路傍の縁
■ 印刷版
 

   文/中国山東省の大法弟子 香蓮

 (明慧日本)先ごろ、私が出遭ったことをここに書いて、同修の皆さんと交流したいと思います。

 その日、同修の家に行く途中、私の前を1人の老人が杖をついてゆっくり歩いていました。彼はしばらく歩いてから足を止め、道の端で排尿しようとしました。私はその人を避けて行きながら、「こんな所でみだりに排尿するなんて、本当に道徳心に欠けている」と思いました。

 私は店に寄り、そこから出た時、またあの老人を見かけました。その時突然、、私の脳裏に『転法輪』の中の一節が浮かび上がってきました。「慈悲心が生まれると、すべての衆生が苦しんでいるのを見て、衆生を済度しようとする願望を持つようになります」

 そこで、私はすぐにその人の所へ行き、心を込めて挨拶しました。老人は驚いて私を見ていました。私は「こんにちは、おじいさんにとても大切なことを教えてあげましょう。この頃、天災や人災が本当に多いですね。おじいさんのような年配の人たちはご存知だと思いますが、各歴代の王朝が滅びる時、このような状況でした。中共(中国共産党)は今、非常に腐敗しています。官僚は官位の高い低いに関わらずみんな横領し、人心も悪く、社会はもう瀕死の状態です。天が中共を滅ぼすことは至極当然のことです。あなたが中共の組織に入っているならば、早く脱退して命を守りましょう」と話すと、老人は非常に感動して「はい、脱退します」と言いました。私はお守りを老人の手に渡しました。老人の手は震えて思い通りになりませんでした。私は代わってお守りをポケットに入れ、「『法輪大法は素晴らしい』、『真善忍は素晴らしい』と唱えると良い報いがありますよ」と教えてあげました。老人はうなずきながら、満面に笑みを浮かべ、それはとても愛らしく、とても明るい笑顔でした。

 私は老人を三退させて、感慨もひとしおでした。ついさっきの、あの老人に対する一思一念を振り返ってみると、師父が『大法弟子とは何か』の経文の中でおっしゃったことを思い出しました。「生命は皆ただものではなく、外見で判断してはいけません。時に、ゴミを拾う人をさかのぼって見れば、以前は宇宙で巨大な神だったのです」、「何かを行なうとき、大法で自らを量ることができなければ、正念で問題を考えることができず、問題にぶつかったら法に則っていなければ、あなたは常人にほかなりません」

 以前私は、修煉者の基準で自分を量るのは当然のことですが、なぜ修煉者の基準で世界を量り、人を量るのか理解できませんでした。このことを通して、私は分かりました。最初、私の老人に対する念は、常人の考えでした。そんなに嫌がり、見下していて、これは人の念であり、つまりこのような念で人を救うことができるはずはありません。常人の次元を超え、修煉者として、修煉者の正念で問題を考え、問題を見るときにこそ、問題に正しく対応することができ、人を救うことができるのです。

 このことを通して、私もその中から悟ることができました。大法弟子が三つのことをしっかり行う中で着実に自分を修め、そうすることで初めて、法理を悟り向上してくるのです。師父がおっしゃった通りです。「その博大で奥深い内涵は、修煉者だけが真に修める異なる次元の中で体験して悟ることができ、目の前に現れてくるもので、そうして初めて真に法とは何かが分かるのです」(『精進要旨』「博大」)

 悟りが浅く、不足の部分は同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/6/248751.html)     更新日:2011年11月10日
 
関連文章