(明慧日本)大法弟子が今日成熟したのは、単に迫害を受けたからではありません。迫害の中で自分を修煉者と見なして師父の法に従い、正しい思惟方式を形成して以前の人間の認識を改め、人間が人間を迫害しているという観念の認識を変えました。そして人心の執着を取り除き恐れる障害もなくし、難関を乗り越えて法を実証しました。法に基づき法を認識できたから成熟しました。人間としての成熟ではなく修煉者としての成熟です。
迫害されているとき、いつもすぐに師父の法で自分を導きました。「もう一つの状態があります。坐り続けていると、足が無くなったような気がしてきて足がどこに行ったのか分かりません。身体も、腕も、手も無くなり、頭だけが残っています。さらに修煉していけば頭も無くなったような気がして、ただ自分の思惟があるだけで、わずかな意念だけが自分が今ここで煉功していることを知っています。」(『転法輪』)
また警察や610弁公室の要求に対して考えが動くこともなくなり、「師父を信じ法を信じる」という一念だけが残りました。毎日法を暗記して正念を発し、機会があれば真相を伝えました。数カ月で様々な迫害手段が私に効かなくなり、私は自由になりました。
しかし正念が足りず、修が足りないところもありました。衆生を救い済度するための仕事を神聖なものとして位置付けることに関し、正しく対処していませんでした。そのため、いわゆる「証拠」に対して正々堂々と拒否することができませんでした。私の認識は、ただ表面で裁判に協力せず、報告しない、署名しない、拇印を押さない、働かないという行動に限られていました。刑務所に入ってから、「何時ここから出たいのか?」と3回も質問され、私はそれぞれ「あなた達が私をここに連行してきたので、釈放してくれたらすぐ出て行きます」、「自然に任せる」、「50歳(6年後)」と答えました。最後の回答を言ったとき、相手は非常に腹を立て「なぜ自分に対してそれほど自信がないのか?」と言いました。今考えてみると、それは師父が彼の口を利用して自分を教え導いて下さっているのだと分かりましたが、しかし当時は全く認識していませんでした。
観念があることは大したことではなく、怖いのは観念の存在を意識できないまま、旧勢力の按配を黙認してしまうことです。いくつかの考えを自覚していないから、自分の思想と行為に影響を及ぼしています。表面では迫害を認めていませんが、内心の深い所では協力し黙認しています。これらの観念の存在により、邪悪を引き寄せてしまいます。
たとえば、鍋の中の水を沸騰させないために、絶えず冷たい水を加えても、鍋の下に燃えさかる柴があるのなら、最終的には水は再び沸騰してしまいます。水を沸騰させない唯一の方法は柴を取り除くことです。個人の理解では、この柴は背後の観念のようなもので、柴はずっと水を加熱しているから、沸騰しないわけがありません。絶え間ない迫害の中で、私たちが一回一回迫害に反対して、鍋に一回一回冷たい水を加えたとして、はたして迫害が止まりますか? これは長期の魔難の中にいるということでしかありません。徹底的に人間の観念を取り除き、法に基づいて観念を改めて、すべての執着を捨てて、根本から迫害を制止しなければなりません。徹底的に邪悪を解体し、旧勢力の参与を終わらせて、迫害が止まるのです。
私たち大法弟子は未来の神であり、宇宙の防衛者です。人間に神を迫害する能力はなく、旧宇宙の神が人を操ったのです。しかし旧宇宙の神はどれほどの知恵があっても師父の法ほど大きくありません。それらも法の中で新たに位置を配置し直されています。師父が説いた法は宇宙の中で最も大きな天象です。すべては師父が掌握しています。歴史は私たちを師父を手伝う大法弟子として選んだのですから、私たちにはできないはずがないのです。共産党の恐怖は、幻影なので何にもなりません。師父を信じ法を信じ、正念はすなわち神の念であり、すべての邪悪を解体することができます。
(完)