【明彗日本2024年11月22日】(前文に続く)
衆生に尽くす
もしかしたら、私が心から発したその一念により、慈悲深い師父はこうして弟子を成就させてくださっているのかもしれません。2003年の夏、私たちは新しい家に引っ越しました。当時は迫害が非常に厳しく、地元に学法グループがなく、同修たちは出てきて学法することができませんでした。私は「師父が按排してくださった修煉の環境が中共に破壊されているのだから、邪悪の手配に従うわけにはいかない。それを否定し、師父の手配された集団学法の道を歩むべきだ」と思いました。そこで、私は同修Aさんと話し合い、まず私たち二人で私の家で学法を始めました。しばらくすると、学法に参加する人が増え、一部の人は別の同修の家で学法をするようになりました。やがて学法グループが増え、皆が集団学法に参加できるようになりました。
2004年初め、私は同修たちの助けを借りてゼロから大法の資料を作る拠点を立ち上げ、師父の保護の下、今日まで順調に歩んでくることができました。この道のりを振り返ると、私はどんなことも「大法のために必要であれば、何でもする」という当初の一念に従って実践してきたことに気づきます。学法グループがないときは、私がそれを立ち上げ、資料拠点がないときは私が設立しました。明慧ネットが「資料拠点を津々浦々までに広めるように」と呼びかけた際には、同修たちを手伝って資料拠点を立ち上げました。また、パソコンに関する技術を学ぶ人がいないときは、同修に教えてもらい、印刷や編集、ディスクの作成、大容量ファイルのダウンロード、大法のお守りの製作、コンピュータシステムのインストール、ステッカーの制作、カードや大法書籍の作成など、さまざまな技術を習得しました。師父は大法弟子に「全面的に真相を伝え、人々を救う」よう教えてくださいました。当時、まだ同修が誰も出てきて活動していませんでしたが、私は自ら率先して大法の良さと迫害の実態を伝え始めました。
同修Bさんは、私が大法を伝えて三退(中国共産党、共青団、少先隊からの脱退)を促しているのを見て、「某某(私の名前)が真相を伝え、衆生を自分の宇宙に救っている。私の世界にはまだ衆生がいないから、私も真相を伝えて、自分の衆生を救わなくてはならない」と言いました。同修Bさんはとても純粋で率直な人で、恐れる心もありません。彼女は今でも毎日出かけて、人々に真相を伝え、三退を促しています。
その後、ある協調人同修から『共産党についての九つの論評』の本を制作するよう依頼され、大型コピー機が1台届けられました。当時は迫害が非常に厳しい時期で、私はそれまでの真相を伝え、資料を配るなどから、一転して本の制作に専念することになりました。二階全体が作業場となり、同修にも内緒にしていました。最初は慣れず、戸惑うこともありましたが、衆生を救うという初心を思い出すと落ち着きました。
協調人同修が大量のプリント用紙を運んできてくれました。それは1箱10パックの重たいものでした。安全のため、荷下ろしは迅速に行わなければなりませんでした。門を開けると、彼はすぐに1階の部屋に荷物を下ろし、私も手伝いました。20箱の紙をあっという間に下ろし終えた後、彼はすぐ車を発進させ、私は急いで門を閉じました。それから、他人に見られないように20箱の紙を2階に運び上げました。どんどん重く感じましたが、一段ずつ運ぶたびに師父の詩を心の中で繰り返していました。「大覚は苦を畏れず 意志は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」(『洪吟二』〈正念正行〉)。
その後、明慧ネットで大法の内容のカレンダーが発表されると、私は現有の設備を活かしてA4サイズの小さなカレンダーを作り始めました。完成したカレンダーは種類別に整理してベッドに並べ、同修が来たとき自由に選べるようにしました。『可愛い赤ん坊』などは人気がありましたが、『大法が世界に広まっている』だけは誰も持って行きませんでした。迫害の環境で、人々にとってこれは敏感に思われるので、同修たちがまだ不安があると感じました。しかし私は「これは法を正す進程であり、大法が世界に広まっているという事実を、私たちが伝える勇気がなければ、衆生はどうやって観念を変え、救われることができるのか」と考えていました。そこで、私は残ったカレンダーを二つの袋に分けて持ち出し、配り歩きました。人々が欲しいと言ったときだけ渡しましたが、すべて配り終えることができました。
現在、地元には資料拠点がかなり増え、同修たちは協力し合って、それぞれの役割を果たしています。私の作業量やプロジェクトも大幅に減りましたが、それでも忙しく、出かけて大法を伝える時間がほとんどありません。この点については、いつも自分に足りないと感じています。
私は隣村の同修たちだけでなく、15キロ離れた同修にも資料を提供しています。彼らは不定期に私の家に来るため、私はいつも資料を事前に準備しています。ある日、こんな夢を見ました。二人の小さな女の子が食事を待っていて、食べ終わったら学校に行く予定でした。しかし、食事を作る人がおらず、薪もなく、鍋の中のご飯は炊き上がりません。その状況を見て、私は急いで薪を探し持って来て、子供たちのために食事を作りました。
目が覚めた後、この夢は師父が私に「早く真相資料を作りなさい」とヒントを与えてくださったと分かりました。そこで、私は資料をたくさん作成しました。すると、驚くことに、同修たちが次々とやってきて、資料をすべて持ち帰りました。こうして同修たちの要求を満たし、時間を無駄にすることもありませんでした。
資料を作ることで時間がなく、出かけて直接人々に伝えることができないため、時々、これは正しいかどうかと考えることがあります。その後、また夢の中で、私は蒸しパンのような食べ物を販売していて、一つの部隊が私の店の前にやってきて、急いで食べ物を持ち去りました。「師父は私の心の中の考えをいつもご存じです。私が作っているこれらの資料は、多くの衆生を救うことができると、師父が励ましてくださった」と分かりました。
同修に尽くす
地元の同修が多く、さらに隣村の同修も加わり、資料の要求が多いです。私は常に忙しくしています。私の技術は全てにおいて熟達しているわけではありませんが、比較的幅広く対応できるため、いつも忙しいです。特に大法の書籍の制作や古い書籍の修正それに、大法関連の音声や動画のダウンロードなどの作業がたくさんあります。最近では、隣村の同修が多くの旧版の大法書籍を持ち込んできて、私に文字の修正などを依頼します。様々な状況で修正が難しいものもあり、必要な書籍を揃える作業もありますが、次々と同修たちの要求に応えました。
こうした細かな作業や次々に届く旧版書籍に直面している中、師父はまた夢を通じて私を励ましてくださいました。夢の中で、私の家の広い部屋で多くの同修が学法をしていて、終わって帰ると、また新たにたくさんの同修が訪れる光景でした。その中で、私は袋詰めの食べ物があるのを見つけ、それを同修たちに食べるかどうか尋ねると、皆が食べると言い、最後にはすべて食べ尽くされました。この夢の中で私は、ちょうど同修たちが満腹になる分だけの食べ物が用意されていたことに気づきました。
結語
偉大な師父、偉大な大法が私を鍛え上げ、成就させてくださいました。かつて、平凡で才能もなく、病弱で風にも吹き飛ばされそうな私が、今では、神々が注目する大法弟子となりました。一つ一つの進歩は、師父のお陰です!
師父はよく夢を通じて私を励まし、導いてくださいます。およそ1カ月前、私は非常にはっきりした夢を見ました。私はゴミ一つない広々とした道を歩いており、気づかぬうちに坂道を上がっていました。坂の上に着いたとき、ふと振り返ると、大勢の人が私の後に続き、肩を寄せ合い、一列に並んで整然と進んでいました。その列は道の幅いっぱいに広がり、果てしなく続いていました。
私はそれが私の世界にいる衆生だと悟りました。彼らは私について上へと進もうとしているのです。その期待に応えるために、私はさらに精進し、自分をよく修め、もっと法を学び、執着を取り除かなければなりません。師父の計り知れないご恩に応えるためにも、私は衆生の期待に対して恥じなく、尽くしたいのです!
師父、ありがとうございます!
(終わり)