【明慧日本2024年12月21日】(遼寧省=明慧記者)迫害されて居場所を失った遼寧省撫順市の法輪功学習者(以下、学習者)・呉麗賢さん(67)は2019年7月26日、再び国内安全保衞部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に不当に連行された。その後、望花区裁判所から懲役4年6カ月の実刑判決を宣告され、遼寧省女子刑務所に拘禁された。呉さんは刑務所で残酷な拷問を受け、一時は立てないほどやせ細り、受刑者は彼女を「生きた屍」と呼んだ。 2024年1月14日、呉さんは冤罪を終えて帰宅した。
法輪功を学び健康になった
呉さんは法輪功を修煉した後、顔は白くなり、きめが細かくて、以前より若くなった。それまでのイライラした性格が消え、ますます穏やかで親切になった。また、どこに行っても、法輪功は心身の健康に良い気功であると人々に伝えるようになった。
呉さんは自分の信念を貫いたとして、何度も中国共産党の関係者に連行・拘束され、計7年6カ月間刑務所で拘禁されていた。遼寧省女子刑務所で、髪を引っ張られ壁に叩きつけられたり、独房に監禁されたり、冬に冷水をかけられたり、服を剥ぎ取られ風に晒され凍えさせられるなどの拷問を受けた。
さらに4年6カ月の懲役を言い渡される
2018年4月24日、撫順市望花区建設派出所の警官は、国保隊長・彭越と副隊長・魏振興の指示の下、呉さんの自宅に侵入し、学習者の劉紹君さんと呉さんを連行し、于海蘭さんの自宅では、左玉華さん、于海蘭さん、于海萍さん、于海秋さんを連行し、野菜市場では、劉春蘭さん、周樹華さん、季亜萱さんを連行した。
連行された9人の学習者は撫順市留置場に37日間拘禁された後、呉さんと他の4人は釈放され、帰宅した。
その後、望花区法曹部門は引き続き呉さんに判決を下そうとしたため、呉さんは家を離れ、放浪生活を余儀なくされた。
2019年7月26日前夜、呉さんは帰宅したが、午前8時に待ち伏せていた警官に連行された。同日午後1時40分、呉さんは留置場に連行された。その後、懲役4年6カ月を言い渡され、2万元の罰金を強要され、遼寧省女子刑務所に送られた。
遼寧省女子刑務所で受けた迫害
2019年8月から9月の間、呉さんは遼寧省女子刑務所に拘禁された。そこであらゆる拷問を受けた。
受刑者らは、呉さんが入浴することも、トイレに行くことも、水に触れることも、水を飲むことも許さなかった。呉さんの髪はくっつくほど汚れ、服はごわごわするほど汚れていたため、誰もが呉さんのそばを通ると、鼻を覆い、臭いと言った。
冬になると、受刑者の杜金娟は窓を開け、呉さんに薄着一枚で毎晩3時間以上も冷たい風の中に立たせた。しかし受刑者らはベッドで掛け布団をかけて、湯たんぽを使っても寒いと言っていた。
杜金娟は疲れ果てるまで呉さんを殴り続け、呉さんの口から出血した。夜の10時になると、ようやくベッドに上がったが、敷布団も掛け布団もなく、呉さんは白いシーツ一枚だけをかけて、風が吹き抜ける通路で寝ていた。
拷問のイメージ図:殴打される |
冬のある日、杜金娟らは給湯室のドアと窓を大きく開け、たらいに水を入れ、呉さんを給湯室に引きずり込んだ。その時、呉さんは薄着一枚、素足にスリッパを履いていた。彼らはいきなり呉さんの頭と顔に冷たい水をかけた。呉さんは窒息しそうになった。
拷問のイメージ図:冷たい水をかけられる |
長年にわたり迫害の末、呉さんは命の危険状態に陥った。受刑者らは呉さんの様子を見て、「あと何日生きられるのだ、もうすぐ死ぬのだ、葬式をあげよう」と、葬送の歌を歌った。様々な拷問を受けた呉さんは、不当な刑期を終え、2024年1月14日に帰宅した。
かつて3年間拘禁される
2010年9月、呉さんは撫順市望花区裁判所から懲役3年の実刑判決を宣告され、遼寧省女子刑務所に拘禁された。
女子刑務所では、警官が受刑者を指示し呉さんをめった打ちした。彼らは呉さんに、「まだ法輪功を修煉するのか?」と聞き、「学びます」と答えると、すぐに暴力が始まった。受刑者が交代して殴り続けた。
拷問の再現:暴力を振るわれる |
警官は呉さんを鉄のベッドに寝かせた。鉄のベッドの上にはぼろぼろの綿毛が数枚しかなかったので、呉さんはぼろぼろの綿毛を一枚一枚体に貼ることしかできなかった。また、十分な食事も提供してくれず、トイレにも行かせもらえなかった。呉さんの両足はパンパンに腫れ上がり、少しずつ引きずりながら移動していた。
呉さんは意識が朦朧として、嘔吐し、立つこともできなくなり、3回病院に運ばれた。2013年4月16日、呉さんは刑期を終え、刑務所から自宅に帰った。