中国法会|繰り返し迫害を14年受け 学法と法の暗記で修煉状態を調整する(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年12月13日】私は70代で、1998年から法輪大法を修煉し始めました。1999年7月、中国共産党が法輪大法への迫害を開始してから、私は迷うことなく、迫害停止を求め、法輪大法を実証するようになりました。しかし、私の法輪大法に対する認識の不足、修煉において漏れなどの要因により、私は何度も連行され、洗脳班、留置場、労働教養所、刑務所などで拘禁され、14年間も迫害されました。いつも、家に帰ってまもなくまた、迫害を加えられていました。

 昨年末に刑務所から解放され帰宅した後、私は失敗から学びました。真剣に法を学び、法を暗記し、内に向けて探し、ようやく修煉状態を調整できました。旧勢力の按排を否定し、三つのことを順調に行うことができました。以下、この1年余りの修煉のことを師父に報告し、同修と分かち合いたいと思います。

 一、帰宅後、苦境に陥る

 刑務所に3年間拘禁され、九死に一生を得て、私は帰宅しました。帰宅後、刑務所で受けた迫害の影を静めることができないうち、他の魔難が私を待っていました。まず、私の夫(同修)は私が刑務所に拘禁されている間に他界しました。私たちが結婚して数十年、夫はいつも生活上で私の面倒を見てくれました。家のことは基本的に夫に任せっきりで、私は料理を作ることさえもできません。息子の家は私の家から遠くはないのですが、一人暮らしになった今、頻繁に会いに行くことは不可能です。 食料品の買い出しも食事の準備も家の修理も、内も外もすべて私がやらなければなりません。一人暮らしの寂しさと夫への懐かしい思いが、悲しくて無力感になっていました。

 町内委員会や、警察署からも圧力をかけられましたが、それ以上に大きかったのが家族や親戚からの圧力でした。私は何度も迫害されたことと、夫が入院して亡くなったときに刑務所にいたため、大法を支持していた家族や親戚は大法に疑念を抱き、大法を理解しなくなりました。今回、私が刑務所から解放された後、息子夫婦は私が外に出て、法輪大法について伝えることを許さず、さらに、家でも法輪大法のことを話すことは許さなかったのです。私が息子の家に食事に行き、来客に大法についての真実を話した時、息子夫婦はわざと話題を変えて、私の話を妨害しました。いつも私の修煉を支持してくれていた妹の一家も、私に外で大法のことを伝えないようにと言い、「大法が良いと思うなら、家で学べばいい」と言いました。私の勧めで共産党組織から脱退した息子の義理の両親も、大法をあまり支持しなくなり、「大法を全く信じていない」とまで言うようになりました。

 同時に、私は深刻な経済的困難に直面していました。私が刑務所に入れられていた間、妹は麻雀ギャンブルにはまり、自分の家のお金をすべて失っただけでなく、私の銀行カードにある数万元をすべて引き出してギャンブルに使ってしまったのです。これは私の貯蓄の全部です。元々、私は弁護士を雇うために妹に銀行カードを渡したのですが、まさかすべてを失うとは思ってもみなかったのです。私はこれからどう生きていけばいいのだろう? 帰宅して数日も経たないうちに、社会保障センターから手紙が届き、不当に拘禁されていた期間中に受け取った5万元の年金を返還しなければならないだけでなく、今後の年金も月750元にしか支給しないという通達がありました。

 最も悲しいことは、同修が私に対しての誤解や噂です。以前、私が拘禁されたところから帰宅するたびに、同修たちは私の家を訪ね、気にかけてくれました。今回、私が帰宅すると、以前、私と仲の良い同修たちも私に会いに来ず、中には私を避ける者さえいました。私に会いにきた同修は、より厳しい口調で、より鋭い言葉で私の問題点を指摘する者もいました。

 このような予期せぬ関や難に直面し、私はしばらく混乱していました。私は心の中でとても苦しくなり、掛け布団で頭を覆って大声で泣きながら、「師父、私はとても不当な扱いを受けています!」と訴えました。

 二、法を真剣に学ぶこと、法を暗記することによって修煉環境を変えられた

 私は『轉法輪』の中の師父の写真を見たとき、師父が微笑んで私を見ていました。師父のことを思うと、私は元気を奮い起こしました。私は大法弟子なのだろうか? 大法弟子の使命とは何だろうか?と自分に問いました。これは旧勢力が私に按排した関だとわかって、「この関を突破し、師父が法を正すことに手伝い、使命を果たすことを続けなければならない」と自分に言い聞かせました。私は、師父が何度も法を学ぶことの重要性を強調されていたことを思い出し、まず法をよく学ぼうと決心し、大法がすべてを変えられると固く信じました。

 私は静かに法を学び、法を暗記しました。2008年に法の暗記を始め、すでに法の暗記の基礎が比較的できていました。心を整えてから、私は法の学習と暗記に集中しました。すでに70歳になっていますが、師父の加持を受けて、すぐに『轉法輪』を再び暗記することができるようになり、暗記はますます慣れて早くなり、2時間半で一講を暗記し、1週間に1回『轉法輪』を暗記し終えるまでになりました。

 私は法を学ぶ時どんなに長く学ぶ時でも、いつも双盤をして学びました。刑務所で長年足を組んでいなかったので、静功を煉ると、ちょっと足を組んだだけで激痛が走りましたが、どんなに痛くても足を下ろさなかったのです。その痛みで、真冬には服が汗でびしょびしょになりましたが、それでも我慢して、数日後には数時間足を組めるようになりました。毎日『轉法輪』を勉強するだけでなく、他の大法の書籍も読みました。しばらく『轉法輪』』を暗記した後、『轉法輪』』を書き写し始め、3カ月かけて『轉法輪』』を書き写しました。法を勉強していない時は、明慧ネットの同修の交流文章を読んでいました。心に深い感動を与え、涙が出るような交流文章は、私を奮い立たせてくれました。

 私は修煉を始めてからほとんどの時間を拘禁されている中で過ごし、落ち着いて法を勉強する時間はほとんどありませんでした。刑務所では、毎日あまり睡眠を与えられていませんでした。家に帰ると、本当にぐっすり眠りたかったのですが、時間は貴重なもので、私は長期に拘禁されていたので、師父が延ばしてくださった時間を大切にしなければならないと思いました。私は法を学び、法を暗記し、法を書き写すこと頑張りました。1日3時間しか眠らず、朝は3時に起きて煉功し、決して遅くなることがなかったのです。時間を節約するため、一度に2日分の料理を作り、ご飯と副菜を一緒にして電子レンジで温めて食べていました。時々、やむ得ず時間が取れない時は一食を減らし、睡眠時間を短くして、法を学ぶことを補いました。

 師父は「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」(『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」)と説かれました。

 法を多く学び、暗記することで、私は落ち着きを取り戻し、修煉の過程を理性的に見直すことができました。私は内に向けて、何度も迫害された原因は何か、同修はなぜ私をそのように見るのかと自分自身の執着と漏れを探しました。同修から私の最大の執着は名を求める心であり、顕示心、歓喜心があり、嫉妬心も混じっていると指摘された問題点を考えました。

 私は自分の修煉過程を振り返り、大法の真実を伝えるときや大法の資料を配布する過程で、自分自身を実証する心を持っていたことに気づきました。資料を配り終わるたびに自己満足になり、グループ学法のときに、同修に「今日はどれだけ資料を配った」とかを話し、褒められると嬉しかったのです。これは顕示心、歓喜心、名を求める心ではないのでしょうか。しかし、自分でも気づかなかったのです。同修から親切に注意されるのが嫌な時もあったし、資料の配布や真実を伝えることが上手な人がいると聞くと、私は「さすがですね」と言いつつも、心の中では不快に思っていたのですから、それが明らかに嫉妬心ではないでしょうか。

 また、協調人の仕事をするときに仕事する心になり、党文化のような発言や行動をしていることなども探し出しました。さらに掘り下げていくと、私はたくさんの執着心を見つけました。旧勢力は私のこれらの執着を利用し、私への迫害の口実になりました。私は苦い経験から教訓を学び、確実に修煉することを決意し、執着心が出てきたらすぐに掴んで取り除くことにすると思いました。

 法を学ぶことで、同修が私に対する噂や否定的な見方は、私に対する試練であるだけでなく、同修の間に溝を作ろうとする旧勢力の企みであることに気づきました。私はこの関を乗り越え、旧勢力の破壊を否定しなければならないと思って、意図的に同修に説明したり、明らかにしたりはしませんでしたが、同修から尋ねられたら、少し説明をしました。もし信じてもらえなかったとしても、私は反論をしなかったし、恨んだりもしなかったのです。半年後、同修たちは私を受け入れ集団法学に参加するようになり、同修たちとの関係は以前より良好になりました。

 法を深く学ぶにつれて、私の「善」の心は増していきます。家族や親戚の私に対する態度に揺るがすことがなく、彼らが私に何をしようと、私は彼らに良くし、優しく接し、彼らのために最善を尽くそうとしました。彼らの1人1人の誕生日を覚え、誕生日の日にプレゼントや祝福を送るようにしました。以前はおろそかにしていました。私は息子と嫁にこう話しました。「お父さんが早死にしたのは共産党の迫害によるもので、決して大法によるものではない。私たちはみんな善良な人間で、あなたたちは自分の目でそれを見てきた。もし私が何度も共産党に迫害されなければ、お父さんは心配して病気にならなかったでしょう。そして、私が拘禁されることがなく、お父さんの面倒をよく見ることができていれば、お父さんはこんなに早く旅立つこともなかったでしょう。もし師父が私を守ってくれなかったら、私は共産党の拷問で死んでいた。その場合、あなた達はお父さんを失っただけでなく、お母さんも失っていたでしょう」

 私はまた、「法輪功は中国では合法であり、法を執行し善良な人々を迫害しているのは中国共産党です。私たちは、神仏の加護を受け、災難を逃れ、明るい未来を手に入れるために、中国共産党から離れなければならないと伝えているだけです。あなたたちはこの中共ウイルスの惨状を見てきたでしょう。共産党がいかに国民を欺き、死者数を隠し、人々を殺したのでしょう」と話しました。私は息子夫婦に、出版局命令第50号と、法輪大法の合法性を証明する関連法的なものを見せました。

 また、私が刑務所から家に帰ってきた当初は、体も痩せて弱々しかったのですが、大法を学ぶことと自宅で煉功をして体も大きく改善され、精神状態も非常に良く、気力も旺盛で、70代とは思えないほど若々しく見えました。息子夫婦は私の身に現れた大法の超常的なことを目の当たりにしました。特に、私が差し押さえられた年金を取り戻すことに成功したことで、彼らは大法修煉が法に反していないこと、大法修煉者はたくましいことを目の当たりにしたのです。

 彼らは少しずつ考え方を変え、いつものように私の修煉を支持し、「法輪大法について真実を伝えるときに、安全に注意を払うよう」と私に言いました。ある日、刑務所の警官から息子にいわゆる再訪問の電話があり、「大丈夫か」と私のことを聞かれたのです。息子は「家に来なければ、母は大丈夫です。母は合法的な市民ですから、そっとしておいてあげてください」と答えました。警官は私の電話番号を尋ねましたが、息子は教えようとしなかったのです。

 コミュニティと街道事務所の職員が私の家に来たとき、私は率先して彼らに法輪大法の真実を伝えました。また、私は自らコミュニティと街道事務所に行き、法輪功迫害の実態を伝え、コミュニティの書記と他の職員に三退を勧めることに成功しました。書記が体調を崩していることを知り、私は果物を買って見舞いに行くと、彼女は大法への好感をさらに増していました。

 このように、私は真剣に法を学び、法を暗記し、内に向けて探し、確実に修煉することによって、家庭環境を変えただけでなく、同修との隔たりをなくし、何人かの職員に法輪功迫害の実態を理解させました。

 (続く)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/11/13/484439.html
 
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