【明慧日本2024年12月14日】(遼寧省=明慧記者)1999年7月、中国共産党(以下、中共)が法輪功を迫害してから25年が経過した。多くの法輪功学習者(以下、学習者)が不当に連行・拘禁され、不当な判決を言い渡された。また、多くの学習者が留置場や刑務所で迫害され死亡しており、これに関与した公安、検察、裁判所の人員らは許しがたい刑事責任を負っている。本稿の目的は過去15年間、遼寧省錦州市女子留置場がさまざまな手段を用いて、迫害により病に苦しむ学習者を強制的に監禁してきた事実を明らかにすることである。
李艶秋さんは強制的に拘禁され14日後、虐殺される
錦州市の学習者・李艶秋さんは2018年12月14日、法輪功迫害の実態を人々に伝えたとして錦州太和区国内安全保衞部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)および女儿河派出所の警官らにより連行され、錦州市女子留置場に拘禁された。李さんは迫害に抗議し断食を続けた。2019年1月21日、錦州市太和区裁判所は、話す力すらない李さんに対して裁判を行い、懲役5年の実刑判決を下した。2019年2月19日の朝、女子留置場は李さんを刑務所に移送した。当時の女子留置場の所長は陳睿蕊であった。
李さんは無罪であると主張しており、留置場に拘禁されて以来、断食と水を飲まないことでで抗議を続けていた。数カ月後、李さんの身体は非常にやせ細り、極めて衰弱した。医学的常識に基づけば、これほど長期間の飲食を絶っていることは、内臓機能が衰退し、抗菌される前の身体検査の指標も正常ではないはずであった。しかし、陳睿蕊らはあらゆる手段を講じて、李さんを強制的に拘禁した。14日後の2019年3月4日、李さんは刑務所で死亡した。52歳の若さであった。
王彦秋さんは5回刑務所に送られた末、死亡
錦州市の学習者・王彦秋さんと周玉禎さんは2013年7月23日夜、法輪功の資料を配布したとして錦州市公安局610弁公室の警官に連行された。2人は錦州市女子留置場に不当に拘禁中、拷問を受け、王彦秋さんは一度命の危険にさらされた。
2014年1月、古塔区裁判所は王彦秋さんと周玉禎さんにそれぞれ懲役4年の実刑を言い渡した。2人は留置場での迫害により重病を患い、健康上基準に達していないため、刑務所には入所していない。周玉禎さんは健康上、基準に達していないので刑務所に入所していない。このようなことが3回あり、、4回目に無理やり拘禁された。一方、王彦秋さんは健康上の面で基準に達していないため入所していない。4回そのようなことがあり、5回目は強制的に刑務所に入れられた。
関連規定に従い、刑務所に拘禁される前の身体検査は指定された地元の錦州市附属第三病院で行わなければならないが、しかし、女子留置場の所長・呉燕は、勝手に2人を錦州市の第二〇五病院に運んだ。その時、王彦秋さんは周玉禎さんにこう言った。「私たちは、二〇五病院に運ばれたら、治るわけがないでしょう?」というのも、所長・呉燕の夫は二〇五病院の麻酔医だったからだ。
たとえ二〇五病院で健康診断を受けたとしても、2人は重病であり、その結果は基準を満たすものではなかった。王彦秋さんの血圧は270~280mmHgに達し、脳血栓の症状があり、重度の貧血で血色素は5グラムを下回り、頸椎部分に水がたまっていた。周玉禎さんも卵巣嚢腫や結腸癌などの重篤な病気が見つかった。2014年2月から4月の間、王彦秋さんは4回、周玉禎さんは3回、沈陽にある遼寧省女子刑務所に送られたが、いずれも健康上の問題で入所しなかった。留置場は2人を錦州に戻さざるを得なかった。ある時、健康診断に同行した所長の呉燕はこう言った。「(王彦秋の)健康診断の結果は、医師が書き留めるの難しいだろう」
2014年2月26日の午後3時、王彦秋さんの家族は突然、錦州市留置場からの電話を受け取り、「王彦秋は現在『病状が深刻』で、留置場はすでに上層部門に報告し、状況を伝えた。もし危険が生じた場合、留置場は責任を負わない。今、すでに家族に通知したので、裁判所に尋ねなさい」との内容であった。王彦秋さんの姉はすぐに古塔区裁判所に行ったが、警備によって遮られた。
監獄法に基づけば、王彦秋さんと周玉禎さんはともに刑務所外で服役するための条件を満たしていた。しかし、当時の錦州市法曹部門の責任者らは2人を釈放しようとはせず、江沢民の迫害政策を実行し、無理やりに刑務所に拘禁した。
上層機関が釈放を拒否する中で、錦州市留置場も共犯となり、手段を選ばず2人の学習者を刑務所に送り込んだ。2014年5月20日、錦州市留置場の所長・呉燕は自ら同行して王彦秋さんと周玉禎さんを遼寧省女子刑務所に送った。到着後、入監手続きの際に呉燕は各オフィスを回り、刑務所担当のオフィスに長時間滞在し、最終的に2人を拘禁することができた。
王彦秋さんは冤罪を終えた時、すでに植物人間になっていた。解放される際、刑務所は車を手配し、家族に1万元を渡してさまざまな費用として「補償」とした。帰宅してから5カ月後、王彦秋さんは亡くなった。
優秀教師・王麗閣さんが「裏口」で拘禁される
錦州市第二中学の優秀な英語教師で学習者の王麗閣さんは2009年4月17日、錦州市公安局と古塔支局の警官により不当に連行され、錦州市留置場に拘禁された。同年9月18日、王さんは錦州市凌河区裁判所により不当に懲役4年の実刑判決を宣告された。
2009年11月17日の午前、錦州市留置場の副所長・崔蕭をはじめとする5人の警官が王さんを強制的に遼寧省女子刑務所に移送した。当時、王さんは留置場での迫害により全身に疥癬が広がっており、刑務所の入所基準を満たしていなかったが、崔蕭は人脈で「裏口」を使い、王さんを刑務所に拘禁した。
健康診断の際、刑務所病院は疥癬が感染症であるため、王さんを受け入れなかった。その時、崔蕭とともに行った50代の女性警官が、自ら進んで「兄が沈陽の某公安局で働いているので、兄に頼んで刑務所に受け入れさせます」と言った。昼頃、崔蕭らはその女性警官の兄と一緒に食事をし、午後には女性の兄に協力してもらった結果、遼寧省女子刑務所は規則に違反して王さんを受け入れた。午後4時過ぎ、錦州市留置場の所長・梁懐福も崔蕭と電話で連絡し、王さんが収監されたことを確認した。
王さんは刑務所に拘禁された後、非人道的な拷問を受けた。左眉骨は蹴られて負傷し、今でも鈍い痛みを感じている。また、右腕は長時間手錠をかけられ、筋肉に深刻な損傷を受け、現在でも重い物を持つことができない。
迫害され重病になった姜艶玲さんは強制的に拘禁される
錦州市義県の学習者・姜艶玲さんは2009年12月22日、義県の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官に連行され、錦州市留置場に拘束された。家族は姜さんが留置場で迫害され病気になったことを知り、2010年8月30日に面会に行ったが、副所長・崔蕭らに拒否された。当時、姜さんは迫害により血圧が170〜180mmHgに達し、肺に陰影が見られ、心臓にも病状が現れ、さらに重度の疥癬にかかっていた。崔蕭らは家族が薬を届けることさえ許さなかった。
姜さんは懲役13年の実刑を言い渡された後、崔蕭らは二度、姜さんを遼寧省女子刑務所に送った。2回とも姜さんの病状が重篤で入所の基準を満たさなかったため、刑務所に入所しなかった。姜さんの家族は病気治療のため一時釈放を求めたが、留置場は許可しなかった。2010年9月7日、錦州市留置場は三度目、姜さんを刑務所に送った。刑務所は姜さんを無理やりに拘禁した後も迫害を続け、その結果、姜さんは子宮筋腫、心臓病、血管腫、吐血、高熱などの深刻な症状が現れた。刑務所病院に緊急搬送され、数日間入院したが、刑務所側は姜さんがいつ死亡してもおかしくないと判断し、2011年4月にようやく家族に迎えに来させた。帰宅した姜さんは身体が少し回復したものの、同年11月3日に再び遼寧省女子刑務所に連行された。2013年7月10日、刑務所は姜さんの一時保釈を認めざるを得なかった。
これらはほんの一部の実例に過ぎず、錦州市女子留置場に強制的に拘禁された学習者は他にも多くいる。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)