紆余曲折 心性の向上において悟った浅見
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 (日本明慧)私は農村大法弟子です。邪悪の迫害によりやむを得ず、武漢という大都市に行き、ある小さな会社で働くことになりました。会社の社長に食事を作ること私の仕事です。一般サラリーマンの同修と比べ、収入は多くありませんが比較的時間に余裕があり、学法する時間があります。社長ご夫妻もとても優しい方で、真相を聞いて一家三人がただちに「三退」しました。ですから私の修煉環境はとても良いものです。大法のお陰で、全てが思う通りに動いてくれています。武漢に来てから、私はずっと『転法輪」』と『洪吟』を暗記していました。そのほかの説法は朗読だけにしました。条件は有利であっても、修煉者にとって心性を高めるに当たって難関を突破しなければなりません、条件が有利になったから難儀に遭わなくなるというわけではありません。

 師父『転法輪』の中で「階層が違えば、違ったトラブルがあります」、「勝るとも劣らず、やはりなかなか難しいことなのです」、「どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです」と説かれました。ここ数日、自分が心性関を突破する際成功例と失敗例を挙げて、同修の皆さんと切磋琢磨したいと思います。修煉の次元に限りがありますので、不足の部分は、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 おとといの朝、私は自転車に乗って買物に出かけました。行先は露天の市場でした。その市場は非常に狭く、出店に挟まれた通路は1メートルほどしかありません。私は自転車をすぐ傍に置き、しゃがんで野菜を買おうとしたその時、一台の原付バイクが私の後すれすれ走って来て、私の自転車に引っかかりました。自転車が私の方へ倒れ、私もその勢いで倒れそうになりました。幸いそのお店の野菜を傷つけることなく、ふら付いただけでした。私は立ち上がり、とても不機嫌な声で「あなた、何やってるの?」と責めました。すると相手は「ひっかかっただけじゃないか。大したことないでしょうどうしろというのですか」と答えました。私は「君、本当に失礼な」と言葉を詰まらせました。すると出店のおばさんは「お客さん、我々は若い人と同じような真似をしてはいけませんから、やめましょう」と私をなだめました。

 すぐに私はわかりました。その通りです、常人と同じになっていいでしょうか。私は怒りを抑え、喉まで出かかった反発の言葉を飲み込みましたが、心臓はバクバクと太鼓の様に鳴っていました。しまいに、私はため息をついて、「今時は…」とつぶやきました。すぐにまだ気分がすっきりしないことに気付き、私は法を黙読する事にしましたた「修炼人 自找过 各种人心去的多 大关小关别想 落 对的是他 错的是我 争什么”(《洪吟三》〈谁是谁非〉)。何回か繰り返うちに、やっと落着きました。師父の説法と照らし合わせて、私はとても後悔しましたこんな小さな関も突破できず相手を責めてしまい、不満不平な気持ちに支配され、心を放下できませんでした。これらの行動はすでに難関を突破できなかったための行為であり、師父の法の力に頼って自身の良くないものを解体したお陰で、気持ちを静めることが出来たのでした。

 家に帰ると喉が痒い感じがしまし。咳も出始めましたが、あまり気にしませんでした。しかし翌日の午後になっても好転しず、しかも状況はさらに厄介になりました。寒気がしたり、熱が出たり、吐き気がして戻そうとしましたが何も出せませんでした。とても辛かったです。やっと夜になりましたが、私は夕飯を取らず夕方6時の正念発した後、ベッドの上で横たわったままでした。私は内に向けて探しました。今回、答えを見つけるのはあまり難しくありませんでした。明らかに心性関を突破できなかったため、邪悪に迫害する隙を与えたからです。喉のかゆみのせいで落着いて正念を発する事ができませんでしたので、私は師父の助けを求めることにしました。私は師父に「師父、弟子はうまく悟ることができず、心性を守ることができませんでした私は間違えました師父に約束します今回の事を持って戒めとし、もう二度と同じような過ちを犯しません師父のご加護をお願いします」と許しを求めました。ほどなく私はとても楽になり、吐き気も消え熱も下がりました。

 次の朝、煉功、発正念した後、私はいつものように自転車で買い物に出かけました。咳はほとんど消えましたが、しかしまだなんとなく喉に何か這いまわっているかのように痒かったです。私自転車に乗る速度はあまり早くありません、その時、街の通過人も多くありませんでした。私の自転車は歩道で走っており、私の前方に二人の人一台のバイクを押して歩いていました。バイクが故障してたのかもしれません、彼は右側歩いていました、私は彼と1メートル離れた左側からその二人を追い越しました。彼から十数メートル離れたところまで走った時、後ろから人が走ってくる足音が聞こえてきました。しかし私は前方に集中していたので、足音にぜんぜん気づきませんでした。突然、誰かが私の右袖を掴みました、振り向いて見ると身長1メーター78センチ前後で、三十代前半らしき若い人がいました丈夫そうな体つきで四角い顔していました。またたく間にその人私の右腕を掴み、右の手を高くあげ、勢いをつけて私に平手打ちを食らわしました、ちょうど右側の顔に当たって、右の目の下の部分から顎までまんべんなく当りました。彼は打った後、手を放し、大手を振って立ち去りました。この行動の全過程は一言もありませんでした、全ての動作はまるで1秒以内で完成したかのように感じました。何も準備がありませんでした、その人が近づいてきた時も、まさか相手が手を出すとは予測しませんでした。頭上から雷が落ちてきたかのようにドンという音がして、私の目の前に星が飛び、鼻の先がツンとしました、涙や、鼻水、そしてよだれまで出ました。その人の動作はとても素早かったので私はただふらついただけで、バイクから落ちませんでした。頭の中でブーン、ブーンという音が響きましたが心の中では、見知らぬ人に訳もなくぶたれたことは偶然ではない、その人は私の貸主に違いないと確信していました。

 私は「本当に間違いがなくても、以前の借りを返しているのかもしれない。正しく行ない、返すべきことを返す」『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』を思い出しました。その人が引き返した時に、私は小さな声で彼に「借りがあれば、返します」とつぶやきました。不思議なことあれほど体つきのがっちりした若者から勢いつけてビンタをくらったにもかかわらず、あまり痛みを感じませんでした私は自転車に乗ったまま前へ200メートルほど進みましたやけどを負ったように熱くなり、私は顔から出血したかもと思い、手で触れてみましたが何もありませんでした。きっと大丈夫むしろいい事です。この一撃で喉のかゆみが飛ばされたかもしれませんと自分に言い聞かせました。師父『転法輪』第四講、「業力の転化の中で「何かトラブルに遭った時、それはよく人と人との間の心性の摩擦として現われますが、それに耐えることができれば、業力も消去され、心性も高まり、功も伸びます。それらは一つに熔け合うのです」と説かれました。

 帰り道、乗っていた自転車は誰かに押されているかのように軽々で、喉も痒くありません。世界広くなったように感じました。思わず「きょうの難関はうまく乗り越えられました」とつぶやきました。しかし、その言葉を発するやいなや、私は何か違うと感じ、自分に「これは歓喜心ではないでしょう十数年も修煉してきたのだから、できて当たり前です。慈悲なる師父が私を向上させるため、この小さな関を設けて下さったであって、それすら乗り越えられず旧勢力に迫害する隙を与え、ビンタを食らってからやっと目が覚めたのに、あまりにも出来が悪すぎるのではないでしょうか。喜んで良いものか」と反省しました。

 この二つの関を通じて師父の如何なる弟子も脱落させたくないという偉大なる慈悲を肌で感じることができました。しかし、仏法修煉は非常に厳粛ものであり、修煉者は難関の突破を通じて昇華し、いかなる関怠ってはなりません、一思一念がすべて基準に達なければなりません。

 もし私のような出来の悪い同修がいらっしゃれば急いで目を覚まして、私のようにビンタを食らってから気付くことなりませんように」と呼びかけるためこの文を書来ました。私達は今後の限られた時間の中、着実に法をよく勉強して、法をよく暗記していきましょう。師父は人理、天理、宇宙の理を既に法の中に書き込み、私達は身を入れて法を学び、師父に教わった宇宙の理を持って自分の一思一念を指導しさえすれば、全ての難関、難儀は容易に解決され、衆生を救い済度する力量も十分に発揮でききるはずです。師父の苦労を少なくし、師父が喜んで安心できるようにしましょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/1/249997.html)     更新日:2011年12月8日
 
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