何度も不当に拘禁され、命の危険にさらされる(1)
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 【明慧日本2024年2月29日】内モンゴル赤峰市巴林左旗四方城郷に住む60代の女性・段学琴さんは、法輪功を修煉しているとして、20年以上も中国共産党の人員に何度も不当に連行され、拘禁されて、残酷な拷問を受け、何度も命の危険に晒されながらも死は免れた。

 段さんは法輪功を修煉する前、大腸炎、胆嚢炎、胃炎、心臓病、肝臓病など様々な病気に苦しみ、毎日痛みに苦しみ、最終的に寝たきりになっていた。1998年、段さんは法輪功を修煉し始め、わずか一カ月余で、すべての病気が奇跡的に消えた。半身不随に近い、常に介護が必要だった段さんは、健康になり、他人の世話ができるようになった。段さんはもう薬を飲む必要もなく、注射を受ける必要もなくなって、家族は他の場所に出稼ぎに行き、幸せな生活を送っていた。 

 労働教育を受け、拷問されて痩せこけて見る影もない

 1999年7.20、中国共産党のトップ江沢民は、共産党と国家機構を利用して、中国全土で法輪功への迫害を発動した。

 2000年1月28日、段さんは公園で煉功したとして当局に連行され、15日間不当に拘束され、家族全員は地元の赤峰市巴林左旗四方城郷に送り返された。

 2000年12月初、四方城郷の政府関係者と派出所の警察官らは、段さんの家に押し入り、嫌がらせをした。段さんは彼らに「善良な人間になるには」という内容の手紙を渡したが、左旗公安局に通報された。

 2001年1月5日夕方、段さんは左旗国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官らに連行され、左旗留置場に送られた。段さんは断食して迫害に抗議した。身体が弱っていたため、医療仮釈放で釈放された。派出所の警官から人民元1500元を強制的に支払わされ、留置場の刑務官に100元の食事代の支払いを強要された。 

 2001年6月13日、段さんと夫は野菜を売りに出かけた。現地の警察官らは、段さんの家を不当に家宅捜索し、法輪功の書籍をすべて押収した。段さんの15歳の娘は「法輪大法は母の病気を治しました」と言ったとして、警官に平手打ちされた。3日後の6月16日夜、警察官らは再び段さんの家に押し入り、段さんとその娘を連行し、15日間不法に拘束した後、段さんを強制労働教養所に送った。

 段さんは女子労働収容所で激しい迫害を受け、胃に穴が開いたため、釈放された。当時、あまりにひどい迫害を受けたため、家族や近所の人たちでさえ、段さんの顔をほとんど認識できなかった。

 帰宅後、段さんは法輪功の功法を煉功して間もなく健康を取り戻した。しかし、地元の役人や派出所の警官らに頻繁に嫌がらせをされていた。

 頻繁に嫌がらせを受け、放浪生活を余儀なくされた

 2002年9月、警官らは再び段さんの家に侵入した。その時、段さんは長女の世話をしていて家にいなかった。警官らは段さんの家をめちゃくちゃ攪乱したり、銃を使って次女を脅したりして、次女の心臓病を発症させた。さらに段さんの夫を連行し、2日間不当に派出所に拘束した。その後、警官らは段さんを長女の家から自宅に連れ戻し、監視下置いた。

 2002年10月14日、警官らが突然、段さんの家に押し入り、段さんを洗脳施設に連行しようとした。段さんは逃げるチャンスをつかんで逃げた。その日の深夜12時頃、20人以上の警官らが段さんの家を取り囲み、家の中も外も探したが段さんは見つからなかった。その後、警官らは段さんの親戚の家をすべて捜索し、そのうちの70代の2人の年老いた親戚が大きなショックを受けた。段さんを連行することができなかった警官らは、代わりに段さんの息子を連行し、派出所に連れて行った。警官らは息子を20回以上平手打ちし、法輪功を修煉しないことを誓う保証書を書くように強要した。

 2003年1月29日(旧正月の直前)、放浪生活をしていた段さんは帰宅した。しかし、夫は中国共産党の強大な圧力に耐えられず、段さんを家に入らせなかった。段さんは再び放浪生活を余儀なくされた。

 拷問されて何度も命の危険に晒された

 2003年2月7日、物乞いをしていた段さんは赤峰市に辿り着いた。2月11日正午、現地の国保の警官らが段学琴さん、田素芳さん、周彩霞さん、鄭蘭鳳さんなどの法輪功学習者を連行し、留置場に入れ、尋問と拷問を行った。段さんは氏名と住所の提出を拒否したため、警官に殴られ、右肩と左足に重傷を負った。段さんは迫害に抗議するため断食を行ったが、毎日7、8人の受刑者に強制的に灌食され、歯をのこぎりのように無理やり削られた。ある日、江という刑務官が段さんに塩を入れたラーメンを食べさせた。段さんは胃に刺激を受け、吐血した。また、強制灌食の後、受刑者が段さんを独房に連れて帰えり、ベッドに放り投げた。段さんは足に骨が突き刺さるような激痛が起きた。18日間拷問の後、段さんは死の淵に立たされ、その時、警察は段さんの家族に通知し、段さんを家に連れて行った。

 一カ月後、段さんの健康状態がまだ回復していないまま、警官らに再び連行され、紅山区留置場に収容された。段さんは路上でずっと吐血していた。留置場に到着すると、女性刑務官が2人の男性受刑者に指示して、段さんに無理やり灌食した。翌日、刑務官は金属で段さんの頭を押しつけ、「食べるのか、食べないのか」と聞いた後、スタンガンで電気ショックを与えた。その後、段さんは何度も病院に運ばれ、チューブで強制灌食された。チューブが挿入されるたびに、段さんは何度も吐血し、死ぬほど嘔吐し、毎回1キロ以上の血を吐いた。

酷刑演示:死人床(呈“大”字型绑在抻床上)

拷問のイメージ図:死人ベッド(大という文字の形で縛り付けられる)

 紅山区の留置場では、刑務官が半月も段さんを「死人ベッド」に縛り付け、腕の筋肉を萎縮させ、植物人間同然にした。監視役の受刑者らは、段さんの顔に唾を吐きかけたり、手錠で縛られた腕を殴ったり、体を無防備な状態にしたり、胸を激しく殴ったりした。刑務官は、受刑者らの暴行を褒めた。受刑者らはまた段さんに目を開けないようにした。目を開けると、すぐに殴られた。

 長時間足かせをされていたため、段さんの全身は硬くなり、正常な排泄ができなくなっていた。しゃがむこともできず、ひざまずいて排便するしかなかった。排泄が終わらないうちに、監房に引きずり戻されることもあった。段さんはやせ衰えるほど拷問され、命の危険に晒された。結局、警察は段さんを病院に連れて行き、段さんは胃出血と診断された。段さんの死を恐れた警察は、自宅に釈放した。

 2003年から2005年まで、左旗「610弁公室」の警官らは段さんに対する嫌がらせをずっと続けていた。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/24/473570.html)
 
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