【明慧日本2012年3月28日】
二、師父は私が内に向けて探した後、生き返らせてくださった
甲同修がお見舞いに来たとき、師父が『大法弟子とは何か』を発表されたと教えてくれました。その時私はパソコンを開く力もありませんでした。数日後、やっと経文をダウンロードできて、座って経文を読むため痛み止め薬を飲んで、20数ページの経文を午前から夜の8時までかけてやっと読み終えましたが、妨害は大きかったです。
震撼しました。師父は『大法弟子とは何か』の中で「大法弟子は迷いの社会で常人と一緒に生活しており、考えや、少なくともある方面が波に流されがちです。何かを行なうとき、大法で自らを量ることができなければ、正念で問題を考えることができず、問題にぶつかったら法に則っていなければ、あなたは常人にほかなりません。何の区別もありません。あなたの外見が常人であり、生活の環境は常人の環境で、常人の仕事をしています。大法弟子のプロジェクトに関わっているとしても、天上にはテレビ局もなければ、神は新聞も読まず、すべて常人社会の形式です。あなたは正念で自らを指導することができず、大法弟子らしく修煉者の基準で自ら、世界そして相手を量ることができなければ、あなたは常人と同じです。」と説かれました。
私は大法弟子ですか? と自分に問いました。歩んできた修煉の道を振り返ってみると、ずっと門の外でぶらぶらとしていた自分に気づき、自分は真に大法修煉の門の中に入っていませんでした。法の勉強と暗記にとても力を入れていますが、しかし心の中に入らず、読む量を求めて、法を得ていませんでした。法に基づいた修煉でないと、いくら大法の事を行なっても、常人が大法の事をやっていると同じで、修煉ではありません。内に向けて探すことも分からず、目線はいつも外に向いて、嫉妬心、歓喜心、色欲心、闘争心、強がる心、他人を軽蔑する心、疑う心、自我を実証する心、自我のための心、恨む心、利益心などなどの人心はとても強く、魔難が大きくなって、かえって師父はなぜ見守って下さらないのかと思うこともありました。体に表れた魔難について、法理上でどう悟るべきか、内を探すことと業を返すことと旧勢力の迫害との間の関係を知らず、いかに旧勢力の按配を否定できるかも分かりませんでした。実は師父はずっとお告げをくださっていました。自分の正念が強ければ、次第に大法の力も現れました。例えば、ベッドから起きられない時、自分は修煉者なのに、なぜ他人に手伝ってもらわないと起きることもできないのかと考えて、何回も何回も「大覚は苦を畏れず 意思は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」(『洪吟二』「正念正行」)を暗記したら、自分で起きられるようになりました。トイレへ行くことができない時、「正念正行」を暗記しながら、椅子を押して前へ進むと徐々に歩けるようになりました。正念が足りないときは、体の状態も悪くなり、症状が繰り返されました。師父が見守ってくださらないのではなく、法理に符合しなければならないので、符合すれば師父は見守ることができます。
このようにして、その日ずっと自分を反省し続け、道を悟り、朝の5時になってやっと寝ました。寝た後、他の空間で、はらはらする正と邪の戦いが始まりました。
一つの大きな教室の中で、たくさんの学生がいました。休憩時間、私は突然地面に倒れて、人事不省のようで、話もできませんでした。なぜ皆が私を支えて立ち上がらせてくれないのかと不思議に思うと、皆はどこに行ったのでしょうか? 周りはなぜかとても静かでした。この時、一つの声が私に「行くべき時が来たよ」と言いました。私は突然分かりました。「行きません! 私は行ってはなりません! 師父は私がこの時に去っていくと按配していません」心の中で絶えず師父を呼んで、正法の口決を念じました。夢の中で私は目を覚ましました。この時、目の前に一人の道士が現れて、彼の背後にはたくさんのたくましい木が並んでいて、髷(まげ)をといた髪と長いひげはみな銀白色で、銀白の光を発して、顔色は白に赤みを差していて、肌はすべすべで、慈悲に微笑んで、話もしませんでした。意念で私に、ついて来るよう伝えてきました。「私は私の師父がいますから、あなたについていきません」と言い、離れていかない彼を見て、もう一回言いました。「私は李洪志師父の弟子であり、行きなさい!」絶えず正法の口決を念じて、師父を呼ぶと、しばらくして彼は消えました。続いて、15歳ぐらいの男女が現れて、楽しそうで賑やかでした。意念で私に、私を連れて行くために来たと伝えました。私は再び師父を呼んで、正法の口決を念じると、彼らも素早く消えました。続いて、私は家の椅子に座って海辺にいましたが、突然海の中にいました、周りは全部海で、他に何も見えませんでした。海水は胸まで来ていました。もう一回師父を呼び、正法の口決を念じると、瞬時に岸辺に戻りました。それで目を覚めました。
はらはらした一幕また一幕にびっくりして、もしお昼に師父の法を勉強しなかったら、内に向けて探していなかったら、今の正念があったでしょうか? 一念の違いで、本当に亡くなったかもしれません。修煉は本当に厳粛なものです!
師父は『転法輪』の中で「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」、「心性が高まってくると、身体にも大きな変化が起こります。心性が高まってくると、身体を構成している物質も間違いなく変化が起こります」と説かれました。その日から、内に向けて探すことができるようになり、しだいにすべてが変化し始め、ますます良くなりました。今、大体正常に戻りました! ご飯を作るなど簡単な家事ができるようになりました。
今年の1月、私が一人で車を運転して会社へ行った時、同僚たちは私を見て、彼らはとても喜んでくれました。私が意外にも生きており、こんなに元気にしているからです。彼らは自分の目で大法の素晴らしさと不思議さを確かめました(私は大法を修煉していることを彼らも知っています)。私は彼らに法輪大法に感謝していると言いました。「法徒受魔难 毁的是众生」(『洪吟三』<生生为此生>)。
(続く)