確実に修煉して、魔難から抜け出す(三)
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文/中国大法弟子

 明慧日本2012330日】

 、反省

 このたび私は遠く回り道をしてしまいました。教訓も大きいです。

 1、法を学んで、法を得る。

 「法を学びて法を得る 比して学び比て修す 事々対照し 做すところ到は是修なり」(『洪吟』「実修」)。

 法を勉強するとき、量に執着すれば、法を得ることはできません。法を得られなければ、法理もはっきり分からず、師父と法への信頼も足りなくなり、確実な修煉はできません。そうすると歩んでいる道は師父が按排してくださったのか、旧勢力が按排したのか弁別できないので、徹底的に旧勢力の按排を否定することができません。甚だしきに至っては旧勢力の按排した道を歩んでいても分からないのです。

 2確実に修煉する

 師父の要求通り、三つの事を行なうとき、法に符合しない人または事を見かけたり、魔難に遭遇したとき、必ず自分を探して、自身にこれらの物質があるからこそ、自分の空間場に現れてきたので、それは師父がわれわれに修すべきだとお告げをしてくださっていると悟りました。一部の執着は自分で分かり、自ら修めることができますが、しかし、自分で認識できない執着もあるからこそ、いつも謙虚に、感謝の気持ちで他人の指摘や意見を受け止めるべきです。

 3観念を変え、正念で問題を見る。

 師父は『転法輪』の中で「天目の話をする前に、まず、われわれ人間の肉眼のことをお話しましょう。この両目を通して、世界のあらゆる物質、あらゆる物体が見えると思う人がいます。そのため、彼らは目で見たものこそ真実で、見えないものは信じられないと固く思い込んでいます。昔はずっとこのような人は悟性が悪いと見なされていましたが、なぜ悪いか多くの人ははっきり説明できません。見えないから信じない、とても理にかなっているように聞こえるではありませんか。しかし、ちょっと高い次元から見るとそれは理に合わないのです」を説かれました。

 肉眼で見たものがすべて虚像ならば、この空間の虚像に惑わされてはなりません。癌やら、転移やら、あれこれも、すべて旧勢力が私たちを妨害するために作った虚像なのです。人間の観念に執着すると、虚像も絶えず変化して、正念がますます足りなくなるような作用を働き、これらの虚像に左右され、どんどん深く落ちてしまい、最後に旧勢力に崩壊させられます

 観念を変えて、正念で問題を見ましょう。「皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできず、圓満成就できません」(『精進要旨』「警告の言葉」)。

 私の悟りでは、もし私たちが師父の弟子であることを固く信じて、師父が按排してくださった道を歩むことを誓い、徹底的に旧勢力が按排した道を否定するなら、修煉の中で現れてきた如何なることもすべて良いことだと見るべきです。下痢をすれば異常で、しなければ正常、ご飯を食べられたら正常で、食べられなかったら異常、太ったら正常で、痩せたら異常、咳が出たら異常で、出なければ正常、などなど、すべてが常人の観念であり、重く見ていくと、無意識にそれを認めることになり、それが大きくなって、自分が小さくなってしまいます。すでに自分すべて師父にお任せするのなら、すべてを師父にお任せして、後の事は自然の成り行きに従えばよいのです。

 慈悲なる師父の済度に感謝いたします!

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/3/23/254448.html)     更新日:2012年3月31日
 
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