玄奘の取経:奇跡は正仰から生まれる(二)
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 文/浄向

 【明慧日本2024年1月31日】 (前文に続く)

 盗賊との遭遇

 玄奘はずっと西に向かい、焉耆(えんき)、クチャを経て霊山に入りました。 この山は非常に高く雲に覆われ、山頂は雪と氷に覆われ、山に登ることは困難を極め、夜は氷の上で寝るしかありませんでした。 その後、玄奘は霊山よりも登りにくい大雪山を登り、長安を離れてから一年余りで北天竺に到達しました。

 玄奘は北天竺にしばらく滞在した後、ナーランダ寺院のある中天竺に渡りました。途中に阿耶穆佉国(アヤムカ)を通過しました。 その時、玄奘は舟に乗ってガンジス川を下っていましたが、船が途中まで来た時、突然両岸の林の中から十数隻の盗賊船が飛び出してきました。

 人々は盗賊の姿に恐怖を感じ、多くの者が水に飛び込み、溺れる危険を冒して逃げ出しました。 盗賊たちは舟を取り囲み、皆に服を脱いで持ち物を出すよう要求しました。玄奘は僧侶であり、何もありませんが、盗賊たちは、玄奘を見ると大喜びです。

 玄奘は見た目は立派なので、盗賊たちは邪教を信じていて、秋になるたび一人の男性を殺す必要があったため、彼らは玄奘三蔵が特に気に入ったようでした。今までこんなにいい顔をした男を見たことがなかったので、彼らは玄奘を殺そうとしました。

 そして、ガンジス川の河岸に盗賊たちが祭壇を作り始めました。玄奘は恐れがなく座禅して禅定に入りました。盗賊たちは非常に平和的な彼を見てとても尊敬しました。

 玄奘が禅定に入った後、彼の元神は肉体を離れました。 その時、玄奘は次のように願いました。「もし私が今度仏法を求めて成功しなかったら、私は仏陀の世界に生まれて、天国で仏法を聞きたい。仏法を聞いた後、また地上に生まれ変わって、自分を殺した盗賊たちを済度したい」

 彼はその願を出した後、幾重にも天に上って菩薩を見て喜びました。 彼の元神が佛の世界に到達した時、地上の世界はたいへんなことになりました。

 その時、突然黒い風が四方に吹き荒れ、大木を根こそぎ倒し、砂と土が空一面に舞い上がり、岸辺の船の多くがひっくり返り、海の波は恐怖に襲われました。

 盗賊たちは天と地を怒らせたと感じ、恐怖に陥いりました。 ある者は、この僧侶は決して殺してはならない、これは東方の大唐から経典を求めに来た人だと言いました。

 玄奘はこの時、禅定から目が覚めました。盗賊たちが剣を投げ捨て、そこにひざまずいていました。 玄奘は、盗賊たちの悔い改めを受け入れ、仏法を教えました。悪をあきらめ、奪った宝物は全て、元の所有者に戻し、邪教から解放されるように説得しました。盗賊たちは略奪に使うすべての道具をガンジス川に投げ捨て、玄奘の五戒を受け入れ、悪を捨て善を行うことを決意しました。 結局、玄奘は無事に仏教の聖地・天竺へとたどり着きました。

 ナーランダ寺院に到着

 ナーランダ寺院は古代インドにおける仏教研究の中心地であり、玄奘の旅の目的地でした。ナーランダ寺院の住職は、百歳を超えた戒賢大師で、皆は彼を「正法蔵」と呼んでいました。

 僧侶たちは玄奘に付き添って戒賢に会いに行きました。玄奘は謹んで戒賢の前でお辞儀をしました。挨拶を交わした後、戒腎大師は玄奘に僧侶たちと一緒に座るように求めました。

 戒賢は「あなたはどこから来たのですか」と尋ねました。

 玄奘は答えました。「私は遥か東方の大唐から来ました。目的は大師から『瑜伽師地論』を学んで、東方で仏法を広めるためです」

 戒賢はそれを聞いて涙を流しました。彼の弟子で甥の覚賢を呼んで、戒賢が三年前に病気になったときのことを、玄奘に話して聞かせました。

 覚賢は70歳の僧で、彼はこう言いました:「正法蔵はリューマチに苦しんでおり、発作のたびに痛みがあります。 3年前の発作は特にひどく、生きていたくないほど痛かったのです。 そこで彼は自ら断食しようとしました。彼はこの考えがあってから、突然三人の天人が彼を訪ねて来る夢を見ました。一人は黄金色、一人は濃緑色、もう一人は銀白色です」

 「彼らは正法蔵にこう言いました。『経典には苦行に関する記述があるが、自らの命を絶つことを教える記述はまったくない。 あなたが今こうして苦しんでいるのは、前世であなたが作った罪のせいだ。 現在のために忍耐強く、過去の罪を打ち消すために経典の布教に全力を尽くすべきだ。 そうすれば、来世で同じ苦しみを受けずにすむ』」

 正法蔵は急いで彼らに礼拝しました。その時、金色の天人は濃緑色の天人を指さして、「これは観世音菩薩です」と言いました。 そして、銀白色の天人を指さして、「これは慈氏菩薩です」と言いました。正法蔵は慈氏菩薩に「私はいつも慈氏菩薩の隣に生まれ変わりたいと願っているのですが、可能でしょうか? 」と尋ねました。慈氏菩薩はこう答えた。「仏法を広めることに全力を尽くしさえすれば、あなたの願いは叶うでしょう」

 金色の天人は文殊菩薩と名乗りました。 文殊菩薩は正法蔵に「あなたが自ら絶つことを知っていたので、わざわざ勧めに来たのです。この『瑜伽師地論』をまだ見ていないところに広めさえすれば、あなたの病気は自然に治るでしょう」と言いました。 それから、「あなたが誰かを派遣してこの経典を説かなくても、すぐに立派な唐僧がここにやってきて、あなたの教えを求めるでしょう。 彼は『瑜伽師地論』を持ち帰って広めていきます。 あなたは必ず彼を待って、教えなければなりません」。 そして三人の天人は姿を消しました。正法蔵が夢から覚めると、不思議なことが起こり、その日からリューマチが治りました。

 僧たちは覚賢の話を聞いて皆、とても不思議と思いました。玄奘はさらに悲喜こもごもになり、「これが本当なら、私は全身全霊を傾けて『瑜伽師地論』を学びます」と言いました。

 戒賢は「あなたがここへ来て、出発してからどれだけの時間がかかりましたか」と聞きました。玄奘は数えると、長安を出発した貞観一年の秋から、今貞観三年の秋でちょうど満三年になります。戒賢の夢はそのちょうど三年前のことでした。 このように時空が一致することで、彼らはますますお互いの運命が神の意志であると信じるようになりました。 二人は、この瞬間の出会いが長い時間をかけて準備されたものであること、そして二人が神聖な使命を持つ人間であることを悟りました。

 奇跡の再来

 玄奘もまた、杖林山で2年間、戒賢と並ぶ勝軍論師のもとで学びました。 ある夜、玄奘はとても不思議な夢を見ました。夢の中のナーランダ寺は荒れ果てており、数頭の水牛がつながれているだけでした。 ただ、四重閣にいる金色の神人が突然彼の前に現れました。玄奘は階段を上ろうとしたが、神人に阻まれました。 金色の神人は「私は文殊菩薩だ。あなたはまだ前世の罪を終えていないから、ここに上がることはできない」と言いました。 そして、「外を見て!」と外を指さしました。玄奘が指さした方を見ると、寺の外の空は真っ赤に染まり、村全体が火に包まれています。 玄奘が尋ねようとすると、菩薩が「これから10年後、戒日王が亡くなると、インドでは大きな混乱が起こる。 覚えておきなさい!」と言いました。

 玄奘は夢から覚めると、夢で見たことと文殊菩薩が言ったことを勝軍に話しました。 勝軍は「人間界は本来無常だ。 夢の中で文殊菩薩がおっしゃったことは必ず起こることでしょう。 菩薩がこのように教えているのだから、しっかりやりなさい!」と言いました。

 それから10年後、大唐の特使・王玄策がインドに到着したとき、確かに戒日王は崩御しており、その後、王玄策が兵力を貸して戒日王の反乱軍を捕らえた事件がありました。 これは後世の話です。

 玄奘の経典を求める話は、『西遊記』のような神話のシーンはありませんが、共通点は、玄奘は特別な能力を持ちません。神通力と孫悟空の相違が極めて大きいですが、孫悟空の比べものにならないのは仏法に対する正信です。孫悟空は天宮の馬官として、低い地位を叩きつけられ、嫉妬心が生じ、天宮で騒ぎを起こしました。また、経典を求める過程に、怒りに耐えられずすぐにカッとなってしまいました。 仏法の修煉は心性を説いています。玄奘三蔵法師は仏法に対する正信によって、この世のすべてを放棄することができ、生と死の前に心が動じたことがありませんでした。このような正信こそ、彼が経典を得る道には、何度も何度も奇跡を起こして、最後に真の経典を得ました。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/27/387856.html)
 
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