私はしばらくの間、交流の文章を書きませんでした。いつも自分はよく修めておらず、文章力も低いと思い込んでいましたが、今年7月の出来事を通じて、私は向上し、心身ともに変わりました。ここで、その経歴を書き出して皆さんと交流したいと思います。
私は生活に余裕がなかったため、定年退職してから清掃の仕事を始めました。6月に、父が病気で入院しました。以前、母が入院した時もずっと私が世話をしたので、今回も私が行くことになりました。私は大法弟子だから当然のことだと受け入れました。弟妹は皆喜んでいましたが、私が勤めていた清掃の仕事は誰かに頼まなければなりませんでした。
病院で、私は20日間父の世話をしたので、代わりの清掃員が20日間仕事をしました。しかし清算の時に、その人は21日間の給料を求めました。道理を言っても聞き入れず、公正な立場に立つべき班長も代わりの人の立場で話しました。
「本当に修煉を決意した人にとっては、もし耐えることができ、さまざまな利益を前にして執着心を捨て去ることができ、そういうものに淡泊になれたら、こういうことを真に実行できれば、難しいことは何もありません」(『転法輪』)という法を、夜の学法時に学習してから、急に昼の事件を思い出しました。それは偶然なことではなく、因縁関係があり、自分が返さなければならなかったのかもしれないと思いました。翌日私は21日間の給料を払いました。
普段の仕事の中で、私はなるべく修煉者の基準に基づいて、自分の清掃区域を綺麗にするので、周りの雰囲気もよく、上司にもよく褒められています。しかし、給料の件があってから、班長と代わりの人はずっと私のことをバカにしていましたが、いつも私は「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」と思って修煉に励みました。
表面上では忍ぶことができるのですが、心の中で真に放下したとは言えませんでした。心の中で放下していなかったため、続けて数日後にはトラブルが一層大きくなり、今にも喧嘩にならんばかりでした。私は絶えず慈悲と寛容を自分に求め、『洪吟』を暗唱して鬱憤を解消しました。いつも、常人はまるで幼稚園児のようで、自分はそのレベルではないと思い、次第にこの環境から抜け出して、心も明るくなりました。
その後、トラブルはさらに大きくなりました。しかし私は、毎回自分の正念を強めて、慈悲と寛容の気持ちを持つようにしていました。毎回辛く感じた時には、何回も慈悲と寛容を心に覚えさせる中で、私は百パーセント師父と法を信じて、絶対この難関を乗り越えようと思いました。修煉者は、無限の宇宙のように広大な慈悲と寛容を持たなければなりません。この念が出た途端、私は全身が熱く感じ、良くない念と物質が全部なくなり、すっきりと気持ちよくなりました。
「心性が高まってくると、身体にも大きな変化が起こります。心性が高まってくると、身体を構成している物質も間違いなく変化が起こります」、「本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと「柳暗 花明 又 一村」というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」(『転法輪』)という師父の説法を思い出して、感動のあまり涙が流れました。心から師父のご啓示に感謝いたします!
私が難関に直面していた間に、自分の管轄の男女のトイレが詰まって使えなくなりました。以前も同じようなトラブルがあったのですが、長い間メンテナンスをしておらず、水槽も使えなくなりました。私自身が大きく変化したその日の夜、発正念の時に、私は「詰まった下水道も使えるようになる」と念じました。不思議なことに、翌日になって本当に使えるようになりました。社長とマネージャーも喜んで、それから徹底的に修理しました。数日後、班長が代わりました。師父の仰ったとおり、「内を修めて外を安定させる」です。外部の環境は自分の修煉状態と密接につながっているのです。
しばらくして、私は父の所に行きました。弟の嫁が「姉さん、また向上したね。顔色が良く、皮膚もつやつやして、顔も慈悲深く見えますよ」と話しました。私は師父への感謝の気持ちを言葉で現わすことができません。法に同化する生命は本当に幸せです。涙が再び流れてきました。
内に向けて探すことの素晴らしさ、大法に同化することの幸せ、生命の意義を知った悟り、このすべてを師父が授けてくださいました。再度、師父に感謝いたします。
合掌