若い修煉者:修煉の道で転んだ後に悟ったこと(一)
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文/海外の大法弟子

 
 私は1997年に法輪功の修煉を始めました。当時はまだ11歳で、中学に入ったばかりでした。私は14年間、正念を持って自分の誓約を果たしながら、今日まで歩む事ができました。心性が向上する中で、その背後には師父の巨大なご苦労がありました。
 
 この14年間を振り返ると、転んだ事や、師父がたくさん心配してくださったことを思いだします。すべては以前、積極的に法に同化しなかったためです。いつも問題が起こり、生活の中で小さな報いに遭ったとき、やっと内へ向けて、どの心が旧勢力に隙をつかれたかを探し始めました。転ばなければ悟れないほど執着していました。
 
 師父はおっしゃいました。「それを表す学習者がおり、表さない学習者もいます。心の中に秘めていますが、執着してたまりません。最後になってそれを解すこともできなくなります。邪悪はあなたをますますおかしくし、大きな挫折を味わわせ、一生忘れないほどの挫折を味わわせています。それらはこのようにやっています。ですからそこまで執着しないでください」(『二〇〇三年旧正月での説法』)。
 
 同修との交流を通じて、私と同じような状況の同修は周りに少なくありません。彼らは強制されなければ、進んで修煉しようとしません。執着して悟らなかったことでかつて経験した最も痛ましい教訓、また、転んだ後に悟ったことや、向上した体験を述べることで、同じ問題を抱えている同修の助けになればと思います。
 
前歯が折れた教訓
 
 2008年7月のある日は、永遠に忘れることのできない日となりました。当時、私は国内で有名な大学に通っていました。その日はちょうど夏休みで、寮から自転車に乗って、急いで学校に向かっていました。私はものすごいスビートで自転車をこいでいました。すると突然、自転車が壊れ、私は地面に叩きつけられました。落ちた瞬間、ぼんやりしましたが、「物事の善し悪しは人間の一念によるものである」(『転法輪』)を思い出しました。そして「私は李洪志の弟子です、師父! 私を救ってください、私を救ってください」と念じた事ははっきりと覚えていました。私が地面から立ち上がり、歯を舌でさわると、前歯が2本失くなっていました。上下の唇は血まみれになり、たくさんの血が出ました、肩にも複数の傷がありました。
 
 絶望感が湧きあがり、旧勢力が私を迫害してきました。なぜこうなったのでしょうか? 慈悲なる師父はもう私を守ってくださらないのでしょうか? 40度という暑さの中で、道路には人がほとんどいませんでした。私は起き上がり、自分を落ち着かせ、自転車を押しながら寮に向かいました。心はほとんど停止したかのようで、強烈な執着と頑固な概念が、二つの前歯と同じように落ちました。この世界の名利などと自分は何の関係もないように感じました。このとき、旧勢力が細かく按排したものだと、私はわかりました。
 
 このでき事の、1週間前の金曜日の正午、時間も同じ12時ぐらいに、後輩の前歯が折れました。病院から電話がかかって来て、私は見舞いに行きました。後輩はとても悲しそうでした。私は励ますように「大丈夫、あなたの前歯はきれいにそろっていなかったので、新しい歯に交換するとき、わざわざ歯を抜かなくても済みます。多くの有名人はわざわざきれいな前歯に変えることもあるのだから、あなたは嬉しく思うべきです」と言いました。
 
 そして、ある一念が頭に浮かびました。「もし私の前歯が無くなったら、新しい歯を入れる事ができる」。なぜこんなおかしな念が浮かんだのか分かりませんでした。私の前歯はきれいにそろっており、とても頑丈でした。しかし、私は冗談を言っただけだと思っていたので厳しく対処せず、正念を放棄してしまいました。それを旧勢力が私の脳に植え付けた念だと否定しませんでした。主意識を放棄すればそれは自分の念になります。旧勢力が加えた一念は私を迫害する言い訳になりました。師父はおっしゃいました「あなたが欲しがるなら、誰もそれに干渉できません。これはこの宇宙の理です」(『転法輪』)。
 
 事故に遭った日、帰省するためのチケットを既に買っていました。しかし正午に、大学の先生からすぐにオフィスに来てほしい電話がかかってきました。市役所の人が来るので、新しく開発したものを私から報告してほしいとのことでした。私はしっかりと修煉していませんでしたので、猛烈な名利心と歓喜心を持って、自転車をこいでオフィスに向かいました。このとき、自分の名利心と歓喜心に全く気づかず、これが試練だとわかりませんでした。
 
 これは自分が大法弟子として修めるべき執着だと思いもしませんでした。しかも旧勢力が私の執着を最大まで拡大し、私を興奮させ、もっと早くと自転車をこがせていました。その結果、私は転んでしまいました。先週、後輩を励ましたときの一念も加えて、旧勢力は私の前歯を奪いました。取って代わったのは本当に自分が求めた、有名人たちが入れたものと同じ歯です。当時、もし師父が守ってくださらなければ、旧勢力は2本の歯だけでなく、大法弟子の命を奪ったかもしれません。
 
 私は目を覚まし、修煉の厳しさと法を実証する中での旧勢力の邪悪さを深く感じて、師父の説法を思い出しました。「常人の中で捨てられないような心を、全部あなたに捨てさせなければなりません。どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです」(『転法輪』)、「忘れてはいけないのは、法を正す時期の大法弟子よ、皆さんは法を実証するためにきたのです! 修煉は苦しいのですが、法を実証する中で邪悪が更に邪悪になっているので、乗り越えられる人はきっと衆生の王になります」(『大ニューヨーク地区法会での説法』)。
 
 真に修める修煉者は、弟子に対する師父の偉大な慈悲を感じる事ができます。「実は、皆さん自身よりもわたしは皆さんのことを大切にしているのです!」、「皆さんが難に見舞われているのを見て、師父は皆さんよりも辛いのです。皆さんが正しく歩んでいないとき、わたしはいつも心がとても痛んでいます」(『最後の執着を取り除こう』)。
 
無条件で内に向けて探し、根本的な執着を見つけ出す
 
 師父の慈悲なるご加護の下で、私は前歯が折れただけで口の周りに怪我はありませんでした。体はすぐに回復しました。師父が弟子に代わって、弟子が受けるべき苦痛を引き受けてくださったのです。師父は弟子を悟らせ、心性が向上することを願っておられます。しかし、旧勢力は大法弟子を破滅させるのです。私は無条件に内に向けて探そうと決意し、いくつかの大きな漏れを見つけました。どの漏れも旧勢力が私を死に至らしめる事ができるものでした。
 
1、大法を重要な位置に置かず、大法を実証せず、自分を実証した
 
 修煉を始める前、私は遊びやけんかが好きで、成績はよくありませんでした。修煉を始めてからは、師父の話を聞き、けんかをする癖を直し、成績は一気にあがりました。これは師父が法を実証させるために私に与えられたものだと分かっていました。しかし私は恐怖心のため、真相を伝えるときいつも、第三者の側に立って真相を伝え、自分が大法を修煉している事や、大法から恩恵を受けていることを話す事は少なかったのです。さらに友達や先生と長くつきあっていると、徐々に強烈な歓喜心が湧いてきて、自分は大した者だと思うようになりました。全てを大法から授かったことを忘れ、全てが大法を実証するためだということを忘れていました。褒め言葉を求め、耳に痛い言葉は一言も聞かなくなりました。長年この環境にいたせいで、私は三つの事を全てやり、しっかりと修煉していると勘違いしていました。もし急ブレーキが掛かからなければ、執着が大きく膨らみ、心から魔が生じて、すべてが終わっていたでしょう。
 
2、法を学ぶ事で保険を掛けていると思い、何も怖くないと考えた
 
 2006年と2007年、私は学法すると法理が心に入り、正念に満ちていました。数回危険に遭いましたが、師父にご加護をお願いし、全て師父の慈悲の下で無事でした。ある日、私がビルの3階にいたとき、突然背中から2階に落ちました。当時、私はただちに師父を呼びました。その結果、無事でしたが、私は内に向けて探しませんでした。毎日、周りの先生や同級生からの賞賛と祝いの言葉ばかりを聞いて、私に歓喜心が湧きました。肝心なときには師父が守ってくださると、私は保険をかけているように、邪悪の恐ろしさを忘れていました。そして私は修煉をだらけるようになり、仕事を修煉と思うようになりました。
 
 「ですから、それはいけない、それなら保険をかけたことになるのではないか、大法を学べば何も恐れないという心がなんと強いのでしょう、と旧勢力に見えました。ですから、旧勢力は大法の中でトラブルを起こします」(『二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』)。
 
 また汚い常人の心を放そうとしていませんでした。例えば、色欲、嫉妬心などです。私はこれらの執着心を取り除こうと決意しました。
 
(続く)
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/9/12/246619.html)     更新日付:2011年9月28日
 
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