文/河北省の大法弟子
【明慧日本2012年1月21日】数日間、歯が痛くて堪りませんでした。酸っぱいもの、甘い、冷たい、熱い、硬いもの全てが駄目で、お粥を食べても水を飲んでも痛かったのです。常人の病理で解釈すると、神経が痛かったのです。
私は大法弟子であり、これは病気ではないはずです。そこで私は正念を発して、妨害と迫害する一切の邪悪の要素を解体し、それから内に向けて探しました。修煉のやり方に何か漏れがあるのではないか? また自分の不注意などについて考えてみました。
1年前、私は金銭のことが原因で元の家を売り、新しい住宅を購入しようとしました。新しい家がまだできていないため、しばらく親戚の家に間借りをしました。他の人は住宅を建てる時、一括払いはしませんが、私は大法弟子だから「金銭には執着しない」と思って、一括で支払いました。しかし家は1年経っても完成せず、「さらに1年かかる」と言われました。私は、仕方なく賃貸の部屋をかりました。
借りた住宅は辺鄙なところにあります。私は人心が湧いてきて「これでは真相伝えに不便だろう」とあれこれ心配しました。私は苦しくて食事をとることも、よく眠ることも出来ずに後悔しました。
それから、邪悪の妨害もやってきました。大家さんは相談もせず、外壁にこの住宅を販売する広告を貼りました。私は住宅を購入するとき全額を支払ったのに、1年経っても住めません。余計な金を使って、賃貸の住宅に住んでいるのに、大家さんは部屋代を貰いながら販売するなんて、大家さんは都合が良すぎると不平に思いました。大家さんと論争する気はありませんでしたが、自分の心が落ち着きませんでした。
色々と内に向けて探し、やっと分かりました。私は、邪悪の迫害の下で10数年の修煉を経て、金銭や個人のことを淡々と見ることが出来るようになったと思います。しかし目の前で発生した事件に対して、なぜ乗り越えられないのでしょうか? 毎日学法し、失わなければ得られずの法理も分かっているのに、なぜ落ち着かないのでしょうか? 根本的に利益を追求する人心がまだまだ存在しているのです。そうであるなら、今回の歯が痛いことは偶然ではないかもしれません。それは、私に「心性を向上させなければならない」と注意してくれているのだと思います。
私は強大な正念を発して「大法弟子の私は、師父の按排しか受け入れず、大法弟子として行うべきことを行い、邪悪の迫害を全面的に否定する」と念じました。
しばらくすると歯の痛みもなくなり、大家さんは「いま不動産の価値が下がったので、この住宅は売らないようにした」と言い、広告をやめました。
この事を通じて、大法弟子は正法修煉の中で、全ての妨害を否定すべきであり、全ての妨害は修煉者の人心を指すものだと悟りました。師父と法を信じて、内に向けて探しさえすれば、師を助けて法を正す道を阻害することはできません。