内へ向けて探し、着実に修煉する
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   文/中国の大法弟子

 (明慧日本)今日、私が同修Aの家に行った時、ちょうど同修Bも真相資料を受け取りに来ていました。同修Aの家に入ると、同修Bが「あなたはいつも資料を片付けません。何度注意しても直りませんね」と言っているのが聞こえてきました。同修Aは「あなたは来る度に不平ばかり言うのね。私はもう十分気をつけています。散らかしてはいません」と、とても悔しそうでした。私はすぐ同修Bに、「Aさんは忙しいから、許してあげて」と言いました。同修Bは「Aさんはと長く付き合っているが、私たちはいつもこうなの」と不満そうに言いました。2人はまた言い争いました。私は同修Aに「修煉者は言い訳をしてはいけません。内に向けて探すべきで、これは師父が私たちに教えてくださったことです」と言いました。これを聞いて2人は笑い出しました。意外にも、3人とも内に向けて探したことがありませんでした。

 家に帰ってから、このことを思い出し、はっと目が覚めました。私はなぜこのことに出遭ったのでしょうか? 同修Aは悔しい思いをし、同修Bは怒っていました。師父は私たち3人が執着心を修め、内に向けて探すよう、悟らせるために按排されたのかもしれません。同修の不足が見えたら、責任を問わず、円容し、トラブルに遭ったら内に向けて探し、同修の執着に固執せず、邪悪が大法弟子の隙を突く機会を与えず、同修の不足を円容することは、全体に円容し、大法に円容することになります。これは師父が大法弟子に要求された修煉状態です。

 自分を見つめると、私はとても恥ずかしくなってきました。同修と協力する時、同修の不足ばかりを見て、同修の長所を見ていませんでした。同修の長所を自分に照らし合わせることもせず、同修が精進するのをみて、自分を励ますこともしませんでした。同修に自分の不足を指摘されると、言い訳ばかりをしていました。褒め言葉を聞きたがり、自慢し、他人より優れていると思い、常人の強烈な情で責任を問い、不平不満を言い、同修を傷つけていました。

 ここまで考えて、私はとても悲しくなり、涙が流れ出ました。「師父、私が間違っていました。同修たち、ごめんなさい。私の修煉が向上するよう、師父は苦労して按排してくださったのです! 師父に感謝いたします! 師父、ご安心ください。私はこれからの修煉の中で、人心や執着を見つけたら、法に従って正し、着実に修煉します。法を多く学び、いつも内へ向けて探し、大法に基づいて自分を清め、生命本来の真の自分に戻り、師父と共に家に帰ります。

 間違っているところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/10/31/248549.html)     更新日:2011年11月4日
 
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