留置場で学習者から、法輪大法について聞いた(2)
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ーー錦州市の周玉禎さん 14年以上にわたって中共から迫害を受けた

 【明慧日本2025年4月9日】(前文に続く)

 体力を回復するために、私は煉功を始めた。刑務官は私の煉功を阻止しようと、2人の監視役の受刑者を昼夜を問わず私を監視して、私が足を組んで座禅をすることを許さず、立って煉功することも許さなかった。刑務官は私に仕事をさせようとしたが、私はそれを拒否した。すると、彼女らは私を暖房のパイプに手錠で繋いだ。私を立たせようとすると、私は床に座って座禅を組んだ。大隊長の王艶平は私を蹴ったり、蹴飛ばしたりし、さらに監視者と監視を担当する受刑者のリーダーに私を見張らせて、私が座禅をしようとすると邪魔をして座禅できないようにした。2日間手錠をかけた後ようやく手錠を外した。

 5月7日、私は少し食べるか食べない方法で、また水も飲まずに迫害に抗議した。刑務官は私が日に日に痩せていくのを見て、よく点滴を使って私の不当な拘禁を引き延ばした。四カ月ほど経過したころ、私は骨と皮ばかりになった。毎回血圧を測ると、脈圧差は極端に小さく(十または五)、心拍数は速く、強い頭痛を伴っていた。私は煉功しようとしたが、受刑者たちはそれを止めようとした。私は言った。「私はここで静かに座っているか、立っているだけで、誰にも触れていないし、誰にも害を与えたり、妨げたりしていない。私の手足がどう動くかは、私自身の権限で行使するものだ。あなたたちが私に干渉することこそが違法であり、犯罪だ。警察が強制的に、またはあなたたちに強制させて私の煉功を妨害することは、全て邪悪な行為だ」

 当時、私と同時に二階に不当に拘禁されていた法輪功学習者は7名いた。全員が強制労働に抗議し、刑務官の前で自分の態度を表明した。刑務官は「リーダー役」、「監視役」と監視者を指図し、私たちが互いに接触することを禁じた。しかし、これらの法輪功学習者たちは、これらの囚人との接触の中で、純粋さと善良さ、誠実さと寛容さを示した。そのため、これらの人々は心の中で法輪功学習者(以下、学習者)が皆良い人だと感じた。彼女たちは私の非常に堅固な煉功の態度を見て、私が煉功する時、刑務官に見つからないように見張ってくれたが、彼女たちが刑務官に叱られたり、拘禁期間を延長されたりすることを避けたかった。私が煉功した後、私は正常に食事を始め、体の回復も早かった。

 2005年11月20日頃、私は再び食事を減らすか摂らず、水分を減らすか摂らないことを通して拘禁に抗議した。2006年1月24日まで、私は皮膚だけが残るほど痩せ細り、左側の首には腫れ物ができ、左頬全体がひどく腫れ上がり、左目も開けられず、耳から膿が流れ出ていた。26日、労働教養所は私が流行性耳下腺炎にかかり、他人に伝染することを恐れ、ようやく家族に私を迎えに来るよう通知した。翌日、私の弟が私を迎えに来た。20カ月に及ぶ迫害を経て、私はついにその邪悪な黒い巣窟を離れ、自由を得た。

 再び邪悪な迫害を避けるため、私は放浪生活を余儀なくされた。私が受けたこれら全ての残酷な迫害は、私が真・善・忍への信念を堅持し、真・善・忍に従って良い人になることを求めたからに過ぎない。

 真相を伝えたとして、不当に懲役4年を宣告

 2013年7月23日夕方、私と同修の王彦秋さん、曲偉さんは、中国伝統文化を広める神韻公演のDVDを世間に配布していた際、現地の警官に不当に連行された。

 曲偉さんは錦州市留置場に不当に拘禁されている間、3日間、吊り下げる拷問を受けた。その後、彼女は糖尿病の症状を示した。15日後に釈放された時、曲偉さんの両足はすでに潰瘍を起こし、血糖値は18.7であった。2014年8月21日、曲偉さんは糖尿病性合併症による昏睡状態に陥り、錦州市中心医院に入院した。5日後、曲偉さんは無実の罪を着せられたまま亡くなり、享年57歳であった。留置場で、私は警官に二度平手打ちされた。私と王彦秋さんは「大掛け」などの拷問で迫害され、王彦秋さんの体は迫害により病的な状態になった。重度の貧血、血色素が5グラム未満、さらに高血圧、子宮筋腫、頸椎水腫を患っていた。私は常に高血圧、高血球であり、その後、血便の症状が現れた。

 2014年12月1日、古塔区裁判所は私と王彦秋さんに対して裁判を行い、2人にも懲役4年を宣告した。4回健康上の理由で入所しなかった。5回目、私と王彦秋さんは強制的に遼寧省女子刑務所に送られた。王彦秋さんは遼寧省女子刑務所で深刻な迫害を受けた。わずか1年余りの間に、十数種類の病気を患い、最も深刻なのは高血圧と脳卒中であった。彼女は信念を放棄しなかったため、馬三家監区で強制的な「転向」を受け、拷問を受けた。

 ある日、王彦秋さんは法輪功迫害を主管する副大隊長の尤岩からひどい扱いを受け、懲罰房に入れられた。普段は強制的に奴隷労働をさせられた。出所する1カ月前、王彦秋さんはひどい扱いを受けて昏睡状態に陥り、植物状態が続いた。2017年7月、王彦秋さんは出所したが、12月29日に無実の罪を着せられたまま亡くなり、享年56歳であった。

 私は刑務所に連行され、3年以上にわたる深刻な迫害を受けた。2017年7月、私は解放された。私たち3人が一緒に不当に連行されたが、そのうち2人が迫害により亡くなった。

 精神的、経済的迫害を受け、癌を患いながらも刑務所に連行される2016年11月、錦州市社会保険局は私の年金の支給を停止し、私の心身を著しく傷つけると同時に、経済的略奪を受けた。これは法輪功迫害の元凶である江沢民が制定した迫害政策「名誉を失墜させ、経済的に遮断し、肉体的に消滅させる」である。私と周囲の学習者たちが受けた残酷な迫害の経験を思い出すと、まさに江沢民のこの絶滅的な迫害政策の真の描写である。

 不当な判決により、私の年金は不当に停止され、老後の唯一の収入源を断たれた。私の夫は早くに亡くなり、私は一人暮らしをしている。社会保険局が私の年金を独断で支給停止したため、私は生活費がなくなり、70歳に近い年齢で他人のベビーシッターをしなければならず、生活費を稼いでいる。

 私は留置場にいた時に結腸癌と診断されたが、警官は私に検査報告書を渡さず、治療も受けさせず私を刑務所に移送した。

 刑務所では、私は毎日強制的な「転向」を受け、「保証書」を書き、信念を放棄するよう強要された。70歳近い老人である私は、さまざまな侮辱、罵倒、暴行、拷問を受けた。刑務所はまた、憎悪を煽るなどの方法で私を差別し、孤立させ、私の精神に計り知れない、取り返しのつかない損害を与えた。

 再び不法に懲役4年を宣告される

 2019年4月中旬のある日、私は真相資料を配布していた際、錦鉄派出所の警官に連行され、錦州市古塔区公安支局国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)に引き渡された。その後、派出所と国保は私を陥れ、現地検察庁に送致した。同月30日、私は検察庁に連行された。同年7月末、私は錦州市古塔区裁判所に秘密裏に不当に懲役4年の判決を宣告された。公判期間中、家族には通知されなかった。刑務所に移送される際、錦州女子留置場は私がどこに移送されたのか家族に知らせなかった。私の弟は遼寧省女子刑務所に私が入っているかどうか尋ねに行ったが、刑務所は親族証明がなければ照会できないと言った。私の弟は帰宅後、所属する派出所である錦鉄派出所に親族証明を発行してもらおうとしたが、派出所は拒否した。

 2020年以降、刑務所は新型コロナウイルスを理由に、遼寧省の各刑務所を完全閉鎖した。そこに拘禁されていた学習者のほとんどは外部との連絡を絶たれ、面会や電話などが禁止され、その状態は1年以上続いた。内部で行われている迫害はさらに悲惨になり、強制的に「転向」させられたすべての学習者は、さまざまな拷問を受けた。監房での拷問、電気棒による電気ショック、集団暴行、長時間吊り下げ、後ろ手にして手錠、餓死死、凍死刑、さまざまな体罰、トイレの使用禁止、睡眠剥奪、強制的な洗脳などの迫害は様々であった。過負荷の労働は、最長で16時間に及んだ。特に、コロナが発生した後、刑務所は大量の防護服を加工し、機械は24時間稼働し続け、受刑者たちは疲れ果て、機械のそばで少しうたた寝をするだけで、他の人に交代してもらって、すぐに作業を再開した。

 2020年中国の旧正月前、錦州市の法輪功学習者・葛英傑さんは懲罰房に入れられ、約1カ月間拷問を受けた。7月初旬、刑務官に指図された複数の悪質な受刑者による集団暴行を2度受けた。私は皮膚が骨に張り付くほど痩せ細り、体重は約40キロしかなく、体調は極めて悪かった。

 私を「転向」させるために、受刑者たちは私にトイレに行かせず、眠らせず、数日間、夜間に強制的に立たせ、立てなくなると暴行を加えた。受刑者たちは交代で私を苦しめた。私が刑務官に質問すると、刑務官は「上からの指示なので、私たちもどうしようもない」と言った。その「上」とは誰なのか、彼女たちは言わなかった。また、「転向」の内容はさらに邪悪で、学習者に真・善・忍の信念を放棄させ、法輪功の師を罵倒させた。私は刑務官たちに「大法は私から一銭も受け取っておらず、私の体を健康にし、私の道徳心を高めた。私に何かを強制したこともなく、学びたければ学び、学びたくなければ去ればよく、自分で選択できる。私がなぜ罵倒されなければならないのですか」と尋ねると、彼女たちはまた「どうしようもない、上からの指示だ」と言った。

 刑務官たちはかつて、私を殴るために受刑者を使った。数人の受刑者が私の四肢をしっかりと押さえつけ、それから1人の受刑者が私の両足を踏みつけ、私の足首の骨を足の中に押し込んだ。手、足は一面の青あざになり、ひどく腫れ上がった。受刑者はさらにその青あざや腫れ上がった場所を強く踏みつけ残酷ものだった。

 詐欺師の尤婷麗は学習者に迫害を加担した受刑者であった。彼女は私の心拍数が高すぎるから薬を飲ませると言い、数人に私を押さえつけさせ、私の口を強くつねり2本の歯を歪ませた。彼女は一日中絶え間なく私を害し、昼間は殴り、拷問し、夜は殴りながら「転向」の誓約書を書かない、または「転向」のビデオを作らない限り、終わらない」と言った。

 数人の受刑者が私を押さえつけ、数人が私の太ももの内側、体、腕をつねった。力を入れるため、つねるときは手をねじりながら行った。私を蹴り、殴り、70歳近い年配の私をこのように虐待した。彼女たちは交代で見張り、私を眠らせなかった。さもなければ、同じ監房の他の受刑者の洗面を連帯責任で禁止し、このような卑劣な方法で憎悪を煽り、より多くの人々を脅迫して私への敵意、罵倒、迫害に加担させた。私は刑務所にいる毎日、毎瞬間、このような極端な虐待を受けた心身で苦しい時間を過ごした。刑務所は、あらゆる残酷な手段を用いて学習者を強制的に「転向」させることを、自身の政治的業績と実績の最高基準とみなした。

 私が女子刑務所に到着した時、彼女たちはあらゆる残忍で卑劣な手段で私を扱った。トイレに行ってもトイレットペーパーを与えず、夜寝る時も布団を与えてくれなかった。彼女たちは学習者に必ず「転向」を要求し、「誓約書」を書かないと、白いシーツ1枚しか与えなかった。瀋陽の冬は非常に寒く、私は9月にそこに着き、12月末までずっとその状態だった。11月のある晩、彼女たちは窓を開けて私を凍えさせようとした。同室の他の受刑者が耐えられなくなり、ようやくやめた。昼間は2人の受刑者が専属で見張り、寸時も離れずに私を監視し、苦しめた。彼女たちは最も汚く、最も下品な言葉で私を罵った……2023年4月、私はついに遼寧女子刑務所という悪魔の巣窟を後にした。

 現在の状況

 2024年4月30日午前、周玉禎さんは路上で真相資料を公に配布したため、錦州市公安局古塔支局の保安派出所の警官に不当に連行され、錦州市女子留置場に入れられ、15日間の行政拘留を受けた。同年9月中旬、周玉禎さんが凌海市裁判所に不当に懲役4年6カ月の判決を宣告されたことが判明した。これは彼女にとって3度目の不当な懲役刑である。

 現在71歳の周さんは、遼寧女子刑務所に不当に拘禁されている。周さんの親族は、彼女が迫害を受けている状況を尋ねることを恐れており、彼女の状況はさらに困難になっている。

 (終わり)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/19/491746.html
 
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