子は朝の自習時間を私と一緒に煉功場で過ごし、夜は宿題をした後に法を学び、常に真・善・忍の基準で自分を律しました。息子に勉強するように促す必要もなく、成績は常にトップクラスでした。息子は同級生との関係がとても良好で、休日にはたくさんの子どもたちが我が家に遊びに来ました。

 息子は中学に進学する時期でしたが、地元の実験中学は、生徒も父兄も憧れの学校でした。しかし、私の家は実験中学の地区ではないので、実験中学に行くにはコネを使わなければなりませんでした。私は息子に「私たちは修煉者であり、師父がついておられます。どの学校に行くかは決まっているはずです」と言いました。

 ある日、学校から帰ってきた息子が嬉しそうに「おかあさん、僕、実験中学に行けるよ!」と言いました。どういうことなのかと理由を息子に聞きました。同級生の父親が公安局に勤めていて、実験中学に我が子を転校させたいと言ってきたのだということでした。その同級生は父親に「お父さんが僕を転校させるなら、LY(私の息子の愛称)も転校させてくれなければイヤだ」と言いました。その同級生の父親は、本当に私の息子を転校させました。

 後で、この実験中学は5年制の小学校と3年制の中学校で構成されていることがわかりました。息子は中学の3年間で、3年連続学年トップという3連覇の成績でした。高校受験の時、重点高校(訳注:大学進学率が高い高校)に入れなければ自費で1万元も払わなければならなかったので、他の親は子供の学費を貯めていました。私には息子のために準備するお金がなかったのですが、息子は重点高校(訳注:大学進学率が高い高校)のエリートクラスに入りました。

 大学入試まで、私たちは息子のために家庭教師を雇いませんでした。大学入試の時、息子の担任の先生に会いに学校へ行きました。この担任の先生は私に「LYは、法輪功を修煉しているのですね。どうりで彼の集中力は、普通の学生とは比べものにならないはずです」と言いました。また先生は、小さな広場を指差して「自習する時は、彼はあそこに座っているので、誰も彼の邪魔をしません」と言いました。そして、私の息子はサッカーが大好きでした。

 息子は北京の有名大学を受験しました。私は息子に「北京の大学が新入生に法輪功に対する立場の表明を求めていますが、あなたはどうしますか?」と聞きました。息子は「私は法輪功を修煉していることを伝えます」と言いました。私は「法輪功を修煉しているという理由で学校から退学処分を受けた場合、どうしますか?」と尋ねました。息子は「それなら、この本を読む意味はあるのでしょうか!」と言いました。私は「もし入学できなかったら、あなたは何をするのですか?」と聞きました。息子は「おじさんと一緒に商品を配送します」と言いました。叔父は食品工場を経営していました。

 「私の最も尊敬する人は母親です」

 北京のほとんどの学校では、学年の始めに、法輪功について自分の立場を表明し、署名することが義務付けられていましたが、息子が通っていた大学のクラスはこの立場表明を行いませんでした。ある物理の先生が、生徒に「1.最も尊敬する人物は誰ですか? 2.好きなスポーツは何ですか? 3. 好きな本は何ですか?」という3つの質問をしました。

 息子の答えは「1.私の最も尊敬する人は母親です 2.好きなスポーツはサッカーです。 3.好きな本については、言いたくありません」でした。息子の答案を読んだ先生は、わざわざ息子を食事に誘いました。

 先生は「あなたの答えはかなり特別です。他の人が答えた尊敬する人物は、みんな有名人や偉人、スターなどです。母親を尊敬しているとあなたは答えましたが、なぜですか?」と言いました。息子は「なぜなら私の母親は法輪功を修煉しているからです。私が好きな本は『轉法輪』です」と言いました。後日、息子は先生に『轉法輪』をプレゼントしました。

 「私の息子には大法の師父がついておられる」

 2004年、師父の『洪吟二』が発表されました。息子は師父が書かれた「百年の紅朝の一路、人殺し 乾坤逆に運行し、中華を戯る 今は紅花の盛りが見えるけれども 他日蓮花が咲くを、悟れるか」[2]を読みました。この詩の後、息子は学校に戻り、中国共産党(以下、中共)の共産主義青年団を公然と脱退しました。

 2005年、私は自宅を不法に家宅捜索され、留置場に拘禁されました。ある日、資料拠点にいる他の同修の名前を聞き出すため、公安局、「610弁公室」、政法委員会が同時に数人を留置場に送り込み、その数人は「他の人の名前を言わないのなら、いいだろう。私たちは、あなたの息子も法輪功を修煉していることを知っています。 明日、あなたの息子の学校に行って、学校側に彼が法輪功を修煉していることを伝え、学校側は必ず彼を退学させるでしょう」と私を脅しました。

 私はその数人を見て「皆さんは諦めたほうがいいです! 私の息子には大法の師父がついておられます。将来、私の息子は皆さんのどのお子さんよりも良い仕事に就くことができ、特に外資系企業では、皆喜んで法輪功修煉者を採用してくれます」と言いました。

 息子の勉強や仕事には、何の影響もありませんでした。息子は卒業後、有名な大企業に短期間就職し、その後退職しました。私は息子に「あんなに良い職場で、働きたいと思う人がいくらでもいるのに、なぜ辞めたのですか?」と尋ねました。息子は「残業ばかりで、やりたいことをやる時間がないからです」と言いました。ほどなくして、息子は北京の私営企業に高給で雇われることになりました。

 その後、その有名な大企業は、中共に追随して悪事を働いているとして、国際社会から非難を浴びることになりました。息子は当時その大企業の仕事を辞めており、師父は私の息子を加護してくださったのでした。

 「お母さん、あなたは僕の誇りです!」

 5年前(訳注:2017年)、私が中共の人間に濡れ衣を着せられた時、息子はあらゆる圧力を乗り越えて、北京から弁護士を雇い、私のために無罪の弁護をしてくれました。裁判所が不当な裁判を行った時、私が『わがまま』だ、息子は30代になっても嫁がいない、お前は自分の修煉のことしか考えていない、ということを言われました。しかし、この時息子は法廷で「お母さん、あなたは僕の誇りです!」と叫びました。

 私が連行され、4カ月間収監されていた時に、息子は現在の妻と知り合いました。当時、息子の妻(花嫁)には家のほかに最低でも10万元、あるいは8万元という結納金を花嫁側に渡す必要がありました。私が何度も不当な懲役刑や労働教養を科され、家族に貯蓄がないことを聞いた嫁の両親は「法輪功を修煉している人たちは、善良な心を持っています」と言って、お金を要求することなく、息子と結婚しました。孫娘は現在(訳注:2022年5月)4歳で、とても聡明で頭が良いのです。

 息子が結婚後、嫁は北京に行かず、息子は妻が働いていた地域に住居を構えることにしました。息子が社長に辞職を申し出た時、社長が何か言う前に部長が「仕事を辞めなくても、リモートで仕事ができます。会社が必要とする時に戻ってくればいいです。旅費は全額支給し、寮も確保します」と言いました。また部長は、からかうように「LY、あなたは完璧だ、素晴らしい! 家で奥さんと子供と一緒にいながら仕事ができます」と言いました。

 2021年10月、私は4年6カ月に及ぶ不当な冤罪による拘禁から帰ってきました。親戚や友人、クラスメイトが私を見ると、ほとんどみな「あなたはには福があります! 息子さんが結婚し、孫娘もできました。今帰ってきても、息子さんが大きな家を買ったので、何も心配することはありません!」と言いました。

 これは、私が法輪大法を修煉することで得た福報であることを私は知っています。師父の慈悲なる済度に心から感謝申し上げます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「轉輪」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/24/442897.html)
 
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