日本明慧
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青年弟子:精進してしっかり修める(二)

 師を信じ、法を信じ、大学受験で奇跡

高校3年に進級すると、時間は以前よりも緊迫してきて、毎晩、自習をしなければなりませんでした。家に帰るとすでに9時過ぎで、それでも私は毎晩、学法を続けました。時には思想業がとても強く現れ(毎日常人社会にいるので、汚染されないのはとても難しい)、少ししか法を暗唱できず、それでも頑張って続けました。あと1カ月ほどで大学受験という時、私は夜の自習をやめました。なぜなら、勉強は昼間すべきであり、学習が原因で学法や煉功を滞らせるわけにはいきません。それに、学習と学法を両立させることもできなくなると思ったからです。そこで、毎晩早く家に帰り、学法や暗唱を続け、眠たくない時には教科書やノートを見たり、勉強したりして、毎日深夜12時の発正念まで頑張りました(学校に行っている間、唯一座禅して発正念できる機会でした)。師父のご加護の下で、昼間は全く眠くなく、以前と同じく元気いっぱいでした。

このようにして、私は大学入試まで頑張りました。入試前夜でも、入試中でも、私は常人の言う焦りやイライラを感じることはありませんでした。なぜなら、自分は常人とは違って大法弟子であり、師父が按排してくださった道だけを歩み、それが一番素晴らしいものだと知っていたからです。こうして私は精神的負担もなく、大学入試を終えることができました。

大法弟子はどんな時でも試練に遭います。私はふだんから、比較的成績の優秀な学生たちよりもすべてが少し高く、成績が出た時、もう1人の成績がまだ分からないために、私は自分が第1位だと思い込んでいました。そして翌日、その学生は私より1点高く、私は第2位になりました。その時、私は内心喜びました。これは、私の負けん気の強い心に対して向かってきたのだと分かり、私はすぐにそれを拒否し、認めず、取り除きました。私とその学生は縁があったのか、受験して同じ大学に入ったのです。

長期にわたり修煉してきましたが、自分はまだまだ足りないことを知っています。師父が済南での説法で、「自分は他人より優れていると言う人がいますが、それはあなたが常人の基準ではかっているからで、常人の道徳基準はすでに下がってきています。あなたは修煉者の基準で比べるとほど遠いのです(大意)」とおっしゃったように、自分もそうなのです。

私がこの文章を書きとめたのは、以前の経験を思い出すだけでなく、私と同じような精進していない子ども弟子に曲がった道を歩まないよう注意する意味もあります。そして、私が述べた学習方法と状態は、私が今いる次元での悟り、現れたことであり、誰もが同じ状態になるとは限りません。同修たちがこれらのことについて、正しく対処するよう望みます。

不適切な所がありましたら、ご指摘をお願いします。

(完)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/7/19/244114.html) (English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/7/31/127121.html)
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