武漢の肖映雪さん 秘密裏に連行され半年間行方不明
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 【明慧日本2025年2月5日】武漢市の法輪功学習者、肖映雪さんは昨年6月7日再び警官に連行され、不当に15日間拘留された。6月22日、家族が拘置所へ迎えに行ったが、肖さんはすでに秘密裏に移送されていることを知らされた。それ以来半年間、全く情報がなく、行方不明となっている。

 肖映雪さん(女性、54歳)は、元武漢市硚口区工商行政管理局の公務員で、武漢市硚口区南国大武漢家装公寓に在住している。

 中共による法輪功迫害の25年間の中で、肖映雪さんは法輪功の修煉を堅持してきたため、多くの迫害を受けた。これまでに6回洗脳班に連行され、不当に労働教養を2回(合計2年9カ月)受け、不当に拘置所や留置場に5回拘禁された。肖さんはかつて暴行を受けて生命の危機に陥り、武漢市第一病院で救急処置中に2度昏睡状態になったことがある。また、公務員資格を剥奪され、工商局から追放された後、新しい勤務先でも理不尽に解雇された。

 中共のさまざまな迫害により、肖さんの夫は離婚し、武漢市硚口区「610」と彼女の戸籍所在地である武漢市硚口区易家墩派出所の警官が繰り返し肖さんに嫌がらせをし、迫害したため、彼女は長期間家に帰れなかった。何年もの間、肖さんはあちこちを流浪し、最終的に武漢市硚口区南国大武漢家装公寓で一人暮らしをしていた。

 2024年6月7日、肖映雪さんは武漢市硚口区南国大武漢家装アパートの下で再び警官に連行された。その際、彼女の家が不当に家宅捜索され、大法書籍などの物品が押収された。肖映雪さんは武漢市第一留置場に連行され、15日間、拘禁された。

 連行に関与した人物は、武漢市硚口区韓家墩派出所の警官と地域住民職員を含む約7人であり、そのうち一人の警官の姓は艾(警官番号:028369、警官車両番号:鄂A1385警)である。

 2024年6月22日、肖映雪さんの不当拘禁が15日間で満了したが、家族が拘置所に迎えに行ったところ、彼女は、すでに秘密裏に移送されていることが判明した。それ以来、半年間、情報が一切なく、行方不明である。

 一、何度も不当に拘禁され、勾留された

 1999年10月、末肖映雪さんは北京で陳情した際、三河市の警官に連行され、地元の拘置所で4日間拘留された。その後、武漢に送還され、1999年11月3日から18日まで、15日間、拘留された。

 2001年3月、肖映雪さんは秘密裏に連行され、武漢市公安局(青島路1号)不当に勾留された、4日間、自白を強制し、拷問を受けた。その後、武漢市第一拘置所に連行され、39日間勾留された。さらに、江岸区百歩亭洗脳班や武漢市第一留置所で10日間送られた。

 2024年6月7日、武漢市硚口区南国大武漢家装公寓の住居ビルの下で、再び中共の警官に連行され、武漢市第一拘置所で15日間勾留された。

 二、二度にわたる不当な労働教養(合計2年9カ月)

 肖映雪さんは2001年5月、1年半の労働教養を科され、武漢市何湾女子労教所の女性隊に収容された。その間、以下のような迫害を受けた。暴行、吊るし上げ、睡眠剥奪、長時間の奴隷労働、多人数による暴行。さらに、法輪功を中傷するテレビ番組、ビデオ、書籍の視聴を強要され、「三書」を書くように精神的迫害を受けた。

 二度目の労働教養は、2010年6月27日に警官に連行された後、不当に1年3カ月の労働教養を科され、再び武漢市何湾女子労教所に収容された。

 武漢市何湾女子労教所の第2隊と第5隊では、主に以下のような迫害手段が用いられていた

 法輪功学習者を2人の「監視人」が24時間体制で監視。学習者が修煉することを禁止。

他者と話すことを禁止。睡眠を許さず、深夜12時を過ぎてようやく寝ることを許可。学習者を強制的に食堂で食事をさせ、監室に戻って食べることを禁止。「転向」しない学習者には、家族との面会や電話を禁止し、控訴の権利を剥奪された。

 肖映雪さんは毎月、控訴しようとしたが、労働教養所の職員は「転向」していないことを理由に、彼女の家族との面会を許可しなかった。そのため、彼女の70代の両親は1年以上娘に会えず、悲しい毎日を過ごした。

 2011年9月26日(月曜日)、肖映雪さんの労働教養の機関終了を迎えた。肖さんの父親と妹が訪問したが、労働教養所の警官は様々な理由をつけて面会を拒否し、彼女を引き続き拘留し迫害しようとした。その日、肖映雪さんの父親と妹は早朝に何湾女子労働教養所に行き、肖さんとの面会を要求した。家族は何度も問い合わせを行い、黄隊長に繰り返し電話で連絡を取った。しかし黄隊長は「上司に確認する」と言い続け、面会を許可しなかった。家族が拘禁の満期日を聞いても、明確な回答をせず、ただ「10月10日までの間だ」と曖昧な返答を繰り返した。さらに「期限はまだ来ていない」「本人が転向していない」との理由で、「通知があるまで来るな」と言った。

 2011年9月16日(金曜日)、労働教養所の面会日に、肖映雪さんの父親と妹が面会を試みたが、何湾女子労働教養所は「翌週に面会日を通知する」と言って面会を拒否した。家族が何度も要求を繰り返した後、黄隊長がようやく姿を現したが、「満期になっても洗脳班に送る可能性がある」などと言い、その後も具体的な回答をせず、最後まで家族に肖映雪さんを会わせなかった。その後、1週間以上経っても家族は何の通知も受け取っていなかった。

 三、6回にわたる洗脳班への連行と内容不明の注射による迫害

 2000年2月から2001年3月にかけて、肖映雪さんは硚口区額頭湾洗脳班に連行され、1年1カ月にわたって迫害を受けた。この期間、硚口区公安分局第一課課長の金志平に殴る蹴るの暴行を受け、雑巾で口を塞がれ猿ぐつわをされ、縄で藤椅子に縛られて動けなくなった。その際、口を約5センチ切られ、血が止まらず、1週間食事ができず、歩行困難となり、腰を伸ばすこともできなくなった。

 2001年5月、肖映雪さんは江岸区百歩亭洗脳班に移送された。

 2003年2月、再び硚口区額頭湾洗脳班に1カ月間拘禁された。

 2005年6月、硚口区易家墩派出所と硚口区「610弁公室」によって硚口区額頭湾洗脳班に連行された。彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫ぶと、警官は肖さんの顔を殴り、鼻から出血した。その後、彼女は迫害に抗議して断食を行い、8日目に中共が竹で無理やり口をこじ開け、負傷していた鼻をさらに傷つけ、出血が止まらないまま武漢市第一病院に搬送され、途中で2度気を失った。生命に深刻な危険が及んだ。

 2010年6月27日から7月6日にかけて、肖映雪さんは硚口区全新街で民衆に法輪功が無実であることを伝えた際、新安街派出所の警官に連行され、硚口区額頭湾洗脳班で迫害を受けた。

 2011年10月6日、湖北省洗脳班に連行され、1カ月以上にわたり拘束され、強制的に洗脳された。

 2011年10月7日、肖映雪さんは1年3カ月の労働教養を終えたが、転向していないことを理由に、2011年10月6日の午後、武漢市硚口区「610弁公室」により、武漢市何湾女子労働教養所から湖北省洗脳班(いわゆる「湖北省法制教育所」、中共が法輪功学習者を洗脳するために設けた刑務所)に再び連行され、迫害を受けた。

 この洗脳班は中共が人々から奪った巨額の税金で運営されている刑務所で、ここでは、脅迫、高圧、恐喝、偽善や欺瞞、長時間の睡眠剥奪、立たせ続ける罰、集団での攻撃、人身侮辱、罵倒、強制摂食、吊り上げ、手錠の吊り拘束、電気警棒での暴行、薬物による損傷、殴打など、あらゆる暴力的手段が用いられ、学習者に対して精神的、肉体的な残酷な迫害が行われている。

 湖北省洗脳班では、肖映雪さんは警察から暴行を受けた。一中隊の隊長・劉成は肘で肖映雪さんの胸を打ちつけ、彼女は息ができなくなり、一瞬窒息死しかけた。3カ月以上に及ぶ強制的な洗脳の間、副所長の張秋明は肖映雪さんに他の功法の練習を強要し、洗脳班に残り「ユダ」(裏切り者)になるよう脅迫したが、彼女はこれを拒否した。また、彼女は精神的な洗脳の迫害を受け、偽の「気功」を強制され、さらに湖北省洗脳班の職員によって内容不明の注射を3回強制された。洗脳班の悪党たちは、肖さんが帰宅する条件として、毎日地域センターに出頭し、地域の職員による24時間監視を受けることを強制した。

 新年に帰宅した肖映雪さんは、身体に異変を感じた。全身が震え、冷え、頭痛が激しくなり、全身に痛みが広がった。その後数年間も、彼女は頻繁に頭痛に悩まされ、解放されることはなかった。

 それだけではなく、肖映雪さんは派出所の警官や地域職員からの嫌がらせや24時間監視を受け続け、耐え切れず一時的に家を離れた。しかし、中共「610弁公室」は彼女を放っておかず、肖映雪さんの行方を執拗に探し続けた。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/12/22/486541.html
 
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