ハルビン市の徐文英さんの不当裁判が行われる
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 【明慧日本2024年6月1日】黒竜江省ハルビン市の法輪功学習者・徐文英さんは、5月20日午後、ハルビン市鉄道運輸裁判所で裁判が行われた。裁判では弁護士2人が法律に基づき、徐さんの無罪を弁護した。その途中、裁判官に何度も話を中断された。徐さん本人も自己弁護をした。

 裁判は約3時間にわたって行われたが、当日、裁判の結果は宣告されなかった。開廷する前、徐さんの娘は傍聴することを求めたが、裁判所側に、審理する案件は公開しないとの理由で拒否された。

 徐さんは2023年12月13日朝、ハルビン市鉄道公安処の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に賃貸の家から連行された。警官らは家宅捜索し、大量の私物を押収した。その後、徐さんはハルビン市第二留置場に拘禁された。情報筋によると、連行を実施する前、国保の警官は長い間、徐さんを尾行、監視をしていたという。

 中国共産党当局が法輪功迫害を開始してから、徐さんは様々な迫害を受けていた。2000年12月から2001年3月まで、3カ月間拘留された。徐さんは迫害から免れるため、3歳の娘を連れて放浪生活を余儀なくされた。2004年、連行された徐さんは懲役7年の判決を言い渡され、黒竜江省女子刑務所に送り込まれ、非人道的な虐待を受けた。

 徐さんの夫・呂蒙新さんは東北林業大学の講師だった。呂さんは1999年10月10日、北京に行き、法輪功迫害を停止するよう求めた。しかし、警官に連行され、ハルビン市動力公安分局により拘留され、16カ月後、呂さんは動力区裁判所から懲役3年の実刑判決を下された。拘留される間、呂さんは猛打され、ご飯を少量しか与えられないため、やせ細った。拘留所の衛生状況が悪いので、全身が疥癬になった。2001年3月31日、呂さんはハルビン刑務所に送られた。迫害に抗議するため、断食したが、強制的に灌食を行われた。

 2005年4月3日朝、呂さんは再度連行された。当時、呂さんはハルビン市省政府の前の広場に法輪功迫害を引き起こした江沢民の写真があり、それを取り除こうとしたが、武装警官に連行され、動力区留置場に拘禁された。その後、2年の判決を下された呂さんは、肺の病気で刑務所側に入所を拒まれた。

 2006年2月27日、呂さんは万家労働教養所で迫害により死亡した。当時、娘は5歳だった。父は迫害され亡くなり、母は刑務所に拘禁されているため、両親の親友の元に行き、育ててもらうことになった。幼い頃の経験で、娘はいまだに心の傷が残っているという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/26/478028.html)
 
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