【神伝文化】 貧しい韓翁はいかにして富豪になったのか
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 【明慧日本2025年5月12日】清の時代の文人・汪道鼎(おうどうてい)は、日頃から集めていた因果応報の実例や民間に伝わった、信ぴょう性の高い伝説を集めて、『坐花誌果』(ざっかしか)という本にまとめました。本には計88の因果応報の話を収め、善行に励むように教化しています。中国伝統文化の傑作として、国内外で広く好まれています。

 今日は『坐花誌果』に収録された、松江府華亭県の韓翁(韓という年配男性の意)が富を築いた物語を紹介します。松江府の場所は現在、およそ上海の松江区に当たります。

 華亭県の韓翁(かんおう)は衣服を売る店を営んでおり、小規模な店でそんなに儲かりませんが、普段から熱心に人助けを何よりも喜んでやっています。

 ある年の年末、大雪が降りました。夜中、韓翁が仕事を終えて寝る準備をしていると、突然、誰かがドアにもたれかかったような音とため息が聞こえました。韓翁はろうそくを持ってドアを開けてみると、一人の男が荷物を持ってドアにもたれかかって座っていました。話を聞くと、その人は上海のある商店の従業員で、華亭県に売掛金の回収しに来て、仕事が終わったら深夜になってしまい、船に乗るのも宿に泊まるのも時間が遅すぎて、仕方なく屋根の下で身を潜めて、明け方を待っていたのでした。韓翁は驚いて「売掛金を回収してきたのなら、きっと大量の現金を持っているので、野宿をなさるのは危険すぎます。たとえ無事でいられても、この寒さにはどう耐えられますか。私の家は狭いですが、良かったらどうぞ上がってください」と言いました。

 韓翁は男を家に招き入れ、衣服がすべて濡れているのを見て、自分の新年の新しい服を男に着替えてもらいました。さらに、韓翁は男に酒と食事を提供し、「これは昼間に用意したもので、大晦日に常連客と従業員をもてなすためのものです。寒さをしのぐために食べてください。礼儀が足りないところがあればお許しください」と言いました。男は飢えと寒さで困っていたので、韓翁の温かいもてなしと宿泊の提供に非常に感謝し、絶えず感謝の言葉を述べました。男が食事を終えると、韓翁は布団を敷いて寝床を用意し、男が落ち着いてから自分も眠りにつきました。

 翌朝、風と雪はさらに強くなり、船は出航できません。韓翁は男に雪が止むのを待つように提案し、嫌な顔一つせず、男に良い酒と食事を用意しました。その夜、男は韓翁に「あなたの好意にとても感謝し、恩返しに何かをしたいと思います。華亭県の米の価格は非常に安いと聞いており、上海に運んで売れば大きな利益を得られるでしょう。私は売掛金を回収してきたので、今、手元にかなりの現金を持っています。銀300両を貸して、あなたが商売をするのはどうですか」と言いました。韓翁は堅く断ると、男は黙って頷きました。

 次の日、風が止んだので、韓翁は男のために船を手配し、ふ頭まで見送りました。船が出発する直前に、男は韓翁に「昨日言った300両は、ベッドの下に置いてあります。帰ったら米を買ってください。来年の元宵節(げんしょうせつ、旧歴の1月15日)に、私は上海の店でお待ちしています」と言いました。韓翁は驚いて、それを返そうにも、船はもう出発してしまいました。仕方なく帰ってみると、本当に男のベッドの下に銀がありました。そこで新年に、その銀で米を買い、上海に運びました。

 韓翁は男の店を探して、男に会いました。男は韓翁を見て微笑み、「本当に信用できる人ですね」と言いました。韓翁は米を買って上海に運んできたことを伝えて、「自分はあくまでもあなたの代わりに300両の銀で米を買って運んだだけで、米を売った利益の配分には手を出しません」と表明しました。すると男は、「こちらは去年出会った華亭県の韓さんです。今、彼は米を運んできました」と韓翁を店主に紹介しました。店主は感謝し、「当店の従業員が大金を持って野宿した時、あなたのような善人に出会っていなかったら、大変なことになっていたでしょう。今、あなたは約束どおりに来て、見返りも求めず、まさに古代の君子のような人です」と言いました。店主は貴賓を招待する礼儀で韓翁をもてなし、豪華な宴を設けました。食事の後、韓翁は米の購入記録を男に渡し、米を陸揚げするように言い、自分は華亭県に帰ると言いました。男は微笑んで、「米の件はもう処理にかかっています。少しの間ゆっくりし、急いで帰らないでください」と言って、毎日韓翁を連れて遊びました。

 数日後、店主はまた韓翁を招待して、「あなたが運んできた米は全て売れて、大きな利益が出ました。今、さらに多くの銀を貸し出しますので、私のために米の買い付けを手伝ってください。利益はあなたと折半します」と伝え、大きな銀の塊を韓翁の前に置き、「これは今回の利益の分け前です」と言いました。韓翁は最初は断りましたが、最終的には受け入れ、「店主のご依頼に応え、全力を尽くします。ただ、一つお願いがあります。私の得た利益の一部を、貧しい人々を助けるために使わせてもらえませんか。銀は店主から頂いたものですので、店主の許可がなければ行動できません」と言いました。店主は承諾し、また2000両の銀を韓翁に渡しました。それ以降、韓翁はさらに善行に励み、彼が販売した商品もいつも大きな利益を出しました。

 韓翁はその後、商売で大富豪になりました。人々はその経緯を知らず、韓翁が新居を購入した際に偶然に新居の土地から金と銀を掘り出したと噂していました。いずれにして、韓翁はその後も徳を積み善行を続け、息子が家業を継いだ後も家訓を守り、慈善活動に励みました。彼の子孫たちも学問に励み、儒学者として名を馳せました。韓一家の幸福は絶えることがありませんでした。

 自分に「坐花主人」と名付けた汪道鼎は、「松江を旅した時、韓翁の話を詳しく聞きました。韓翁は学問は深くないものの、その行動は高潔なもので、誠実なことしか言わず行いませんでした。彼の善行は真心からのもので、無理強いは一切なく、突然大富豪になりました。人々は韓翁が簡単に富を得たと見ていますが、その背景にある理由は知りません」と述べました。

 
翻訳原文(中国語):http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/10/245133.html