【明慧日本2025年1月20日】四川省成都市在住の法輪功学習者・鄧維勇さん(男性)は、法輪功を学んだため、2022年5月10日、4年の服役を終えた。もう2年半が経ったが、刑務所で受けた虐待の結果、鄧さんは今でも車椅子生活を送り、身体が不自由で、混乱した状態にある。法輪功は世界の人々に親しまれる精神修養法であるが、1999年以来、中国共産党によって迫害されている。
事件の詳細
鄧さんと妻・李秀英さん(学習者)は2018年5月5日に不当連行され、2019年12月26日に懲役4年の不当判決と1万元(約21万円)の罰金を宣告された。李さんは懲役2年6カ月の不当判決を受けた。鄧さんは2020年6月に楽山市の嘉州刑務所に拘禁された。家族は時折オンライン面会することしか許されなかった。
刑務所は2021年7月にすべての受刑者に新型コロナワクチンの2回接種を強制した。7月22日に2回目の接種を受けた後、鄧さんは副作用に見舞われた。嘔吐し、脱力感とめまいを感じた。鄧さんは下痢と冷や汗も出た。看守は医療処置を施して休ませる代わりに、鄧さんの仕事量を増やした。鄧さんは電子部品を組み立てなければならなかったが、決して終わることはなかった。鄧さんは檻房に戻ると、就寝時間の午後10時まで、指定された小さな円の中にじっと立っていなければならなかった。
鄧さんは立ったままの拷問の最中に何度も気を失い、刑務所の診療所に送られた。それでも看守たちは休憩なしで鄧さんを工場で働かせ続けた。看守は、病人は食べ過ぎてはいけないと主張して、鄧さんが購入した食べ物をすべて押収した。
鄧さんは飢えに苦しみ、毎晩起きて水道水を飲まないと眠れなかった。8月17日には体調が悪くなり衰弱し、トイレを探して道に迷ったほどだった。その時になって初めて、看守が鄧さんに食料を返した。
鄧さんの容態が悪化しても、身体的虐待は続いた。鄧さんは8月30日から9月1日まで、朝の立ち拷問の最中に意識を失った。9月1日に病院に緊急搬送され、1カ月間入院した。病院で鄧さんを見た人たちは、鄧さんは精神的に混乱し、排便をコントロールできなくなることがよくあったと話した。
2021年9月27日、鄧さんの家族は刑務所から電話を受け、数週間前の9月2日に鄧さんが楽山市中央病院に入院したことを知らされた。電話の発信者によると、鄧さんはめまい、頭痛、歩行困難、頻繁な転倒を訴えていたという
10月3日、刑務所から別の電話がかかってきた。鄧さんは危篤通知を受けたため、最後にもう一度病院に行って鄧さんに会うようにという内容だった。鄧さんの家族が病院に駆けつけると、外には60人以上の警察官が巡回していた。救急科の中には、鄧さんを警護する20人以上の警官がいた。彼らは鄧さんが息を引き取るのを待ち、家族が遺体を引き取るのを阻止する準備ができていた。彼らは会話の細部まで監視したかったため、家族が鄧さんの耳元でささやくことを許さなかった。
鄧さんは手錠と足かせで病院のベッドにつながれ、点滴を受けていた。家族は、鄧さんの額に縫合された傷があり、血痕が見えることに気付いた。目の下には黒いクマがあり、左目には殴られたと思われる黒いあざがあった。腕にも乾いた血がついていた。ズボンの左脚には穴があいていて、乾いた血の塊がいくつかあった。足は非常に細く、赤くなっていた。足の裏には皮膚がなく、手と同じように厚いタコと血痕があった。
当時まだ54歳だった鄧さんは、70代か80代くらいに見えた。家族が部屋に入ってきた時、鄧さんは眠っていた。家族が鄧さんを起こすと、何杯も水を飲んでも喉が渇いたと文句を言い続けていることに気づいた。鄧さんの家族5人が部屋に入ることを許されたが、鄧さんは兄しか見分けられなかった。妻さえも分からなかった。
当直中の看守は、鄧さんのために食料を調達するために人を送ったと述べたが、結局何も届けられなかった。また、看守は鄧さんに家族が買ってきた食料を食べることを禁じた。
警察は全ての場面をビデオ撮影したが、鄧さんの家族がベッドに拘束されている様子を撮影することを禁じた。
刑務所の院内診療所長も市立病院を訪れ、高血圧による脳卒中の症状とてんかんのせいで、鄧さんは今でも時々けいれんしたり口から泡を吹いたりしていると家族に話した。
家族の面会中、刑務所の責任者を含む3人の看守がどこへでも彼らを追いかけてきた。彼らは鄧さんの家族に対して、鄧さんの状況をネットで暴露しないよう警告した。
鄧さんの家族は医療上の理由による仮釈放を求めたが、何度も拒否された。鄧さんは一命を取り留め、2021年10月4日に成都双流区空港囚人病棟病院に移送された。その後、鄧さんの家族は統合失調症であると告げられ、抗精神病薬を投与された。退役軍人として、鄧さんは常に非常に健康で、精神疾患の病歴はなかった。家族は、新たな診断は、神経を損傷する薬物を投与するための新たな戦術か、鄧さんが受けた恐ろしい拷問の結果ではないかと疑った。
2022年1月中旬頃、鄧さんは金堂病院に移送され、刑期の最後の数カ月をそこで過ごした。2022年2月28日、統合失調症のため危篤通知が出されたと家族に通知された。その日の午後、家族は鄧さんとビデオ通話することを許可された。家族は鄧さんが立つことも歩くこともできず、車椅子で生活しているのを目にした。鄧さんが口を開けたとき、歯が全部なくなっていて家族はショックを受けた。鄧さんは帽子をかぶっていたので、家族はそれが頭の傷を隠すためではないかと疑った。鄧さんはぼんやりして混乱しているように見え、言葉も不明瞭だった。
鄧さんの刑期は2022年5月10日に終了した。家族が金堂病院に鄧さんを迎えに行ったとき、鄧さんは歩くこともできず、無力なままだった。鄧さんの弟が鄧さんを警察車両から運び出した。
鄧さんは釈放後も記憶力の低下と認知障害に悩まされ続けた。家族によると、鄧さんのIQは幼児並みだったという。鄧さんは全身が衰弱し、じっと座っていることもできなかったし、失禁もした。
過去2年余りの間に、鄧さんの家族は鄧さんを10以上の病院に連れて行き、数十万元の医療費を負担した。鄧さんは脳卒中、てんかん、糖尿病など合計16種類の病気と診断された。髪の毛は薄く、白髪になり、ほとんどいつも混乱状態にあった。治療を受けたにもかかわらず、鄧さんの症状はほとんど改善せず、警察が何度か来て嫌がらせをした。