旧勢力の按配を否定し、法輪大法を真に修める(一)
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文/中国の大法弟子

 私が住む県のある同修のアドバイスのもと、また法理に基づき切磋琢磨した後、私は自分が大法を修煉するなかで起きた奇跡を書き出すべきだと認識しました。これは自分を証明するのではなく、法輪大法を実証するためのものです。

法を得て修煉を始める

 私は東北の田舎のある農家に生まれました。物心ついた時から、全身が辛く、一日中泣いていたため、誰もうまくあやすことができず、家族は私に「乾磨」(どうしようもないという意味)というあだ名を付けました。私は1974年の春に肺結核を患い、咳をすると血が出てきました。1975年3月に会社勤めをし、公費医療のため、漢方や西洋の薬を飲み尽くしましたが良くなりませんでした。このような状況の下で、私はあらゆるところへ仙人を探しに行きました。深山の中で、私はある修道人に出会いました。彼に私の状況を伝えると、彼は私に  「佛は東北に降りられる。あなたは彼を探せばよい」と言いました。しかし、こんなに人がいる中で、どこに行って探せばよいのでしょうか。

 1996年1月、偶然のような状況で、私は『転法輪』を読む機会がありました。私は心が震え、幸運にも法を得ました。師父の説法ビデオを見たときに天目が開きました。当時私は17歳ぐらいでしたが、網の中に閉じ込められたようで、どうやっても抜け出せない状態でした。当時の状況を誰に聞いても、うまく説明できる人はいませんでしたが、今になって私は分かりました。これこそ法を得る前の私であって、師父が私を救い出してくださったのです。大法を修煉してから、私はすべての病気がなくなり、すべての苦しみも消えました。私は毎日が喜びにあふれ、仕事はますます順調になり、ますます上手く行えるようになり、毎年高い評価を受け、全国、省、市の専門会議で報告や発表をしたことがあります。

法を護る

 1999年7月、江沢民集団は、「真・善・忍」を信じる1億人以上の修煉者に対する迫害を発動させました。私も迫害の対象となりました。邪悪は私にテレビカメラの前で、大法との決裂、大法を学ばない、煉功をしない等の態度を示させ、全国で生放送をしようと2回試みました。その時、「私は大法弟子だ。決して彼らの話を聞いてはいけない。決して彼らが目的を達成できるようにさせてはいけない」と思いました。そして、会社の幹部たちにはっきりと大法の真相を伝え、理性と智慧を持って、彼らに「大法は素晴らしい、法輪功を弾圧することは間違っている」と伝えました。私は師父の加護の下で、危険を無事に乗り越えました。さらに多くの人に大法の真相を理解させるため、私はスローガンを書き、横断幕をかけ、CDを配り、真相小冊子を配るなど、いろいろな方法を利用しました。時には同修たちと協力し合って、レンタカーに1千部以上の真相資料、CD、横断幕を載せ、全県の郷、鎮、村、屯、および関連する地区を走り回りました。一回出ると夜遅くまでかかりました。

蘇える

 2005年の年越し前後に、私は連続して病業の状態が現れました。一回目は腸閉塞で、鼻から大出血しました。二回目は突然嘔吐し、なんと気絶してしまいました。会社と家族によって、瀋陽市陸軍総院に送られて緊急手当てを受けました。脳葉出血と診断されました。私は12日間気絶して、目覚める前にはっきりとした夢を見ました。私のベッドのそばをまず二頭のゴリラが歩いて通りました。それから、大きい亀と同じ太さの大蛇が這って通りました。彼らは私を迎えにきたので、彼らと一緒に行こうという意味でした。私は、あなたたちについて行かない、と言いました。言い終わったら、目が覚めました。私は病院ですでに12日間気絶し、引き続き治療を受けていると聞いたとき、非常に心が辛くなりました。私は起きて、両脚を組み、妻にペンと紙を持ってくるように依頼しました。私は何も考えずにこう書きました。「宇宙の神々よ、証言してください。私は李洪志師父について大法を実証し、衆生を救い済度します。私は師父に手伝うために世間に来ました。私の任務はまだ完成していないので、あれらについて行けません。私はまた李洪志師父が人間世界で法を正される時を見てみたいです」と。書き終わったら、自分の名前をサインし、日付も書きました。その後、私は退院手続きをしたいと強く要求しました。ここは私がいる場所ではないと思いました。私は大法弟子のなかに帰らないといけません。強い要求の下で、退院できました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/10/7/247598.html)     更新日付:2011年10月11日
 
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