吉林省の青年大法弟子 若愚
(明慧日本2011年12月25日)担任の国語の先生は、ある日のクラスの授業の中で法輪功について触れました。彼は、法輪功が中国で義和団や太平天国のような運動を起こすというような話をしました。もちろん先生に悪意はなく、先生は中共(中国共産党)の腐敗についても語っていましたが、あたかも法輪功が何かトラブルを起こそうとしているかのような言い方でした。授業の後、私はクラスを出ようとしている先生に追いつき、先生に対して「先生、法輪功は修煉のための功法です。義和団や太平天国のような運動はしません。法輪功は一方的に汚名を着せられているので、客観的に法輪功を理解した上でご判断ください」と言いました。先生は私に何度も同じことを聞き直し、同じ事を3回言わせました。先生は普段自分から話そうとしないおっとりとした私が、このような挙動にでたため非常に驚いたようでした。最後に先生は微笑みながら、「わかりました」と言ってくれました。その後、私は大学に進学してから、多くの先生たちに真相を知ってほしいと思い、真相を伝える郵便物を送りました。
――本文の作者より
慈悲で偉大なる師父こんにちは。尊敬なる同修の皆さん、こんにちは。
明慧ネットが中国本土の大法弟子にこのような交流の機会を与えて下さり、本当に光栄に思います。自分はあまりよく修煉できていないと思っていますが、しかし自分がこの交流に参加することはすなわち法を実証することであり、この交流を支持することになり、すなわち自分の大法弟子として行うべきことをおこなっているのであり、大法に同化し自分を正し、大法弟子の使命をさらによく果たすためです。
一、奇跡的に法を得た
私はまだ未婚の女性の大法弟子です。高校時代から、正式に修煉の道に入りました。私が法を得るまでの道は紆余曲折でした。幼い頃から色々な超常的な体験をしてきた私は、小さい時から世界の未知と様々なものに対して興味を持っていました。色々な宗教のものを学んでいましたが、それは皆自分が探しているものではないとわかりました。ですから、気功が流行していた時、私は様々な本を手にして、修煉して高い次元を目指そうとしました。しかし大法が公開されていたにも関わらず、まだ修煉を始めることはできませんでした。今から思えば、当時の私はなんと無知で、かわいそうだと思います。半年後、やっと縁が結ばれました。それはある夏の日の朝5時30半すぎ、私がまだ寝ている最中のことです。夢のなかで非常に美しい天の音楽が聞こえ、さらに隣人である先輩が私に対して、手の中で回転している黄色い法輪を見せながら、「これは最高の法です」と言っていました。そして私も夢の中で得意げに「私にもあるし、あなたのよりも大きいよ」と言っていました。夢の中でどうしてこのように考えていたのか、私にはわかりませんでした。しかし同時に、上を見上げると、大きくてカラフルな法輪が頭上で回転しているのが見えました。そして、私も夢から覚めました。突然、小腹の辺りに強烈で気持ちの良い法輪の回転を感じました。今になってわかったのですが、師父は前もって私に法輪をくださったのです。しかも、夢の中の美しい天からの音楽は目覚めてからも耳元で鳴っていました。私は起きて庭に行き、そして隣人である先輩の家から、多くの人が法輪大法の煉功をしているのが見えました。夢の中の天の音楽は、まさに大法の動功の音楽でした。これを通して私は法を得ました。師父に感謝します。悟性の悪い弟子を見捨てられなかった師父に感謝します。
数年経って、私は初めて知らされましたが、本来煉功点は別の公共の場所でやっていたのですが、その日に限って街の管理部門から、ここで煉功してはならないと言われたため、私の隣人の家で煉功をすることになったそうです。しかも私が法を得てから、元々の煉功場所が再び使えるようになりました。まさに私が法を得るために師父が按排してくださったのです。
修煉を始めた当初から、大法は様々な奇跡を見せてくれました。『精進要旨』の本の中の文字と符号が、全て金色と紫色に輝いているのが見えました。そのため、外が暗くなっても私は電気を付けずに本が読めました。師父が天目を開いてくださっているのも感じたし、眉間の間の部分を強い力が中に入っていくのも強烈に感じました。さらに空に沢山の色々な色の法輪が回っている光景や、目の前に透明なものが回っている光景など、様々なものが見えました。私はそれ以来、本を読みだすと手を離そうとしませんでした。毎日、自分が向上しているのを感じました。その時、自分に対して非常に厳しく律し、修煉していました。何かあったら、必ず自分の内に向けて探しました。同修の間にトラブルがあったら法をもって量り、決して常人のようにはなりませんでした。私の変化を見た家族も私を褒めてくれました。
二、茨の道で法を実証する
迫害が始まった当初、皆が北京へ陳情に行きました。しかし私は貧しい学生で、手元には数十元しか有りませんでしたので、自分のいる省の都市に行くしかありませんでした。また、基点が正しくなく、圓満成就のためにやっていたのであって、何が起きているのかを同修に聞いても同修は教えてくれませんでした。そこで私は夜、自分だけで行こうと考えました。しかし夜、両親は私を強引に車から下ろして家に連れて帰りました。私はそれに対して、非常に嫌な感情を覚えました。迫害が始まってから、私は色々なことを家族に言いました。例えばテレビで放送されている内容は全部嘘であることなど。しかしほとんどの人が、腕の力は足の力に勝つことはできないなどと言って私を幻滅させました。
担任の国語の先生は、ある日のクラスの授業の中で法輪功について触れました。彼は何か悪いこ言ったわけでは無いのですが、法輪功が中国で義和団や太平天国のような運動を起こすというような話をしました。もちろん先生に悪意はなく、先生は中共(中国共産党)の腐敗についても語っていましたが、あたかも法輪功が何かトラブルを起こそうとしているかのような言い方でした。授業の後、私はクラスを出ようとしている先生に追いつき、先生に対して「先生、法輪功は修煉のための功法です。義和団や太平天国のような運動はしません。法輪功は一方的に汚名を着せられているので、客観的に法輪功を理解した上でご判断ください」と言いました。先生は私に何度も同じことを聞き直し、同じ事を3回言わせました。先生は普段自分から話そうとしないおっとりとした私が、このような挙動にでたため非常に驚いたようでした。最後に先生は微笑みながら、「わかりました」と言ってくれました。その後、私は大学に進学してから、多くの先生たちに真相を知ってほしいと思い、真相を伝える郵便物を送りました。
大学でスピーチコンテストが行われました。慈悲なる師父は私を学生による唯一のコンテストの評価委員会のメンバーにしてくださいました。ちょうどコンテストに参加する選手の一人は、私のいた学校の記者団の先輩でした。彼女は大きな声で大法を罵りました。そし様々な政治運動を経験したことのある全ての評価委員会のメンバーは、いずれも彼女に満点を与えて評価しました。私の評価は最後で、私は比較的に低い点数をつけました。私は自分の評価が公正だと思っており、彼女のスピーチはまず観点が間違っているし、ただ声が高いだけで大したレベルではないと思っていました。ちょうどその後、新しい新しい選手が入ってきました。彼女のスピーチは非常にうまくて、スピーチの内容も視点もいずれも非常に良く、スピーチの時の表情、動作、ジェスチャー、発音、様々な面においても非常に良かったと思いました。彼女のスピーチは完璧でした。しかしそれにもかかわらず、評価委員会のメンバーは満点を付けませんでした。明らかに、中共邪党の政治的要素がそれをさせていました。しかし満点ではありませんでしたが、ほとんど満点に近い9.9ポイントが付けられました。私はここで公平に、満点である10点をつけました。師父に感謝します。最終的に結果は公平でした。大法を罵る選手は私がつけた点数が低かったため、平均して0.2ポイントの差で2位になりました。
帰宅の途中、師父は常人の口を通して私を励まして下さいました。大学の多くの同修は、私が知らない同修ですら嬉しそうに私の横に走ってきて「よくやった!」と言ってくれました。私の評価が公平だと言ってくれました。残念ながら私はずっと、その大法を中傷した選手に真相を伝えていません。その後、その選手は私を恨み、私にさまざまなトラブルを作り出しましたが、しかし私は学校で善い人になって、しかも仕事もしっかりできたので、何の影響もありませんでした。
日常生活と勉学の中で、私は常に最後まで事を全うし、決して悪意はなく常に情熱を持っている人でした。学生の中でみんなの私に対する評価は非常に良かったのです。大学に在学中、私が縁ある人々に真相を伝えていた時、驚いたことに多くの同級生に大法と縁があることに気付きました。彼らの親戚、親族はいずれも精進している大法弟子でした。同級生たちも私を守ることを常に意識してくれました。悪い人がいるときは、いつも私を守ろうとしてくれるし、私が煉功する時、寝室の同級生たちはいつも私の代わりにカーテンを閉めたり、ドアを閉めたりしてくれ、私が発正念をする時には誰も邪魔をしようとしませんでした。私が真相を伝える手紙を書くときや、経文を書き写すときは、いつも私の邪魔にならないよう気を使ってくれました。さらに公安局がインターネットで検査をするときにも、いつも事前に私に知らせてくれました。
私が最も感動したことがあります。ある同級生はクラスの公費を横領するため、学級委員になろうとしていましたが、私が先生から次の学級委員に最適な人物だと思われていることを知っていました。私は学校で沢山の職務をこなし、非常に忙しくなっていたので、学級委員になるつもりは全くありませんでした。しかし、その同級生から見れば、私は彼女が学級委員になるための最大の障害でした。そのため、彼女は私からの助けをたくさん受けていたにもかかわらず、いつも私が法輪功を修煉していることを学校に通報しようと、学校が私を除名できるかなどについて言いふらしていました。幸いにも、同級生の皆の正念が強く、その場で彼女の考えを否定してくれました。これらのことは、私が卒業してから初めて知らされたことです。そしてこのことを教えてくれた同級生は「こんなことをすれば、今後私たちのクラスには入れません」と言ってくれたそうです。それを聞いて私は微笑みました。また、彼女に恨みもありませんでした。人間はあまりにも小さくかわいそうなものです。ちっぽけな利益のためにあえて何でもやろうとしてしまうことに残念さを感じました。
大学の時に二人の学生の同修がいて、違う都市で勉強していました。すべての経文と真相資料は私を経由して入手していました。私はよく彼女たち2人に真相資料を送りました。基本的に経文は手書きでしたので、字がきれいになりました。本当に大法の力は素晴らしいです。当時の環境は本当にいばらの道でした。しかし、師父は弟子がより安全であるため、いつも見守ってくださったのです。私が真相を伝える中で多くの奇跡がありました。たとえば、多くの私宛の書簡、手紙の封筒の切手には消印が付いていませんでした。全く新しいものが張られていたこともありました。そのため、私はそれをそのままもう一度使うことができました。学校で、私はしょっちゅう真相資料と真相のポスターを配り、送っていました。
迫害が始まってから最初の数年間、邪悪が多くてみんなの恐怖心も非常に強かったのです。私はときどき嬉しそうに同修のところへ行きましたが、その同修は非常に恐れているように感じました。私は単純天然で何も感じませんでしたが、新経文が出たとき、同修はいつも人心をもって私に対処し、私が学生で若いため心配だと言って、新しい経文があってもくれませんでした。しかし慈悲なる師父は、いつも私に夢の中で新経文が発表されたことを教えてくださいました。私は直接同修の家に行き、新経文をもらおうとしました。しかし、同修は新経文はないと言ってどうしてもくれませんでした。しかたなく、私は別の同修の家に行き、新経文をもらいました。慈悲なる師父の啓示により、私はすべての経文を入手することができました。大学が休みになって帰宅した時は、何でもやりました。インターネットで真相を伝えている同修がいれば、私もインターネットに入って助けました。最初はネットカフェでやっていましたが、その後自分のパソコンがあったので、自分のパソコンで真相を伝えました。これらはいずれも、自分の容量を拡大し、執着心を放下するときです。ある時、ある同修は、人を使うときは愛想がよいのですが、必要なくなると冷たくなります。それを見た私は本当に悲しくなりました。しかし、師父の説法で明確に説かれているように、偶然はありません。正念で問題を見て、私は最後には法の中で向上できるようになりました。どうしても乗り越えられないとき、それは自分が本当に向上しようとしていないからです。そして年末になると、私は地元を代表して師父に新年のご挨拶を送付しました。
あるとき、学校は当局からの通達を受け、すべてのクラスで大法を誹謗中傷するクラス会を開くように企てました。それを知った私は非常に焦りました。そして常に、教壇で司会をする同級生に正念を発し続けました。実は同級生の中で誰もが私が大法を修煉していることを知っていました。しかも、私の皆に対する印象も良かったので、師父が私の正念を見られたかのように、劇的に事の成り行きが変わりました。司会者が教壇に上ってから、私を見た後、スピーチに入りました。「みなさん、法輪大法とは何か、もうここで話す必要はありません。皆さんもご存じのように、ここではもっと現実的な話をしましょう。つまり、自分自身の今後の利益に関する話です」とまず話題を切り出しました。ステージの下から、歓声と拍手が送られました。そして、皆が大学と大学の課外活動に対する不満を相次いで発言し始めました。ちょうどそのとき、クラスの担当の先生が入ってきました。先生は「法輪功を修煉している人がいたら教えてください」と言いました。それを聞いた同級生たちは皆、「そんなことではなく、もっと意味のある話をしましょう」と言いました。そしてちょうどこの時、ある同級生が立ち上がって「水がない、電気がない、電話もない」と言いました。(新しい校舎のため、まだこれらのものが整備されていませんでした) すぐにクラス中が騒ぎ始めました。私たちのクラス会はこうして、学校の問題を話し合う場になりました。先生もしかたなく、それについていくだけでした。実はどんなことでも、自分の一念によって状況は変化します。自分の心性が要求に達していれば、すべてを師父が按排してくださるのです。
私は理系専攻です。文学系の本はあまり読みませんが、大学の時にたくさんの文学関係の文章を編集する仕事に携わりました。これはその後、私が地元の迫害状況を伝える真相資料を作るための良い基礎となりました。すべては偶然ではありません。すべては師父がご按排してくださったのです。私が誰からも教わることなく、文章を書けたのは、師父が能力を与えてくださったからです。真相資料を編集する過程で、同修との意見の不一致がみられることもあり、トラブルや誤解を生むこともありましたが、いずれも自分自身を向上させるチャンスであり、自分の向上のためなので、これ以上言及しません。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/15/130133.html) 更新日:2011年12月25日