黒龍江省寧安市の商秀芳さん 不当に3年6カ月の刑を宣告される(1)
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 【明慧日本2025年3月18日】黒龍江省牡丹江市寧安市の法輪功女性学習者・商秀芳さんは、2024年5月9日、寧安市公安局の警官により連行され、寧安市留置場に不当に拘束された。その後、海林市検察庁により起訴され、最近、海林裁判所で3年6カ月の刑を宣告された。判決書は弁護士に後から渡されたものであった。商さんは現在、控訴の段階にあり、担当する裁判官は潘遠成である。

 商さんは現在60歳で、元牡丹江市寧安市疾病予防管理センターの医学検査技師であった。彼女は法輪功を修煉したことで心が穏やかになり、人生の意義を理解し、気づかないうちに慢性疾患の貧血や椎間板ヘルニアも治った。また、どのように人として生きるべきかを学び、物事において他人のことを考え、人に親切に接するようになり、多くの人から称賛された。しかし、中共による法輪功学習者への25年以上続く迫害の中で、商さんは不当に有罪判決を受け、さらに2回の労働教養を強いられた。以下は、商さんが不当に拘束され、拘禁された大まかな時期と場所である。

 1999年7月21日から1999年8月3日まで、13日間不当に寧安市留置場に拘束された。

 2000年2月14日から2000年6月まで、寧安市留置場に不当に拘禁された。

 2000年6月から2000年7月まで、黒龍江省牡丹江市労働教養所に不当に拘束された。

 2000年7月から2001年5月まで、寧安市留置場に不当に拘禁された。

 2002年4月から2002年12月まで、寧安市留置場に不当に拘禁された。

 2002年12月から2005年4月まで、黒龍江女子刑務所に不当に拘禁された。

 2007年3月29日から2007年4月4日まで、寧安市留置場に不当に拘束された。

 2011年11月28日から2012年1月まで、黒龍江省牡丹江市留置場に不当に拘束された。

 2012年1月から2013年8月2日まで、黒龍江女子薬物依存者矯正労働所に不法に拘禁された。

 2000年2月14日、法に則り北京へ陳情に行った際、不当に連行され、寧安市留置場に拘束された。

 そして2月10日、不当に労働教養1年を宣告された。その後、商さんは「転向」を拒否したとして、さらに3カ月追加されて拘禁された。拘禁中、彼女はさまざまな拷問を受けた。48斤(約24kg)の足枷を1カ月間装着され、教養所の刑務官により電気警棒で電撃を加えられたり、鼻の穴に冷水を噴きかけられたりした。

酷刑演示:脚镣

拷問のイメージ図:足かせ

 2000年7月、牡丹江労働教養所の準女隊で、商さんは拷問を受け、強制的に灌食された。刑務官は彼女に「話をする」と言って監室から騙して連れ出し、大教室に連れて行き、ベンチに縛り付け、そこには凌姓の女性刑務官1人と2人の医者がいて、ドライバーで唇を広げ口をこじ開け、錆びた金属器具を口の中に挿し込んで、その後、ゴム管を漏斗に繋いで、塩入りのトウモロコシ粥を商さんの口に流し込んだ。その苦しみは非常に辛く、息ができなくなったという。

 2000年6月、修煉を続けていたとして、刑務官は法輪功学習者たちに監房の廊下に立たせ、殴ったり蹴ったりして、口をテープで封じ、鼻孔だけを露出させた。警官の張暁光はペットボトルに水を入れ商さんの鼻に水を注ぎこみ、商さんは吸い込むたびにむせて、窒息しそうになった。まるで呼吸道全体がセメントで埋められたような感覚に陥り、涙が一気に溢れ出た。

 牡丹江労働教養所での2カ月間、商さんは、ほぼ2日おきに罵倒され、暴行され、冷水をかけられ、電気棒で電撃されるといった暴行を受けた。ある時、悪徳刑務官・劉秀芬に電気棒で太ももを電撃された際、焦げたような臭いが広がり、刑務官もそれを感じた。その後、劉秀芬はすぐに背を向けて立ち去った。

 2000年7月下旬、牡丹江労働教養所で迫害に抗議して断食をした商さんは、寧安市留置場へ移送された。その時点で商さんはすでに4日間断食を続けていた。監視役の李文英は、商さんが監室のドアから腰をかがめて入る際、不意を突いて長さ約1メートル70センチのプラスチック管で彼女の背中を激しく打ちつけた。その一撃で商さんは歩けなくなり、胸が背中に貼り付いたように感じ、体が左右に分かれてしまったような痛みと苦しみを覚えた。

 2002年4月21日、商さんは寧安市第一派出所の警官によって連行され、拷問を受けた。4人の警官により、首を縄で締め付けられ、大腿を膝で突かれ、木の棒で殴打され、冷水をかけられ、さらにタバコの火で焼かれるなどの拷問を受け、一時意識を失った。

 5月、寧安留置場で商さんは黄色いベストの着用を拒否したとして、所長の王世貴によって足かせを付けられた。これは足かせと手錠が約40センチの鉄鎖で繋がれており、立つこともできず、座っても背筋を伸ばせず、常に体を丸めた状態でしかいられないというものであった。この足かせによる拷問は約20日間続いた。トイレや食事も他人の助けを必要とし、寝るときも体を丸めたままの姿勢を強いられた。

 2002年8月19日、商さんは寧安市裁判所で不当に3年の刑を言い渡された。裁判長は葛玉璞であった。同年12月3日、商さんは黒竜江省女子刑務所に拘禁された。

 刑務所の訓練チームでは、80人以上が1つの大部屋に収容され、トイレは同時に1人しか使えなかった。机や椅子、ベッドは、薄暗く湿気があり、壊れた狭い部屋に並べられていた。屋根には大きなプラスチックシートが張られ、夜寝るときにはその上に水滴がポタポタと落ちる音が聞こえ、朝になると、プラスチックシートにたまった水を一桶ずつ取り除いた。

 法輪功学習者1人に2人の刑事犯の受刑者が監視として付き、誰とも話すことは許されなかった。商さんの一挙一動は監視役の受刑者たちに監視されていた。

 毎日、商さんは無理やり15時間以上も椅子に座らされ、朝はトイレに行くために番号順に並ばなければならず、最初は小だけで大便は許されなかった。少しでも動きが遅ければ、監視役の受刑者が耳が裂けるような罵声を浴びせてきた。午前9時を過ぎてようやく大便をするための順番の並びが始まるが自分の順番の時は、すでに10時になっていた。毎日このように苦しみながら過ごしていた。

 訓練チームで1カ月が過ぎた後、商さんは第8監区に移され、4人の刑事犯の受刑者に監視され、他の人と話すことも接触することも許されなかった。法輪功学習者が「転向」しない限り寝床は与えられなかった。商さんは二つのベッドの間の隙間で寝かされ、朝になると荷物を片付けて倉庫にしまうよう指示された。トイレに行くには監視役の受刑者が行く時間を待たなければならず、スーパーに行く権利も、面会の権利も与えられなかった。商さんの夫は何度も刑務所に来たが、一度も面会することはできなかった。

 2003年8月と9月、商さんは長時間「小さな椅子に座る」ことを強制された。つまり、学習者は小さなプラスチック製の椅子に座らせされ、話すことも動くことも許されず、クッションを使うことも禁じられた。トイレには午前中1回、午後1回行けるのみで、早朝6時から夜9時まで、または朝5時から夜10時までこのように座り続けることを強いられ、丸1カ月間その状態が続いたため、尻に大きな血泡ができてしまった。

 (続く)

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/6/491382.html
 
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