武漢市の劉水生さん夫婦 迫害により相次いで死亡
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 【明慧日本2023年4月11日】(湖北省=明慧記者)湖北省武漢市の法輪功学習者(以下、学習者)・劉水生さんと妻の胡明秀さんは、中国共産党(以下、中共)による20数年間の法輪功への迫害の中で、10回以上不当に連行、拘禁されたことがある。夫の劉さんは8年間不当に拘禁され、出所した時の髪は真っ白だった。長期にわたる迫害の結果、夫婦は2023年の初めころに相次いでこの世を去った。家には知的障害で身の回りのことができない息子だけが残された。

 劉さんは武漢市江漢区北湖街に在住していた。法輪功を学ぶ前には腰椎椎間板ヘルニア、骨増殖症、重度の関節リウマチを患い、1994年12月に寝たきりになった。1996年4月、劉さんは法輪功を学び始め、6カ月後、歩けるようになり、しばらくしてすべての病気が回復した。

 夫の身体の変化を目の当たりにした妻の胡さん(71)も、1996年に法輪功を勉強し始めた。それまでの胡さんは仕事をしながら、寝たきりの夫と自力で生活ができない息子の面倒を見なければならず、かなりのプレッシャーを感じていたが、法輪功を学んだ後、身体が軽やかになり、性格も明るくなった。

 1999年7月、中共が法輪功を迫害した後、武漢現地の派出所の警官は何度も劉さんの自宅にやってきて嫌がらせを働き、3回家宅捜索を行った。劉さん夫婦は十数回も連行され、留置場や洗脳班に拘束された。劉さんは裁判所から懲役8年の重刑を言い渡され、二カ所の刑務所で迫害を受け、年金の支給も停止された。

 一、8年の冤罪を経た劉水生さん 髪は真っ白になり自力で生活ができなくなった

 劉さんは6回連行され、裁判所から懲役8年の実刑判決を言い渡され、洗脳班に5回送られ、留置場に1回拘束され、家宅捜索を3回受けたことがある。劉さんの母親はショックを受けた後、亡くなった。

 2000年10月、劉さんは北京に陳情に行ったが、連行され武漢に戻され、江漢区二道棚洗脳班に15日拘束された。

 2001年、劉さんは江漢区610弁公室、唐家墩通り、香江住民委員会、および派出所などの関係者により自宅から連行され、江漢区二道棚洗脳班に送られ2カ月以上にわたって強制的に洗脳された。

 2002年7月末のある日、唐家墩派出所、江漢区610弁公室、住民委員会などの関係者7、8人が、再び劉さんの自宅まで嫌がらせをするために来たが、劉さんが不在のため、警官らが立ち去った。それ以来、劉さんは家を離れざるを得なかった。

 2003年3月10日、劉さんを含む4人の学習者は資料拠点で、武漢市610弁公室と武漢公安局の警官により連行された。同年12月、劉さんは東西湖区裁判所から懲役8年の実刑判決を言い渡された。その後、前後して湖北省漢陽琴断口刑務所と湖北省沙洋範家台刑務所に拘禁され迫害を受けた。

 範家台刑務所で、学習者は雑草を抜き、レンガ運び、産業廃棄物の掃除、花の刺繍などの強制労働をさせられ、毎晩7時のニュース番組を見ることを強制された。学習者の部屋には14台の二段ベッドがあり、各部屋には録音と録画機能付きのカメラが設置されており、刑務所はすべての動きと発言を監視室で把握できる。

 劉さんが8年の拘禁期間を終えて釈放される前日の2011年3月9日夜10時、江漢区610弁公室の責任者と警官らはロープを持って、パンツだけで裸足の劉さんを車に載せ、江漢区二道棚洗脳班に送った。20日後の3月29日、彼らは劉さんが協力しないという理由で、また劉さんを湖北省洗脳班に送り込んだ。

 劉さんは、刑務所と洗脳班で殴打され、食事に毒を入れるなどの迫害を受けたため、帰宅した時には、髪は真っ白で、歯が緩んで、動きは鈍くなり、身の回りのことも困難になっていた。

 2019年7月、武漢市江漢区社会保障局は、劉さんが法輪功を学んでいることを口実に、劉さんの年金を停止しただけでなく、30万元以上の支払いを要求した。

 このように、中共当局は、当時70歳の劉さんの収入源を直接的に断ち切った。

 二、妻の胡明秀さんが受けた迫害

 妻の胡さんは6回連行され、江漢区の洗脳班に5回送られ、2回拘留され、3回家宅捜索を受けたことがある。胡さんの母親もショックを受けて死亡した。

 1999年10月、胡さんは法律に基づいて陳情するために北京に行った。しかし、北京で連行され、武漢に連れ戻され、鉄の檻に(男女関係なく一緒に監禁する)一晩中、食事も水も与えられず、監禁された。その後15日間、胡さんは診療所と派出所に拘束された。

 2000年3月のある日の夜中の2、3時頃、江漢区610弁公室、唐家墩通り、香江住民委員会、および派出所などの関係者らが、胡さんの家に押し入り、「派出所に行って話がある」と言った。派出所に騙された胡さんは何の理由なく1カ月間拘束された。その後、また江漢区二道棚洗脳班に連れて行かれ、2カ月以上拘禁された。

 2001年、江漢区610弁公室、唐家墩通り、香江住民委員会、派出所などの関係者らは、夫の劉さんを自宅から連行した後、勤務中の妻の胡さんを連行した。その後、警官らは夫婦2人を江漢区二道棚洗脳班に送り込み、同時に家宅捜索を行い、法輪功の書籍、カセットテープ、法輪功創始者の写真などの家財をすべて押収した。胡さんの母親はショックを受けて、体調を崩し、同年の8月中旬に亡くなった。

 胡さんは、不当に拘禁されている夫を度々見舞いに行き、時には息子も連れて行ったが、一度も面会を許可されたことはなかった。

 2005年の夏、胡さんはいつものように琴断口刑務所に行ったが、刑務官は夫の弟にさえ面会させなかった。胡さんが理由を尋ねると、刑務所管理課の警官は、「胡明秀が業務を妨害した」と110番に通報した。琴断口派出所の警官は胡さんを連行し、午前10時から午後3時まで5時間拘束してから自宅に帰らせた。

 もともと健全な家族が中共の迫害により、今、家には知的障害で身の回りのことができない息子だけが残された。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/5/458481.html)
 
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