(明慧日本)二つ目は、弟子の脱党を勧める拠点で大紀元新聞を配るのは適切なのかという質問でした。師父は「皆さん考えたことがあるのでしょうか? 数十年前に遡れば、多くのマスコミの社長から社員まで全員キリスト教徒で、誰も何かをする前にまず自分がキリスト教徒だとか、カトリック教の信者だとか、何々タイムズとかと言いません。(皆笑って) 彼らはこのようにしたのでしょうか? 可笑しくはありませんか? なぜ可笑しいと思わないのでしょうか」(『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』)とおっしゃいました。
半月の上訴期間の最後の日、同修たちの励ましの下で、私は再び裁判所に上訴しました。今回は法輪功のことを私の方から先に触れず、理由もなく無断解雇されたことと、毎月の給料の支給を停止されたことを訴えました。裁判官たちは目をむいて「理由が分かりませんか」と聞いてきたので、私は「分かりません。分からないから、訴えたのではありませんか」と聞き返しました。裁判官は「なぜ他の人を解雇せず、あなただけを解雇し、給料の支給も停止したのですか」とこれは明白ではないかという言い方をしました。私は裁判官に向かって「そうですね。私だけがそのような不公平な扱いをされ、上訴しました。これは被告に聞いてください。なぜ私だけにこのようにするのですか」と言いました。
在席の皆は全部分かっており、私の口から法輪功を修煉して迫害されたと言わせようとしました。私は修煉と迫害はそもそも関係がないので、口にする必要はないと思いました。その時、私の弁護士も証拠に基づいて力強く弁論し、被告側はまったく反論できず無言でした。その後、私は個別に裁判官に法輪功の迫害事実と真相を話しました。裁判官は「それは個人の信仰の問題です」と言いました。
2回の裁判で、法理の中から少し悟りました。法輪功について、修煉者である私たちに最も発言権があり、また最も重要です。宇宙のいかなる生命も大法について論評する資格はありません。私たちが法輪功を修煉したために、お金を失ったり、離婚されたり、死亡したのではありません。私たちでさえ認識がはっきりしてなかったので、邪悪に隙に乗じられたのです。私たちは法を実証しようとしていますが、基点を正しく置かなかったために、かえって思った通りにいかず、悪い結果になったのです。
師父は「実は師父は何かを行なうとき、決して考えるだけで終わってしまうのではなく、多くの準備をしましたが、それは皆さんに見えないことで、神も行なっています。すべての用意ができ、あなたの行動のみ待っていますが、その一歩を踏み出せません」(『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』)とおっしゃいました。このことについて、私は恐れる心が強く、法理に対してはっきりしておらず、今まで引き伸ばしてきました。師父の苦心の配慮に深く感謝いたします。私たちが師父の要求どおりに行なえば、すべてが順調です。
師父、ありがとうございます! 同修の皆さま、ありがとうございます。
(完)