「寒露」は潤す:遠く芳草を求め、高台に上って秋の風情を味わう
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 【明慧日本2024年11月10日】「紫葛蔓黄花,娟娟寒露中」。唐詩『斎心』[1]のこの詩句は、秋の深まりとともに、寒露の節気が訪れたことを表現しています。草花に宿る露は冷たくなり、やがて霜となる頃、涼しさから寒さに移り変わる頃を示しています。

 「寒露」は、二十四節気の第十七節気であり、秋の第五節気でもあります。太陽が黄経195度に達する時で、毎年のグレゴリオ暦で10月8日から10日頃にあたり、2024年の寒露は10月8日から始まりました。

 『暦書』には「斗指南甲為寒露,斯時露寒而冷,将欲凝結,故名寒露(斗は南甲を指し寒露となる。この時、露は冷たくなり凝結しようとしているため、寒露と名付けられた)」と記されています。

 『月令七十二候解集』には「九月節,露気寒冷,将凝結也(九月の節、露の気は冷たくなり、やがて凝結する)」とあります。

 寒露は、二十四節気の中で最も早く「寒」の字が登場する節気ですが、冬のような寒さを意味するわけではありません。この時期は「白露」の時期よりもさらに涼しく、露の量が増え、夜間には地面に白く輝く露が凝結して霜となる寸前であり、冷気を感じるものの、まだ冬の寒さに入るわけではありません。

'“寒露”气温较“白露”时更凉,露水更多,“凝空流欲遍,润物净宜看”[2]。(瑞士法轮功学员摄影作品)'

“寒露”の時期は“白露”の時期よりもさらに涼しくなり、露の量が増える。“空に凝り流れて広がり、万物を潤し清らかにする様子が美しい”[2]

 北方ではすでに深い秋の景色が広がり、時折早霜が見られます。南方でも秋の趣が深まり、涼しくて乾燥してきます。2024年の重陽節は10月11日であり、まさに「遙尋芳草行(遠く芳草を求めて歩き)」[3]、年長者を連れて高台に登り、秋の趣を楽しむ絶好の時期です。

寒露の特徴:秋意濃九降起(秋の気配が濃くなり、九降風が始まる)

 “涼しいそよ風が吹き、寒々と寒露が凝結する”[4]。寒露は、涼しさから寒さへと移り変わる転換点です。寒露以前の秋には涼しさがあり、寒露以降は本格的な寒さが感じられるようになっていきます。その後、次の節気である『霜降』が続き、この時期は気温が下がり続け、晩秋からまるで滑り台のように冬に滑り込んでいきます。

寒露三候(初候:鴻雁来賓(こうがんらいひん),

次候:雀入大水為蛤(すずめたいすいとなりかいとなる),

末候:菊有黄華(きくきいろはなをつける))

詠廿四気詩・寒露九月節

寒露驚秋晩,朝看菊漸黄。 

千家風掃葉,万裏雁随陽。 

化蛤悲群鳥,収田畏早霜。 

因知松栢志,冬夏色蒼蒼。

日本語の意味は

寒露驚きて秋も深まり、朝に見る菊は次第に黄色く。

千家は風に葉を掃き、万里の空には雁が陽を追って飛ぶ。

蛤に化けるという伝説に悲しむ群鳥、田を収穫する者は早霜を恐れる。

この時、松や柏の志を知る。冬も夏も、その色は変わらず蒼々としている。

 唐代の詩人元稹(げんしん)のこの詩は、“寒露三候”を非常に生き生きと解釈しており、まるでその場にいるような臨場感があります。

 初候:鴻雁来賓:仲秋の白露の頃から、続々と雁が南へ向かって飛び立ちます。季秋の寒露になると、最後の一群が一列やV字の隊列をなして大規模に南へ渡ります。

 次候:雀入大水為蛤:寒露の第五日前後、深秋の寒さで雀が姿を消します。古代の人々は、海辺に突然たくさんの蛤が現れるのを見て、その貝殻の模様や色が雀に似ていることから、雀が蛤に変わったと考えました。

 末候:菊有黄華:寒露の第十日前後、黄菊が咲き始めます。『礼記』には「季秋の月に菊が黄花をつける」という記載があります。

'寒露的第十天前后,黄菊盛开。(清 庄瑗《人物画卌・册・高士移菊图》,台北故宫博物院)'

寒露の第十日前後には、黄菊が咲き誇ります。(清代 庄瑗『人物画卌・冊・高士移菊図』、台北故宮博物院)

九降風

 中国の俗語に『九月には九降があり、禿頭の子は隠れる場所がない』という言い回しがあります。また、康熙年間に陳文達が編纂した『台湾県志』には『九月、北風が厳しく、日に日に強まり、これを九降風と呼ぶ』と記されています。九降とは九降風のことを指し、寒露の時期、台湾北部ではちょうど北東季節風が強まり、強い北風が禿頭を隠す帽子を吹き飛ばしてしまうという意味です。

 九降風は身にしみる寒さをもたらしますが、寒露の時期、台湾北部の新竹県北埔、新埔、関西周辺では柿の収穫期を迎え、柿干や柿餅を作るにあたって、九降風がちょうど良い助けとなります。

 秋に柿を食べると、心臓の健康に効果があります。中医学の観点から見ると、柿は性質が寒性で、甘みがあり、肺を潤し咳を和らげる効果があります。

 また、俗語では『寒露飯を食べると、薄着の男は少なくなる』、『寒露を過ぎたら足を露出してはいけない』といわれています。年配の人たちは『寒は足から生じる』ともよく言い、寒露を過ぎたら体を温め、特に足を保護することが大切だとされています。

寒露の習俗

登高して秋を楽しむ

 寒露は登高(小高い山等に登る)して秋の風景を楽しむのに絶好の時期です。高台に登り、遠くまで見渡すと、金色の秋が山全体を覆っています。俗語で「登高して秋の鬱を解く」と言われているように、登高は心身をリフレッシュする効果のある一つの習慣となっています。寒露は重陽節に近いため、この習慣は次第に重陽節に移行しました。重陽節での登高の習慣は漢代に由来し、もともとは邪気を払うためのものでした。

 陰陽の変化に基づいて、中国の古代の人々は「山は陽、沢は陰、高い場所は陽、低い場所は陰」と考えていました。高い場所は陽気が盛んな場所であり、秋に登高することで陽気を集めることができるとされていました。西洋医学の観点から見ると、登高は肺活量を増やし、風邪の予防にも効果があります。総じて、登高して景色を楽しむことで秋の憂鬱を解消し、心身をリフレッシュする素晴らしい効果があります。

菊を鑑賞

 寒露の時期にあたる黄暦の9月は「菊月」とも呼ばれ、菊の花が咲き誇る季節です。春や夏に咲く多くの花とは異なり、菊は霜が降り寒露が重なるほど美しく咲きますが、決して派手ということはありません。菊は寒露を象徴する代表的な花であり、至るところで見ることができます。この時期、人々は菊の花を鑑賞し、菊茶や菊酒を楽しむのが風流とされてきました。

 宋代の文人、宋姚寛の『西渓叢語』では、菊を「寿客」と呼び、長寿の象徴としています。重陽節はちょうど菊の花が咲き誇る時期であり、登高すると寿命が延びるとされていたため、重陽節は「菊花節」とも呼ばれるようになりました。

'寒露到来的黄历九月又称菊月,是菊花盛开的季节。(清 恽寿平 《瓯香馆写生册・菊花》,公有领域)'

寒露の訪れる黄暦の9月は菊月とも呼ばれ、菊の花が咲き誇る季節です。(清代 恽寿平『瓯香馆写生册・菊花』、パブリックドメイン)

花糕(かこう)やゴマを食べる

 寒露は重陽節と時期が近いため、登高した後に花糕(菓子)を食べる習慣があります。“高”と“糕”が同音であることから、花糕を食べることは「ますます高く昇る」ことを意味しています。

 古人は「秋の乾燥には、麻(ゴマ)を食べて乾燥を潤すのが良い」と言っています。気候が徐々に乾燥し寒くなるにつれて、民間では「寒露にはゴマを食べる」習慣があります。ゴマは甘く平性であり、『神農本草経』や『本草綱目』などの医学書でも高く評価されており、肝腎を補い、五臓を潤し、血圧を下げ、喘息を和らげ、咳を止め、肌を潤し、老化を防ぐ効果があります。また、腸を潤して便通を良くする効果もあります。中医学ではゴマを頭のふらつき、虚弱、白髪、便秘などの症状を改善するためによく用います。

寒露の養生

 中国の古人は「天人合一」を重んじており、人と自然は一体であると考え、一年四季の気候の変化が人体のバイオリズムに影響を与えると信じていました。飲食や生活リズムは、季節の変化に従って調整するべきとされています。

 中医学の観点から見ると、寒露の時期、特に南方の気候の大きな特徴は、「燥邪」(乾燥による邪気)です。この燥邪は最も肺や胃を傷めやすいとされています。この時期、人の汗の蒸発が速く、肌が乾燥し、シワが増え、口や喉が乾き、乾いた咳が出て痰が少なくなることがよく見られます。さらに髪の毛が抜けたり、便秘になったりすることもあります。したがって、この時期の養生の重点は、陰を養い乾燥を防ぎ、肺を潤し胃を助けることです。

 食事は「酸、甘、潤」を基本とし、辛温(からく温かい)性質の発散性のあるものは少なめに取るべきです。中医学では、五味の中で酸味と甘味は陰を養い、口水を生じさせる効果があるとされています。このため、補中益気の効果がある粥や、もち米、ゴマ、ニンジン、白木耳(しろきくらげ)、ハスの実、山薬(ヤマノイモ)、レンコン、菊花、カニなどの柔らかく潤いを与える食べ物を多く摂取することが勧められています。また、鶏肉、アヒル、牛肉、豚の肝臓、魚、エビ、ナツメ、山薬などを摂取して体質を強化します。一方で、唐辛子、生姜、ネギ、ニンニクなどの辛い食べ物は内臓機能を傷つけやすいので、少量にするべきです。

 寒露の時期には、風が吹いて葉が落ち、深秋の物寂しい景色が人に悲しみを与えやすく、感情に影響を与えて気分が落ち込みやすくなり、食欲不振や気力がわかない状態に陥ることがあります。これによって日常生活に支障が出ることもあります。この時期には休養を優先し、激しい運動は避け、睡眠時間を増やすことが勧められます。

 また、俗に「登高して秋の憂鬱を解く」と言われるように、陽光の豊かな戸外で山登りをしたり、草原でのんびり話したり、あるいは緩やかな運動で心身をリラックスさせ、楽観的で広い心を養うことができます。

'寒露时节,正值九九重阳节,携长辈爬山登高或草地闲聊或進行舒缓锻炼,是放松身心好时节。(清 张若霭《墨妙珠林(卯)・册・寒露》,台北故宫博物院)'

寒露の時期は九九重陽節にあたり、年長者を連れて山に登ったり、草原でのんびり話したり、または軽い運動を行ったりするのに良い時期です。心身をリラックスさせる絶好の季節です。(清代 張若霭『墨妙珠林(卯)・冊・寒露』、台北故宮博物院)

重陽節の敬老

 重陽節には多くの民俗的な風習があります。例えば、邪気を避け災いを祓う、登高して遠くを見渡す、菊の花を観賞する、茱萸(しゅゆ)を挿すなど、いずれも天地を敬い、老人の無事と健康を祈る意味が込められています。賢者を尊び、老人を敬うことは中華民族の美徳であり、「羊は跪いて乳を飲む恩を忘れず、カラスは親に餌を返す義を持つ」とされ、孝行を尽くすことは当然の義務とされています。

 しかし、現実の生活では、「孝行を尽くす」ことが現代の人々にしばしば軽視されることがあります。場合によっては、老人を養うことが原因で法廷に持ち込まれることさえあります。しかし強制的な法律では、人の心を変えることはできません。

 その一方で、この喧騒の世の中には、心からの善意を持ち、平凡な生活の中で並外れた孝行を示している人たちがいます。そんな方々に向けて、アルバム『幸福家庭シリーズ』をお勧めします。ご家庭が幸せで、喜びに満ちますよう願っています。

注釈:

[1]『斎心』(唐)王昌齢:

女蘿(じょら)覆石壁,溪水幽蒙朧。紫葛蔓黃花,娟娟寒露中。朝飲花上露,夜臥松下風。雲英化為水,光采與我同。日月盪精魄,寥寥天宇空

[2]『月夜梧桐葉上見寒露』(唐)戴察:

蕭疎桐葉上,月白露初団。滴瀝清光満,熒煌素彩寒。風揺愁玉墜,枝動惜珠干。気冷疑秋晩,声微覚夜闌。凝空流欲遍,潤物浄宜看。莫厭窺臨倦,将晞聚更難。

[3]『送槐広落第帰揚州』(唐) 韋応物:

下第常称屈,少年心独軽。拝親帰海畔,似舅得詩名。晩対青山別,遥尋芳草行。還期応不遠,寒露湿蕪城。

[4]『池上』(唐)白居易:

嫋嫋涼風動,凄凄寒露零。蘭衰花始白,荷破葉猶青。独立棲沙鶴,双飛照水蛍。若為寥落境,仍値酒初醒。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/7/483670.html