【明慧日本2024年11月17日】河北省遷安市の法輪功学習者(以下、学習者)・聞慶芳さん(58歳女性)は、遷安市裁判所から懲役3年の不当判決を受けた後、2023年12月に石家荘女子刑務所に送られ第14監区に拘禁された。刑務所で聞さんは、法輪功を信じ続けたため、警官や受刑者に残酷に殴られた。その末、両足が歩けなくなったが、毎日、強制労働を強いられ、食べ物を少ししか与えてくれない状態である。
イメージ図:中共の刑務所での強制労働 |
2025年7月31日に聞さんは拘禁期間が終わるが、これから、またどんな苦痛を与えられるだろう?
聞さんは、遷安市住宅と都市農村建設局の職員である。1998年4月から聞さんは法輪功を修煉し始め、暫くして、患っていた乾癬、無気力、過眠症などの頑固な病気から回復した。聞さんは法輪功創始者にとても感謝している。しかし、1999年7.20から、中国共産党(以下、中共)の江沢民グループは法輪功迫害を起こした。そのため、聞さんは当局に繰り返し連行され、拘禁された。
以下、聞さんは受けた迫害の一部である。
何度も連行され拘禁され、拷問を繰り返し受け、障害を負った
1999年7月20日、聞さん親子は法輪功のため、北京の宗教管理局に行き、陳情したが、遷安市公安局の警官によって地元に送還され、勤め先で半月拘禁された。それ以来、聞さんは集中的に迫害を受けた。
2000年7月、聞さんは、警官に連行され、家宅捜索をされた。聞さんは留置場で半月拘禁されたが、その間、今の公安局の副局長・彭明輝に殴打された。その後、保証金5000元を支払わされ、帰宅できた。
2000年12月21日、聞さんは会社の人によって洗脳班に送られた。洗脳班で聞さんは「転向」を拒否したため、留置場に移送され、スタンガンで電気ショックなどの拷問を受けた。1カ月間拘禁された後、洗脳班に戻された。洗脳班で1年7カ月拘禁されていた。洗脳班から帰宅した聞さんは給料の全額を差し押さえられた。
2006年2月25日、「中共両会」(全国人民代表大会と中国人民政治協商会議全国委員会会議)を開く前、聞さんは国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下。国保)の警官に自宅から連行され、1カ月近く留置場に拘禁された。その間、聞さんは断食して迫害に抗議を行ったが、警官、刑務所の医者、6、7人の受刑者に押さえられて、不明な薬物を輸液された。その結果、手足や内臓に耐えがたい痛みが出て、右足は感覚を失い、体が非常に衰弱した状態になった。それで、留置場側が聞さんを解放した。
家族は聞さんを病院に連れて行き、診察を受けさせた。地元の病院の医者は「中枢神経系壊死だ。終身障害だ」と言った。それから半年以上、聞さんは自分の身の回りのことができず、車椅子に乗り、階段の上り下りは人に背負ってもらうしかなかった。聞さんが一生不自由になることを心配し、兄夫婦は、お金を出して大病院の有名な医師を訪ね、聞さんに治療をさせようと決めた。しかし、聞さんは兄夫婦に「いいえ、私は大法を信じる」と言って、 毎日、法を学び、功を煉り続け、6カ月余りで、自分の身の回りのことができ、歩けるようになった。これは現代医学では説明できない奇跡を起こしたといえる。自由に歩く聞さんの姿を見て、事情を知っている医師たちは驚いた。
2007年9月28日、中共の第17大会の前、公安局の国保の警官は聞さんの家に行き、家宅捜索し、聞さんを洗脳はんに連行した。洗脳班で聞さんは断食して迫害に抗議したが、灌食をされた。26日後に帰宅した。
2008年の北京五輪前、勤め先が聞さんに出勤するようにと連絡した。実際は聞さんを監視するためだった。仕事をよくやっているが、毎月、800元の生活費しかもらえなかった。2012年の前半に生活費が月に1300元に上げ、後半に1500元になったが、実際、4000元をもらえるはずだった。長期的な経済的迫害で、聞さんと娘の生活が困難になった。
2015年12月15日午前10時ごろ、聞さんは学習者・万永紅さん、周秀霞さん、劉小元さんと一緒に借家から警官に連行され、唐山市第一留置場に送られた。しかし、入所の身体検査の結果、聞さんは、入所基準に達していないため釈放された。2016年8月中旬、遷安市検察庁は聞さんを含む4人の学習者に対して、いわゆる「起訴状」を発付した。聞さんは迫害を免れるため、放浪生活を余儀なくされた。
2022年8月1日、外出中の聞さんは、再び遷安市公安局の警官に連行され、唐山市第一留置場に送られた。2023年4月27日、不正裁判をかけられた聞さんは、法廷で自己弁護し、法輪功の合法性を話し、「私はどの法律の実施を破壊したか」と公訴人に問い詰めたが、返答はなかった。しかし、2023年7月、河北省遷安市裁判所が法律を無視し、聞さんに懲役3年の判決を下した。聞さんはこの不当な判決を不服として河北省唐山市中級裁判所に控訴した。
2023年12月17日、聞さんは石家荘にある河北省女子刑務所第14監区に拘禁された。刑務所で聞さんは、法輪功を信じ続けたため、警官や受刑者に残酷に殴られ、体があざだらけになって歩けなくなり、麻痺し、手や体の筋肉が萎縮した。12月22日夜、聞さんは受刑者のバッジをつけなかったため、5人の受刑者に殴られた。その結果、歩けなくなり、這うことしかできず、死にそうになった。警官の指示を受けた受刑者が聞さんの食事に薬を混ぜた。その後、聞さんの手と体に筋肉の萎縮現象が現れた。さらに、視力も低下しているが、聞さんは強制労働を強いられ、毎日、食事の量が少ししか与えてくれない状態である。