【明慧日本2025年3月18日】(山東省=明慧記者)山東省煙台市栖霞市の法輪功学習者(以下、学習者)である林建平さんは、ただ真実のひと言だけで、2023年3月に栖霞市裁判所によって不当に懲役3年の実行判決を言い渡された。しかし、健康診断の結果不合格となり、帰宅を許された。2024年10月中旬、林さんは地元の警官により連行され、済南女子刑務所に送られた。刑務所の中で、林さんは迫害のため精神状態が正常ではなくなり、刑務所側は責任を負いたくないと考え、2025年1月30日に家族に引き取らせた。家族は林さんを煙台毓璜頂病院に直接連れて行き、救命治療を行ったが、2月13日午前2時に冤罪の晴れないまま亡くなった。
林さんは1993年の冬、出産後に腰、足、肘関節の痛み、風や寒さを感じやすく、また幼少期にかかった慢性気管支炎や過角化症などの病気に悩まされ、何度治療を受けても改善しなかった。1998年11月に法輪功を修煉し始め、1カ月もしないうちに多くの病が自然に治癒し、体が軽く健康になった。修煉後、林さんは「真・善・忍」の教えに従い、常に自分に厳しく律し、他人に誠実で親切に接し、商売をしても競争せず、昔のライバルに利益を譲ることもあった。また、顧客を紹介してライバルとの間の溝をなくすことに努めた。
林さんは修煉後、いつも良い人であろうとした。義理の両親は2人の息子がいたが、長男とは仲が悪く、両親の面倒を見ていなかった。林さんは決して不満を言わず、義兄や義理の姉妹とも円満に過ごした。姑が生前、病院に入院している間、食事、排泄などの世話を非常に丁寧に行い、隣のベッドの人々は「あなたの娘さんは本当に親孝行ですね」と羨ましがった。
ある日、タクシーに乗っていた林さんは、過去に3回も事故に遭い、幸運にも命を取り留めたことを話した。運転手は驚き、反射鏡を通して彼女を見ながら、「それはあなたのことですか?! 何人かの人がその話をしていましたよ」と言った。
真実のひと言で不当に懲役3年
2022年2月6日、林さんは栖霞市公安局の前で警官(後に「法輪功への迫害を担当する公安局の指導者」になったそうだ)に法輪功への迫害実態を話した。彼女はその警官に「法輪功は不当な迫害を受けており、天安門焼身自殺は偽りだということを知っていますか?」と尋ねた。
そのひと言で、林さんはその警官に陥れられ、栖霞市庄公安局に連行された。その後、同市庄公安局庄園派出所に連れて行かれた。それから「居住監視下」として6カ月間拘束され、解放された。6カ月後、再び同市検察庁に送検され、2022年10月21日に同市裁判所に陥れられた。
2022年12月19日、栖霞市裁判所により、林さんの不当な裁判が開かれた。法廷で林さんは正々堂々と率直に発言し、検察官である李紅軍への退任を求めた。林さんは裁判官に対し、「彼は公平な裁判をしていません。この案件は彼らのところで取り消すべきだったのに、公安局の違法行為を無視し、わざと冤罪を作り上げ、善良な人を迫害した案件を裁判所に送ったのです」と述べた。
2023年3月29日、林さんは裁判所から判決書を受け取り、懲役3年の実刑判決を言い渡され、5000元(約10万円)の罰金を強制的に科せられた。
2024年9月、庄園派出所の警官が林さんの自宅に押し入り、連行して牟平病院で健康診断を受けさせ、「収監」しようとした。しかし、健康診断の結果が不合格だったため、林さんは家に戻された。その約20日後、再び警察に連行され、済南刑務所に送られた。
洗脳班、労働教養所、刑務所での迫害
林さんは「真・善・忍」という信仰を堅持したため、何度も中国共産党(以下、中共)に拘束され、拘置所、留置場、洗脳班、労働教養所、刑務所で迫害を受けた。2004年には3年間の労働教養を受け、2005年には再度3年の判決を受けた。王村労働教養所と山東省女子刑務所で理不尽な拷問を受けた。
1. 小庄洗脳班での拷問:窓枠に手錠をかけ、一晩中眠らせない
2004年9月26日、警官・王軍、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)隊長・唐功明は4、5人を連れて、林さんを栖霞市供銷商場から小庄洗脳班に連行した。職員は林さんを含む学習者に法輪功を中傷するビデオを見せるよう強制した。夜になると嫌がらせをし、眠らせない。その後、林さんは両手を窓枠に手錠で固定され、目を閉じないように強制された。数日後、林さんの手は麻痺し、頭はぼんやりし、さらに栖霞留置場に連行され、37日間の迫害を受け、その後3年間の労働教養を受けた。
2. 王村労働教養所での拷問:7昼夜吊るされ、強制的に灌食され、長時間立たされる
2005年冬、山東省王村労働教養所第4大隊の警官当番室で、大隊長の王慧英は林さんが受刑者のバッジをつけていないという理由で、警官の李英らを唆し、林さんの左手を縄で壁の隅から上の階に通じる暖房管に吊るし、右手を手錠で鉄の窓枠に吊るした。窓の外は食堂で、悪行が暴露するのを恐れ、窓ガラスに新聞紙を貼りつけた。李英は林さんの手が紫色になっていないことに気づき、さらに縄をきつく締め、手錠を固定すると黒紫色になったので、李英はやっと止め、「これが効果的だ」と言った。林さんは7昼夜吊るされた後、解放された時、両手の親指の爪は青黒くなり、両足の先は大きなパンのように腫れて靴が履けなかった。両脚もまたズボンの太もも部分と同じくらいに腫れ上がっていた。林さんは断食で迫害に抵抗し、管を鼻に挿入して強制的に食物を注入され(灌食)、長期間管は抜かれなかった。警官らはまた、長時間林さんが眠らないようにし、警官の当番室で立たせて罰を与えた。
3、栖霞市留置場で拷問、手錠と足枷をつけられ、死人ベッドで縛られる
2005年の年末、栖霞市「610弁公室」と国保は、林さんを王村女子労働教養所から栖霞市留置場に戻し、何日も林さんの手足をベッドに縛り、男性の囚人に監視させた。副所長の牟少偉は警官を率いて、林さんを殴り、足枷を無理やりにかけさせ、死人ベッドに固定した。 4カ月以上経った後、栖霞市「610弁公室」と国保は、根拠のない罪名を理由に、もともとの3年の刑期にさらに3年を加え、合計6年の刑を科した。そして、山東省女子刑務所へ送ってもなお迫害を続けた。
4.山東省女子刑務所で、毒針を打たれ、灌食され、侮辱される
山東省女子刑務所では、林さんは信仰を捨てず、「転向」を拒否したため、さまざまな拷問を受けた。首を絞められて窒息しかけたり、強制的に灌食されて命を落としそうになったり、毒針を打たれたり、髪をつかまれて壁に頭をぶつけられたり、裸にされて侮辱などを受けた。
林さんは、山東女子刑務所での経験についてこう語った。「訓練チームにいたある時期、私が眠りについたばかりのとき、刑務官の薛彦琴が4、5人の手下を使って、私の体を押さえつけ、正体不明の薬を無理やり注射した。そのせいで全身が苦しくなり、イライラして落ち着かず、反応が鈍くなり、気づかないうちに涙が流れ、口の端からよだれが垂れた。頭は割れるように痛くなり、四肢がうまく動かず、歩いてもふらついた」
- 法律を曲げて高齢者に判決を下す中共の悪行に限界なし
- 2025年2月、法輪功学習者8人 迫害で亡くなる
- 8年6カ月不当拘禁された錦州市の苗建国さん 再び不当な裁判に(二)
- 張伝文さん、信念を放棄することを拒否し遼寧省女子刑務所で再び厳しい迫害に直面
- 8年間不当に拘禁された南昌市71歳呉志萍さん、再び司法迫害に直面
- 山東の法輪功学習者 師父に旧正月のご挨拶を申し上げます(18通)
- 山東省の法輪功学習者 師父に旧正月のご挨拶を申し上げます(20通)
- 山東の法輪功学習者 師父に旧正月のご挨拶を申し上げます(18通)
- 山東省の法輪功学習者 師父に旧正月のご挨拶を申し上げます(21通)
- 山東の法輪功学習者 師父に旧正月のご挨拶を申し上げます(20通)