執着心の背後にある観念を解体する(一)
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 (明慧日本)私は刑務所から出てから、繰り返し『転法輪』を読んで「論語」を暗記しました。暗記をしているうちに、私はすべての言葉が私たちの観念を変えようとしていることがはっきりと感じられました。観念を変えると、法の自分に対する要求を高めることができます。

 人が生まれると、この未知の世界と初めて接します。そして、この世界に対する認識や理解、評価を形成し、物事の是非、善悪の基準が生まれます。それはつまり個人の世界観や人生観、価値観です。

 修煉者に存在している観念は一念を含め、すべて旧宇宙によって生まれたものです。そして、これらの観念がひとたび形成されると、人の言行や立ち居振舞いなどを支配します。また長い年月を経て執着を形成すると、執着に従って人生を過ごし、先天の本性を忘れてしまい、一生、後天に形成された観念のために生きてしまいます。

 人が事物に対して心が動じるのは執着があるからです。執着はまた、観念の作用を受けます。ですから、人心を取り除くには執着を取り除かなければならず、執着を取り除くには背後の観念をまず取り除かなければなりません。修煉者として法で自らを充実させ、思想を大法に同化し、法を自らの観念と取り替えた後、生じた正念で自分を導きます。そうすると、後天の観念から正念へ、人間の念から神の念へと変わっていきます。

 例えば、お金に人の心が動じるのはお金に対して執着があるからで、それはお金に対する観念があるからです。お金が一番良いもので、人生に幸せを与えてくれるものという観念です。お金への執着を取り除きたければ、お金に対する認識と観念を変えなければなりません。お金は生まれるときに付いて来るものでもなく、運命の中で決められているので、無理やり求めるべきものではありません。世間の災難の多くはお金と関係しているし、人間の悩みも多くの場合、お金によって引き起こされています。ですから観念を改めて、徐々に執着を放下できるようになって、初めて金銭に動じなくなります。

 また大陸で数回もの政治運動を経験した人は、共産党はこの上なく恐ろしく、逆らうことなどできないという観念を形成してしましました。これらによって、恐れへの執着心が生じます。そしてこの観念と執着心は、法の実証に大きな妨害をもたらしてしまい、正念も足りなくなり、心の状態が不純になり、旧勢力はこの隙に乗じて迫害を働きます。こうして迫害を経験すると、元の観念をさらに強め、恐怖に対する執着心がいっそう強くなります。一部の学習者が刑務所を出てから、意識的に邪に悟ったり、言い訳をして自分を緩めたりして、当初のように精進しなくなったのは、この観念に大きく妨害されたからです。迫害の中で自分を修煉者と見なし、すぐに恐れる執着心を見つけ、後天の観念を変え、目の前の恐怖を偽りの現象だと認識しなければなりません。そうすれば、正念が出てきて乗り越えられるようになります。唐三蔵(三蔵法師)が経文を求める旅の中で遭遇した81回の難は、すべて幻影です。固い信念を持てば、目の前の幻影はなくなります。人の目で物事を見ると、視神経を通るので偽りの虚像がもたらされ、偽物も本当のように見えてしまいます。相は心から生じるもので、それが大したことではないと思うことができれば、正念で乗り越えることができます。邪悪への認識が変われば、すべてが変わり、新たな展開が開けます。

 私は拘禁されたとき、写真撮影と血液検査を拒否しました。7、8人の警官の前で、数名の受刑者に体を抑えられた時、私はこう思いました「人間は神に対してこのようにする勇気はない、だから彼らは他の空間の邪悪に操られており、修煉者を試すための幻影に過ぎない」。私はこれが幻影だと認識したので、すぐに恐れる心が無くなりました。私は目を閉じて正念を発し、師父に助けを求めました。その時突然、左の腕が少し痺れたと感じ、目を開けると、一人の警官が懐中電灯で私を殴っていました。私の平然とした様子を見た彼らは唖然とし、私を殴らなくなりました。

(続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/10/23/248183.html)     更新日:2011年11月5日
 
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