文/陸文
【明慧日本2025年3月26日】歴史を振り返ると、天命を理解していた君主もいれば、そうでない君主もいます。彼らの行い、是と非、歴史上での評価は大きく異なります。
まず、天命を理解していた君主の話からしましょう。紀元前614年の春秋時代に、小さな国の君主・邾(ちゅう)文公は政治と経済の発展に応じて首都を繹(地名)に移す計画を立て、史祝(ししゅく)に占いを依頼しました。史祝は、吉凶を占って朝廷で君主や大臣の疑問を回答することを職とする官僚です。占いの結果、「今回の首都移転計画は民にとっても国にとっても良いが、君主には不利」と報告されました。多くの大臣は首都移転に反対しましたが、邾文公は「首都を移転することで民衆と国に利益をもたらすのは、長期的に私自身にも利益があるということです。天は民を生み、民を守るために彼らに君主を与えました。民に利益があるなら、私は賛成します」と述べました。邾文公はその時すでに51年間も在位し、高齢でした。大臣たちは「占いによると、首都移転を数年延期すれば、君主の寿命が延びる可能性があるようです。なぜ移転を止めないのでしょうか」と言いました。邾文公は「人間には天命があり、それを理解することが重要です。君主の真の天命は寿命ではなく、使命にあります。寿命の長さは自分では分からないし、コントロールもできません。首都を移転することが民衆に有利であれば、それを実行することは大きな善行であり、私の責任でもあります。これは私の天命です」と答えました。
その通りに、首都を移転した後、国と民衆にとって非常に有益でした。邾文公も翌年の紀元前615年に亡くなり、国民全体が彼を悼み、感謝し、尊敬し、彼を「自分の天命を分かっている君主」と讃えました。つまり、彼は君主としての使命を理解していたのです。
想像してみましょう。もし邾文公が遷都をしなくて、古い都にずっと留まっていたら、彼は不老不死になりますか。答えは、遷都しなくても彼は早かれ遅かれ死んでしまうでしょう。最後に誰でも死にますが、死は「或いは泰山より重く、或いは鴻毛より軽し」、「芳名を百世に流す、或いは醜名を万年に遺す」というのは、自分で選ぶことができます。邾文公は正しい選択をしました。彼の死は当時の人々や後世の人々に尊敬されるだけでなく、死後の輪廻転生のためにも美しい基盤を築きました。
次に、天命を知らない君主の話をしましょう。紀元前581年、同じ春秋時代に、晋という国の王・景公は無罪の民衆をたくさん殺害したため、毎夜悪夢に悩まされ、心身ともに疲れ果てました。そこで、占い師の桑田を呼んで治療を求めました。桑田は、「君主は今年の新麦を食べることはできません。葬儀を準備してください」とはっきり報告しました。景公はこの忠告を聞き入れず、桑田を追い出し、別の名医を呼びました。6月になり、新麦が収穫された時、晋景公は桑田を呼び戻し、「見てごらん、私は今から新麦を食べるぞ。食べた後で、お前を殺すぞ」と言いました。景公は箸とお椀を手に取って食べようとした途端に突然の腹痛に襲われ、トイレに駆け込み、そこで倒れて命を落としました。結局、新麦を食べることはありませんでした。
晋景公は国の君主として、国民の福利を考えるべきですが、無罪の人を殺害するなど、許される行為ではありません。占い師の言葉は耳に痛いものですが、それを聞き入れるか入れないかは自分の自由で、権力を使って占い師を殺したいと思うのは、本当に心が狭くて残酷です。晋景公は、君主の使命を理解していない人でした。
国の君主であろうと、小さな地方の長であろうと、公務員である人はすべて、使命感と責任感を持ち、民のために善を行い、悪を避けるべきです。今、天は中国共産党を滅ぼしており、『九評』を広めて「三退」を促すことは、国と民の利益にかなう行為です。すべての官僚にとって、邾文公のように民と国を利することを念頭に置くのは賢明な選択です。晋の景公のように、自己中心的で、嫉妬深くて残酷で、国と民に災いをもたらし、自らの将来も台無しにすることがないように注意しましょう。