中国国内外の修煉環境は異なるが 精進して着実に修める事に差はない
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――明慧法会の交流文章を読んだ感想

 

 (明慧日本)ずっと海外でマスコミのプロジェクトに携わっているトロントの法輪功修煉者・梅さんは、明慧ネット第8回中国大陸大法弟子のネット上での交流文章を読み、多くのことを感じました。彼女は「私が心から感動したのは、中国本土の修煉者の無私と純粋な心、そして彼らの師父に対して揺るぎなく信じる心でした。私たちは置かれた環境こそ異なりますが、行なっていることは同じであり、私たちの目的はいずれにしても人を救うことです」と語った。

 梅さんは、「私たちは同じ法を修めていますが、個人修煉の面において、私は自分に対する要求を緩めていました。今回、交流文章を読み、仕事に入りこみすぎた心を必ず落ち着かせ、内に向けて探し、自己を修める心を強化すべきだ、と悟りました。修煉は厳粛であり、ただ仕事だけを行い、自己を修めなくてはなりません。この方面において、中国本土の同修は鏡のように私の不足を照らしてくれました。残された時間で自分の不足を改め、精進し、着実に修煉します」と語った。

 梅さんはまた最近、神韻公演のチケット販売促進活動に参加した中で、同修と互いに支え合う体験があった、と語った。

 「数週間前に、私はある同修と一緒に住宅区に行き、チラシを配布しました。車の中で、彼女は私に最近明慧ネットに掲載されている中国本土の同修の交流文章がとてもすばらしいと言い、私に必ず読むように薦めてくれました。私も読もうと試したことはありますが、毎日本当にとても忙しく、どうしても見る時間がありませんでした。その後、私たちはまた一緒にチラシを配ることになりましたが、彼女はまた私にネット上の交流文章を読んだかと聞きました。私はまだ読んでいないと答え、また彼女に、私は本当にとても忙しく、そもそも毎週手元に持っている定常作業だけですでに手いっぱいだったのに、また時間を作って、神韻のチラシを配布しないといけないので、毎日戦争のようで、ひとつ片付けたら、また次の一つを急いでやらないといけず、本当に時間がないと答えました。しかし、彼女は何回も私に必ず読むように言い続けました。そして、私は彼女に必ず読む、手元の作業を調整してから、数日以内に読むと約束しました。実際、私も心から非常に読みたかったのです。ただ時間がないことに苦しみ、毎回同修が交流文章を読んでから体験を語るのを聞くと、心の底からとても羨ましがっていました」

 「その週の金曜日になると、やっとマスコミの仕事は一段落を終え、また一部真相を伝える仕事を行わないといけなかったですが、私はまず仕事を放っておいて、どうしても、その瞬間から仕事をやめ、中国本土の同修の交流文章を読むことにしました。やっと、限られた時間内に、私は2篇半を読みました。読む間、私は感動した段落を、ネットを通して、マスコミのウェブサイトの当番をしている同修に送りました。本音を言うと、読んだ後、私は本当に多く得るものがありました。ずっと私に読むように促してくれたその同修に非常に感謝しています」

 「その同修と一緒にチラシを配るとき、彼女は毎回配り終わったら、『また数百世代の人が神韻の情報を得られた』と言いました。人を救いたいという彼女の純粋な気持ちが見えてきました。私は恥ずかしくて、本当に穴があったら入りたい気持ちでした。私は、同修間の無私なる支えは本当にとても大事だと思います」

 トロントに住んでいる台湾人の修煉者・セシリアさんは、「明慧ネットにある、どれほど数多くの中国本土の同修の修煉体験が自分を深く感動させたか、はっきり覚えていません。それらの文章を読み、私は修煉の道のりで絶えず精進し、絶えず自分の修煉中の盲点を取り除きました。私は台湾の大法弟子であり、修煉環境はゆったりしていて、また共産党文化もありませんが、法はすべての大法弟子に対して要求は同じです」と語った。

 1998年に海外で法輪功に出会ったトロントの修煉者・ピアースさんは、ずっとマスコミのプロジェクトに携わっている。明慧ネットの中国大陸法会での文章を読み、彼はこう語った。「今回明慧ネットに掲載された大陸法会の交流文章『勇猛精進し、師が法を正すことを手伝う』を読みました。これはとても感動した文章です。老年の同修が口述したものですが、修煉においてそれほど簡単、純粋で、正念が強く、精進していました。この交流文章の中で、最も感動したのは、すべてのことは私が間違った、という言葉でした。これは最も私の心が動かされたことです」

 「何が起きてもすべて自分が間違ったというのは、個人修煉なのか、それとも法を正す修煉なのか? どんな迫害に遭っても彼女はやはりこう考るならば、内に向けて探すのなら、それは正念なのだろうか、それとも自我から抜け出していないのだろうかと思っていました。その中には彼女のいかなる『自我』の要素もなく、まさに自我という要素がなかったため、すべてを法に照らし合わせることができ、だからこそ、多くの苦難やトラブルは、彼女のところまで来るとなくなっていました。彼女には自分が嘗めた苦しみは、師父が背負ってくださっていると分かっていました。弟子として、彼女はただ念を動かしただけでした」

 「今日の法を正す修煉過程の中で、大法弟子は師父の大法をしっかり覚え、師が法を正すことを手伝う実践の中、内に向けて探し、個人修煉をしっかりすれば、恐らくそれこそ最もすばらしい精進の状態であるかもしれません」

 「もう一篇は『問題はどこにあるか』という文章でした。この文章にも感動させられ、比較的に短い文章でしたが、見せてくれた問題はとても率直でした。ずっと法を実証するプロジェクトの中で、学法し、修煉してきましたが、いつも自分の修煉状態を変えることができず、ひいては身体がとても大きな妨害に遭いました。しかし、どうして邪魔されたのでしょうか。問題はどこにあるのでしょうか? 分かりませんでした。しかし、後になって本当に内に向けて探したら、自分は読書家として育ち、本を読むのがとても好きで、本を読む中で非常に多くの常人の観念と常人の理論が頭に注ぎ込まれ、まさにこれらのものが自分に魔難を作っていました。すなわち、これらのものは彼女の生命の一部に組み合わされていて、本の中の観念がほかでもなく外来的なものであり、自分の修煉を邪魔し、魔難の根源であると考えたことがなかったのです」

 「これらを読み、私は突然このような問題に思いつきました。神韻の宣伝活動に参加する中、私は何をしたい、私はこうやりたい、ああやりたい、他人は必ず私に協力すべきなどなど、これらももしかして一つの障碍かもしれないと。ですから私たちは必ず自我を放下し、法を正すことに必要なことに円融すべきです」と、ピアースさんは語った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/11/250443.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/14/130089.html)     更新日:2011年12月17日
 
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