文/中国の大法弟子
心性を向上させる
生死の試練と、真に法に基づいて着実に修煉することを通して、私は大法の無辺の内包と、法理を悟ることができました。師父は私たちを済度するために、人間の苦しみを嘗め尽くし、また宇宙の中で最もすばらしい大法を私たちに授けてくださいました。私たちは自分をしっかり修め、名、利、情を取り除き、常人としての親の情、物質と利益、腹を探り合って暗闘する中から、抜け出さないといけません。心性の向上において、私は自分に対して厳しく要求することができました。
現在、私は「病気」治療のために、会社に6万3千元の借金があり、会社は毎年私の給料から5千元を差し引いています。会社の幹部は我が家の生活が比較的に困難であることを知り、最初の年越しの際に、2千元を援助してくれました。翌年もくれようとしましたが、私は受け取りませんでした。ある友人は、私が土地証明書を作ってくれれば、私に1万元をくれると言いましたが、私は彼に作ってあげませんでした。婿は結婚後に不倫をして、娘は彼と離婚しましたが、なにも財産をもらいませんでした。当時、私が住んでいたマンションは会社で個人の資金も一部集めて建築したもので、118平米の広さでした。婿のマンションは116平米でした。わが社でマンションを建てるとき、婿と娘は私のマンションのほうがよいと思い、私のと交換しようとしました。私は何も考えずに交換しました。しかも、何の協議文も書きませんでした。
マンションを交換してから5年後、彼らが離婚するとき、婿は私を法廷に告訴し、この二つのマンションとも自分の所有だと主張しました。二つのマンションは合わせると100万元以上の価値があります。この状況に直面して、私は娘に、「この案件は、どこまで訴訟できるかどうか、あなたに任せるよ。私はただ自然に従うだけ」と言いました。最後に、裁判所はマンションを私の所有だと判決しました。
6年前、私は省に一つのプロジェクトを申請しました。当時、このプロジェクトは郷長を務めている昔のクラスメートにやってもらいました。彼は当時、プロジェクトが完了したら、私にマンションを買ってくれると言いました。当時80平米のマンションを買うのに15万元くらいかかりました。最近、彼は私に会いに、わが社を訪れましたが、マンションのことについては一切言いませんでした。当時、私は心のバランスがとれなくなりました。しかし、私はすぐ、これは私心であり、利益の心であり、闘争心であり、貪る心であると認識しました。私は心の中で、「これらはいらない。私は徳をもらう。名、利、情はいらない」と思いました。
私が住んでいるマンションの上層に、麻雀室がひとつあり、一日中騒がしく流行音楽を流していました。そのため、私は休むことができませんでした。ある人は私に、通報するようにアドバイスしてくれました。しかし、もし通報すると、彼らは家宅捜索をされ、その損失はとても大きくなります。私は、大法弟子で、さらに高い法理で自分を律するべきです。師父はトラブルにぶつかったら、くれぐれも内に向けて探すように何度も言われました。私は無条件に内に向けて探し、私はこの環境を、心性を向上させる良いこととして対処することにしました。私は通報せず、ただ発正念を強化し、内に向かって探しました。その後、麻雀室から聞こえる人の声は小さくなり、流行音楽も聞こえなくなりました。私は心性において向上しました。
私が心性を向上させる中で、妻はいつも憎々しげに私を見ていました。私の話が間違っているとか、物事を正しく処理していないとか、部屋の中での歩き方が間違っているとか、少し音をだしてもだめだとか、何もかも間違っていると指摘しました。最初、私は彼女を非常に恨み、常に彼女と離婚しようと思っていました。このとき師父の法を思い出し、善は佛性であり、悪は魔性である、と悟りました。私は善をもって、彼女に対処しました。私が観念を切り替えた途端、内心の深いところですばらしい感覚を覚えました。私は本当にあなたに感謝する、という気持ちでした。
私に薬を飲ませようと、妻は2人の娘を呼んできて、私の前でひざまずきました。その時、私は彼女たちに師父の説法を読んであげました。「人間の修煉は実に難しいもので、本当の修煉は、わたしの法身の守りがなければ、とてもできないことです。外出すると、もしかして命にかかわることに出会うかも知れません」(『転法輪』) 私は、この一生でほかでもなく、師父の話だけを聞く、私には病がないから、私は薬を飲まない、と言いました。彼女たちは何も言わず、私の決定に同意しました。
言いたいことはとても多くあり、書きたいこともとてもたくさんあります。千言万語を尽くしても、師父の衆生に対する慈悲と広々とした佛恩を語ることはできません。
私は、師父が人間社会を正すそのときを見ることができ、その日はもう遠くないと信じています。修煉の次元に限りがあり、法に則っていない認識については、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。共に精進しましょう!
(完)