【明慧日本2022年10月31日】蔡建華さんと妻・鎮祥英さん及び息子・蔡文明さんは1996年に次々と法輪功を学び始め、家族一家は命を救われた。しかし、1999年7.20、中国共産党による法輪功への迫害が始まり、3人は残酷な拷問迫害を受けた。息子は懲役7年の実刑判決を言い渡され、2013年に死亡。妻・鎮さんは2016年に死亡した。2020年、77歳の蔡建華さんは懲役3年の実刑判決を言い渡され、同年5月、収監される前に死亡した。
法輪大法は一家3人の命を救った
1943年生まれの蔡建華さんは、妻と息子の3人で江蘇省常州市に住んでいた。法輪功を学ぶ前、蔡さんは白内障と腰椎など何種類もの病気を患っていた。
息子・蔡文明さんは1994年~1995年の間、3回にわたってB型肝炎を発症。最後の1回の発病は病変し、非再生性貧血となり、血がんに近いと言われた。息子の病気を治療するため、蔡さんは家屋を売り、治療代8万元(当時、中年サラリーマンの15年~20年の収入の相当額)を支払ったが、病気は治らず、病院側から退院を強要された。しかも「余命は長くとも3カ月」と宣告された。文明さんの妻は苦難に絶えられず、5歳の息子を捨てて無理やり離婚した。
1996年3月、蔡文明さんは友人の紹介で法輪功を学び始めた。まもなく、奇跡が現れ、B型肝炎と貧血の症状が消えた! 奇跡を目撃した主任医師も驚いた。蔡さんは命が救われた!
息子の病状が消えた奇跡を目撃したので、蔡建華さん夫婦も法輪功を学び始めた。こうして、蔡建華さんの白内障と腰椎などの病気もすべて消えた。蔡さんの自宅は法輪功の教室となり、計60人以上が学びに来たことがあるという。蔡さんも常に出かけて法輪功の素晴らしさを人々に紹介していた。
酷い拷問と懲役7年を受けた蔡文明さんは、冤罪のまま死亡
1999年7月、江沢民と中国共産党は互いに利用し合って法輪功を迫害し始めた。
2000年10月のある日、通勤途中の蔡さんは、路上で現地派出所の警官らに連行され、殴られたり蹴られたりし、派出所まで連行された。当時の所長は「お前らに対しては何の手続きも要らず、しかもいつでも捕まえてよいのだ」と言い放った。
1日後の深夜、警官3人が蔡さんの両手に手錠をかけ、布で目を隠し、縄を手錠に繋いで、蔡さんを大門の上に吊り上げて、それからスタンガンで電気ショックを与えたり、革帯で蔡さんの全身を打ったりした。
拷問のイメージ図:吊り上げてスタンガンで電気ショック |
そして、警官らは流水プールに冷たい水を入れ、蔡さんの手足に手錠をかけ、頭を下にして足を上げ、頭を水に入れてむせらせ、自らが疲れるまでやった。深夜後半は、蔡文明さんを裸にし、コンクリートの中庭にひざまずかせ、痛めつけた。
翌日、警官らはまた同じ手段で蔡さんを大小便を失禁するまで殴った。派出所周辺の住民たちも蔡さんの悲惨な叫び声を聞いたという。
数日後、蔡さんは留置場に送られ、10カ月以上拘禁された。2001年8月、蔡さんは武進裁判所に懲役7年の実刑判決を言い渡された。法曹界のメンバーが秘密裏でやったことで、判決状を家族に届けなかった。
その後、蔡さんは蘇州刑務所に移送され、そこで様々な拷問を受け、心身ともに酷いダメージを受けた。
2007年10月、蔡さんは刑期満了して帰宅したが、常に「口が痛い」と叫びながらベッドに転がった。激痛が数日続くことが多かった。2013年7月、蔡さんは全身の激痛に耐えらず、眠れなくて同年10月に47歳で死亡した。70歳の両親と1人の孤児を残した。
法輪大法は、蔡文明さんに健康な身体と善良な心を与えたが、中国共産党の悪辣な党員に拷問迫害を受けて死亡した。
(続く)