文/カナダの大法弟子
【明慧日本2024年9月9日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
毎回法会で文章を書き、自分の修煉体験を分かち合うことは、自分自身の修煉を振り返るための大切な機会であり、法の要求に応えることでもあります。そして、何よりも師父に最も喜んでいただけることだと理解しています。毎回法会で同修の話を聞く度に、私は多くのことを学んでいます。私の体験が、同修の修煉の励ましの力になれば幸いです。
モントリオールでの神韻2024年公演のチケット販売促進活動で経験したことについて、皆さんと分かち合いたいと思います。
一、修煉は非常に厳粛なことである
チケット販売の修煉環境で、同修に対する執着心を持っている自分に気づかされたことが何度かありました。
師父は『轉法輪』の中で「みんなが和気藹々で、そこに坐っているだけで、功が伸びるなどということがありえますか?」と説かれました。そのため、同修たちと協力することで、自分の執着心を見つけ出し、取り除く機会を得ることができました。
例えば、ある時、私は同修が神韻のチラシを配って紹介しているのを見て腹が立ったことがありました。彼女の紹介は、表面的なもので、少し雑だと感じたからです。そのため、私はチラシ配りに集中できませんでした。冷静になってから「自分はなぜこんなにいら立っているのか?」と内に向けて探しました。その同修の配り方が自分と違うからといって、彼女が仕事をしていないと判断するのは、おかしいのではないでしょうか? 私は、自分の基準で他人を測っているのではないでしょうか? 私は、他人を評価することに固執し、傲慢になっていることに気づきました。自分は他の誰よりも優れていると考えていたのです。良い面から見ると、この同修はチケット販売のために多くの時間と労力を費やしており、衆生を救い済度したいという誠実な心を持っていることがわかります。それでは、なぜ私は、その同修の方法が自分と違うからといって、頭に来るのでしょうか? その同修に対するネガティブな考えを捨てた時、誰かが近づいてきて私からチラシを受け取ろうとしましたが、私はその人の言っていることがまったく理解できませんでした。その時、その同修がその人に神韻についてさらに詳しく説明してくれました。その人はチケットを購入しました。私は「自分のネガティブな物質場が消え去ると、衆生は救われる機会を掴むことができるようになるのだ」と理解しました。
私は「神韻の販売促進活動に参加する時、私のすべての考え方は非常に厳粛でなければならない」ということに気づきました。少しでも間違えれば、誤った道に入り込み、衆生を救い済度するという狭い道を外れてしまうことになります。
ある時、1人の女性が急いでチケットを買いに来ました。同修がその女性のためにチケットを発券している時、私は少し離れたところからスマートフォンを取り出して、その瞬間の写真を撮りました。その写真を他の同修に送って、チケット販売の成功の喜びを分かち合おうと思ったのです。しかし、その女性はチケットを購入せずに帰ってしまいました。なぜなら、彼女にはメールアドレスがなく、購入手続きを完了することができなかったからです。私たちはその女性に、家に帰って専用の電話番号に電話してチケットを購入するよう勧めました。後になって、これは師父の按排に合致していないと感じ、すぐに内に向けて探ししました。そして、自分の歓喜心と結果に対する執着が、負の物質を生み出し、その人がチケットを購入するのを妨げたことに気づきました。
もう一つ印象に残ったことがあります。ある日、私たちのオンライン販売システムにアクセスできなくなり、それがチケット販売に大きな影響を与えました。その日、その場にいた3人の同修はすぐに正念を発して内に向けて探し、そして交流しました。交流の過程で、私はその日外出する前に服を選ぶのに多くの時間を費やしたことを思い出しました。表面上は仕事のためでしたが、心の奥底では名声と外見への執着があったのです。私は、もっとスリムで魅力的に見られたいと思っていたのです。私たちが交流し、執着を見つけて放下したところ、チケット販売システムが正常に戻りました。この出来事は、私の仕事がいかに厳粛なものかということを、改めて私に気づかせてくれました。私はさらに「弟子たちが自分の執着に気づき、それを正すことができた時、師父は大きな法力を現し、旧勢力が私たちを妨害し続けるのを阻止できるのだ」ということに気づきました。
師父は「人間が神になる、これは歴史上かつてなかったことで、厳粛でなくても良いのですか?」と説かれました。(『大法修煉は厳粛である』)
二、自分の観念を正し自分の限界を克服する。
チケット販売の時に、多くの人が市内在住ではない、または価格が高いという理由でチラシを受け取ろうとしませんでした。私は「彼らがチラシを受け取ってくれるように、私は何ができるだろうか?」と自問しました。
ある時、私たちのブースの隣には、カールアイロンを売っているブースがありました。ある同修が、このカールアイロンを買おうかと悩んでいて、私に意見を求めてきました。私は何も考えずに「私ならそれを買いません。なぜなら、とても高価で、しかも効率が悪いからです。それを買った人が、本当に頻繁に使うかどうか、私は疑わしいです」と言いました。そのように話している時、私は突然「神韻のチラシを断る人たちと、自分は何も変わらないのだ」と気づきました。なぜなら、私はまだ利益にこだわっていて、値段のことを考えていたからでした。私は他人を評価したり見下したりする傾向があって、カールアイロンを買う人は無駄遣いだと考えていました。私は物事の本当の価値に目を向けるべきで、値段で判断すべきではありませんでした。
このことに気づいてから、誰かがチケットが高いという理由でチラシを受け取らない時に、私はその人たちに「芸術的な価値と公演の素晴らしさを考えると、この価格は全く妥当です」と伝えました。神韻公演を見た後、私たちが得たものは、値段を付けられないほど価値のあるものでした。もし誰かが遠くから来たと言ったら、私は笑って「この公演を見たくてわざわざ外国から来た人もいるんですよ。2時間の車での移動は遠くありません」と言いました。私がこのように言うと、人々は皆、神韻についての私の紹介を聞き、そしてチラシを受け取りました。このことは、人々の言い訳は全て虚像であり、その言い訳はただ私の心の状態を映し出しているだけなのだ、ということを私に悟らせました。
師父がなさっていることは、どんな神もしたことがないことだ、ということに私は気づきました。私は大法弟子です。私は自分の固定観念を破らなければなりません。私が神韻のチケットを販売する過程で、このような経験が何度かありました。
最初の体験は、公演を積極的に見に行こうとは思っていない人が、礼儀正しさからチラシを受け取ったという話です。私がさらに詳しく説明しようとした時、その人はユーモアを交えて「ただ君と話がしたかっただけだよ」と言いました。もし普段の私なら「これは縁がない」と思ったでしょう。しかし、私はこの考え方を打ち壊したかったし、このような按排を受け入れたくありませんでした。私はその人に「もしあなたが私と話したいのなら、どこかで座って話しましょう」と言いました。その人は驚きを感じたようでしたが、それでも好奇心から私の提案を受け入れました。会話の中でその人は公演の話には興味を示さなかったので、私は中国の伝統芸術の話に移りました。私たちは宇宙について、神への信仰について、そして輪廻転生について話し合いました。「輪廻」という言葉を聞いた時、その人は「私はある人から話を聞いたことがあるのですが、私の前世は軍人だそうです」と言いました。その人は「信じられない」と思ったそうです。私はその人に「人の命は一度だけではありません。全ては運命づけられていて、今回の出会いも偶然なんかではありません」と言いました。その人はしばらく考え込み、私の言ったことは真実だと認めました。なぜなら、彼は普段、公演を見に行ったりするのは好きではなかったからです。しかしその日は、他の場所では手に入らない釣り道具を探しに来たのですが、残念ながら見つけることができませんでした。私は笑ってその人に「あなたは釣り道具を探しに来ましたけれども、見つけたのは神韻でしたね」と言いました。話が終わった後、その人はカバンの中から私が渡した神韻のチラシを取り出しました。その人は「公演を見に行こうか、もう一度考え直してみます」と言いました。
二つ目の体験は、ある日、大勢の人と一緒にある場所で休憩していた時のことです。ある男性が座っているテーブルの上に、2枚のチラシが置いてありました。私は「あれは彼のものではない」と思いました。しかし、その男性を見てみると、他の人たちのようにスマホを見ておらず、食事に集中していました。その男性はとてもゆっくり食事をしていました。私は「彼は私が来るのを待っているのだ」と思いました。私は師父にお導きをお願いし、その男性に近づき、テーブルの上の2枚のチラシが彼のものかどうかを尋ねました。すると彼は「違います」と言いました。私は「できればそのチラシを返してほしいのですが。ずっとチラシを配っているのですが、チケットが売れていないのです。この公演のことを聞いたことがありますか?」と尋ねました。その男性は首を横に振りましたが、私の話を聞くことには同意しました。
師父は私の知恵を活性化させてくださり、私の言葉は泉のように勢いよく湧き出てきました。チラシには長い白絹の袖の演目の写真しか載っていなかったので、私はその男性に自然の摂理について話しました。そして「善」というものは、水のように常に流れ続け、どこでも存在するものだ、と説明しました。私はさらに「この演者には内なる力が隠されています。なぜなら、あの長い袖を下ろすためには、相当な力が必要なのに、外見は非常に穏やかだからです。これはまた、中国の古代文化における女性の、強くたくましい性格を表しています」と話しました。その時、私は「寒窯:忠貞の志の物語」という神韻の演目を思い出しました。ひとりの女性が夫を18年間待ち続けたという、一見弱々しく見える女性が、実は強い意志を持っているという典型的な例でした。その男性は「これは本当に深い意味を持つ文化ですね」と言いました。その男性はチラシを1枚受け取りました。その年の公演には「寒窯」という物語を題材にした演目が一つありました。私はその男性がこの機会を逃さないことを願いました。
三つ目の体験は、私がガソリンスタンドの前を通った時に、2人の若者が一生懸命タイヤに空気を入れているところを見た時のことです。サービスステーションの空気入れが使いにくいようでした。私の車には自動の空気入れがついていたのですが、最初、私はとにかく目的地まで急ぎたいと思っていました。しかし、私は「GanJingワールド」の「善良であることはかっこいい」というコンテストのことを思い出しました。私たち大法弟子こそ、日常生活の中で善良さを示すべきなのではないでしょうか? タイヤの空気入れ、これもまた、法を実証する方法の一つです。私は2人の若者に近づき「手伝いましょうか」と申し出ると、彼らはすぐに「はい、お願いします」と言いました。タイヤに空気が入るのを待つ間に、2人の若者に神韻のチラシを渡すことができました。若者の1人が感嘆して「フェイスブックで広告を見て、この公演をすごく見たかったんです!」と言いました。私たちの出会いが、2人の若者が抱いている神韻に対する良い印象をさらに深め、チケットを購入して観に来てくれることを願いました。
三、自分を正し大法の奇跡を体験する
弟子たちが試練を乗り越え、自己を正した時、慈悲深い師父は私たちに神聖な奇跡を見せてくださいました。そして、その瞬間、状況は一変しました。私が深く理解したのは、自分ができるのは、ただ自分自身を修めることだけだ、ということでした。チケットの売れ行きは私の力ではどうすることもできません。しかし、師父が示してくださった二つの出来事を通して、私はその結果を見ることができ、深く感動しました。
最初の出来事は、最初に話した女性のことですが、メールアドレスを持っていないためにチケットを購入できなかったという件です。その時、私は歓喜心から、衆生を救うという使命において、重大な過ちを犯してしまったことに気づきました。
私が参加した最後の販売促進活動の最終日、2人の女性が私たちのブースに来てチケットを購入しました。1人の女性について私は「どこかで会ったことがあるかもしれない」と思いました。私たちがメールアドレスを入力している時、その女性はメールアドレスを持っていないと言いました。そのため、彼女の友人がメールアドレスを貸してくれたので、彼女はチケットを購入することができました。その時、私はその女性が最初の販売促進活動でチケットを購入できなかった女性だと気づきました。師父の慈悲深さに心から感謝申し上げます。今回の経験を通して、劇場のどの席に座るのかはすべて運命づけられているのだと、はっきりと理解しました。なぜなら、その女性は未来の宇宙へのチケットを見つけたのです。
最後に、師父が私に与えてくださったもう一つの体験を、同修の皆さんと共有したいと思います。ある時、ある男性にチラシを渡したところ、彼は2009年から神韻のことを知っていると言いました。その男性は、当時アメリカにいて、ある劇場の前を通りかかった時、暑い日だったので、開け放たれたドアからオーケストラがリハーサルをしている音楽を聞いたのだと言いました。それは純粋で崇高な音楽で、その男性に深い印象を与えました。15年後の今も、その男性はその時のことを鮮明に覚えていました。私はその男性が神韻と縁があると感じました。私たちはたくさんのことを話しました。しかし、その男性は「まだチケットを買うかどうかは決めていない」と言いました。私はその男性に無理強いすることはできないので、もしチケットを買いたいと思ったら、専用の電話番号に電話するように、と伝えました。その男性はチラシに私の名前を書きました。その男性が私たちとの会話で頻繁に「慈悲」という言葉を使っていたため、私は彼に大法の真相が書かれた蓮の花を贈ることにしました。もし彼が今年、公演を見る機会がなかったとしても、少なくとも大法を知ってもらうことができると思ったからです。その時、私のカバンの中には紫色の蓮の花1輪しか残っていませんでした。するとその男性は、紫色が一番好きな色だ、と言いました。私は、その男性が蓮の花をコートの内ポケットにとても丁寧にしまい込む様子を見守っていました。私はその男性の様子を見て嬉しい気持ちになりました。
その男性についてはこのような状況だったのですが、ある日、神韻公演が始まる数時間前、電話対応を担当している同修からメッセージが届きました。ある男性がコールセンターに電話をかけてきて、私が神韻公演を勧めたことに感謝していて、その日の夜に観に行く予定だと伝えたとのことでした。
さらに驚くべきことに、休憩時間に劇場のロビーで、その人が私だと気づいて声をかけてきたのです。本当に感動しました。公演が終わった時、その人は私の数列前方に座っていて、最初に立ち上がって拍手をしていました。慈悲深い師父の按排により、私は、ある1人の人が神韻によって救われる様子を直接目にすることができました。
法会の円満な成功を心よりお祈り申し上げるとともに、同修の皆さんが正念をしっかりと守り、精進を重ね、より一層協力して、師父への誓いを果たすことができることをお祈りいたします。以上は、現在修煉している私の次元での理解に基づいた内容です。もし法に則っていないところがありましたら、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いいたします。
師父、ありがとうございます!
同修の皆さん、ありがとうございます!
(2024年カナダ法輪大法修煉体験交流会の発表文章)
(編集責任者:任嘉)