法理を明確に認識し、正々堂々とする(一)
■ 印刷版
 
 中国古代の三国時代、ひとつの時代をかけて「義」の文化が築かれました。私は1年間の訴訟の中で、大法の内涵の一部を悟りました。これを書き出して同修と交流したいと思います。

 2008年、6.10弁公室の干渉によって、私は会社から無断解雇され、圧力の下でなすすべがないと感じ、大法弟子の光栄さを感じることができませんでした。私は2年間ほどこのような不公平な待遇を受け止めました。

 師父は『二〇〇四年米国西部法会での説法』の中で以下のようにおっしゃいました。「師父である私として、法を正す中で、今回の邪悪な迫害を利用して大法弟子に試練を与えることを私は決して認めていません。大法弟子にも迫害を受ければ高くまで修煉することができるという間違った考えがあってはいけません。大法と大法弟子は迫害に反対しているのであって、これは大法弟子としての責任でもあります。法に則って修煉しなければ、迫害に耐えるだけで高い次元まで修煉することができず、大法弟子の基準にも達することができません」

 私が迫害されたのは師父が按配された道を歩んでないからで、修煉の中で漏れがあって、邪悪に隙に乗じられたからです。しかし私は倒れたままずっと立ち上がりませんでした。高次元の法を学ぶだけでは足りず、高次元の法で自分の言行を指導し法を実証しなければなりません。私は同修たちの協力の下で法律の手続きを踏み、地元の裁判所会社を訴えました。私は結果にこだわらず、必ず法を実証し、衆生に機会を与えようと思いました。

 師父は『転法輪』の中で「高次元の法が分からないために修煉ができないことと、内へ向かって修めず、心性を修煉しないので、功が伸びないのです」とおっしゃいました。当時高次元の法に対する理解が足りず、裁判所の人に、私が法輪功修煉者であることを伝えようとして、私は起訴文の中で法輪功を修煉してからどのように迫害され、会社首になったか書き出しました。法輪功の話題を取り上げて、みんなが法輪功についてちょっとでも考えてもらおうとしました。その結果、結果は非常に悪なりました。裁判官たちはトラブルの根源が法輪功であると考え6.10弁公室の人たちも加わり、皆が法輪功の悪口を話しました。被告である会社側も笑いながら、お金なら十分補償してあげると話しました。私はその提案を受け入れず、裁判の結果想像できることでした。

 師父は「実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです」(『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』)とおっしゃいました。この結果が間違っていることは分かっていますが、自分のどの心によってもたらされた結果なのかよく分かりませんでした。しかし私は二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』で、弟子の二つの質問に答えられた師父の説法から啓発を受けました。

 ひとつは弟子の「神韻公演の前に天国楽団が開催都市に行って演奏を行ない、そこの人に法輪功を知ってもらう必要があるのでしょうか」という質問に師父は、次のように答えられました。「もちろん、開催地の市民に法輪功を知ってもらいたいと思っているのであって、考えは良いのですが、このように行なわないでください。相手に神韻芸術団が法輪功のものだとわざわざ教える必要もなく、大々的に宣伝する必要はありません。私はこの関係を避けませんが、わざわざこのように行なうこともしません。ご存知のように、三十年、五十年前に遡れば、全世界で八十パーセントの人が宗教を信仰しており、芸術団の全員がカトリック教またはキリスト教の信者だという芸術団もあって、どこかで公演する前に、まず「キリスト教が公演を開催しにきた」とか、「カトリック教が公演を開催しにきた」とかを言う人はいませんでした。このように言う人がいたのでしょうか? 全世界から魔と公認された邪党の政権の芸術団もまずその党の公演だと言っていないのに、私たちはなぜどうしても言わなければならないのでしょうか? これは差別ではありませんか? 確かに、今は法輪功に対する迫害という問題がありますが、私はこの問題を回避もせず、自ら言うこともしません。旧勢力に制御された人に動かされないでください。私は何かを行なうときに皆さんのようにすぐに揺れたりしません」

(続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/10/21/248134.html)     更新日付:2011年10月27日
 
関連文章