明慧法会|師父が神への道の歩みを導いてくださる(五)
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  文/中国の大法弟子 法生

 (明慧日本)

 利を放下し、情を取り除く

 法を正す時期にこの街に来たのも師父の按配だと思います。この地方の衆生は私と縁があって、私が救い済度する必要があると思いました。同修も私に大きな手助けをしてくれて、真相資料はいつでも私の需要を満足させてくれて、私は師父が与えてくださった神通力を使って、市公安局から市政府、刑事部、部隊、高級幹部住宅区まで、周り15キロ以内を全部回り切って、ここの衆生を救い済度できるように大法の福音を送りました。次元が高まるに連れ、私たちに対する法の要求も高まりました。師父は毎回の説法の中で「法を多く勉強し、多く勉強してください」と説かれ、内に向かって探すことを要求しておられます。毎日法を勉強していますが、見ているうちに、明日はどこへ資料を配りに行こうか、どのようにするかなど、他のことを考えてしまうことがよくあります。師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の中で「『転法輪』を読むとき、考えが集中しておらず、ほかの事を考えてしまい、修煉に専念することができない人がいます。これは時間を浪費しているのに等しいのです。時間の浪費だけでなく、本来向上すべきところですが、考えるべきではない問題や事を考えてしまい、向上どころか、下降してしまいました。法をしっかり勉強できなければ、多くのことをしっかり行なうことができません」と説かれました。

 試練が絶えずやってきました。自分にとってほとんどの執着がなくなり、利も情も放下できたと思いました。2008年、実家が政府の政策によって建て替えられる対象になり、引越しに1メートルにつき一万元以上の費用をもらえます。同級生が私の分を取りに行くようにと電話を掛けてきました。でも、私の家は主人の弟の所有になっていることが後で分かったので、もらうなら裁判するしかありません。自分は修煉者だから、食べる物と住む所があれば十分だし、三つのことを行なうのが何よりで、裁判へ行く暇はない、諦めようと思いました。妹の主人も電話を掛けてきて、60数万元ももらわないなら、アホではないかと言いました。その数日、法を勉強するときこのことが心の中で繰り返されました。最後の日、妹の主人は明日契約の日だよと再び電話を掛けてきて、私は「帰らない、私の物であればなくならないし、自分の物でなかったら争ってももらえない」と言いました。電話を切った後、重い荷物を降ろしたようで、気持ちも直ちに楽になりました。その夜、座禅のとき空中に座っているようでした。その後、お金を口座に振り込まれるとき、主人の弟は口座を見ると40メートル分のお金が足りませんでした。彼は町や区の担当部門に数回問い合わせましたが、無駄でした。村の人々はみな不思議に思いました。でも、私には分かります。私に属する分は彼が得ようとしても得ることができないので、彼は結局焦ったり、惜しんだりして、翌年喉頭がんを患って、59歳で亡くなりました。

 利に対する執着を放下すると、次に情の試練もやってきました。娘夫婦は離婚して、孫は私が育ててきました。毎日師父に線香を立てていて、大法小弟子でもあるので、決して婿に連れて行かれてはいけないと思いました。婿は二回ほど来ましたが孫を連れて行けず、彼は方法を変えて、自分の母親を連れて孫を見に来ました。婿と母親は孫と一緒に遊びに行くと言い、孫のおばあちゃんなので、さすがに止めるわけにはいきません。私は修煉者なので、慈悲に対処すべきであり、許すことにしました。しかし、夜10時になっても帰って来ないし、娘は出張で、電話の電源も切って通じなかったので、その夜は眠れませんでした。翌日、婿から電話が掛かってきて、孫を故郷へ送ったと言われました。私は焦ってしまい、車に乗って彼の会社へ行きましたが、会社の警備員は入らせてくれませんでした。事務所に電話をしましたが、彼を知らないと言うのです。警備員に話をすると、警備員もとても憤慨して、私に方法を考えてくれました。婿は商業検査局長の運転手を勤めているので、誰も彼に文句を言えないのです。その時ちょうど課長が出て来ました。警備員は、あの人は課長なので彼に言った方がいいと教えてくれました。課長に事情を話すと、課長は作り笑いをして、また法輪功を宣伝しに来たのかと言いました。私は商業検査局へ行った事もないし、課長のことも知らないのに、婿の仕業に違いありません。私はホールで、商業検査局長は運転手(私の婿)が悪いことをしているのに、離婚を支持するなんてと言いました。課長と議論する機会を利用して、周りを囲んでいる社員に法輪功の真相を伝えて、彼らも同情の気持ちを表しました。しかし、帰り道にとても後悔しました。「常人と同じように争ったり闘ったりすると、あなたはただの常人になります。もし相手よりも激しく争ったり闘ったりすれば、あなたは相手の常人にも及びません」(『転法輪』)理が分かったのですが、内心では孫のことがやはり心配でいられません。家に帰ったら、部屋のあちこちは孫の物だらけで、孫が婿に連れられて行った前日に書いてくれた大きな法輪がありました。

 ニカ月後、判決が下りました。孫も財産も婿に属すると判決されました。法廷で婿は孫に取ったビデオを提出しました。ビデオの中で孫は「法輪大法は素晴らしい」と言ったり、『洪吟』を暗記したり、煉功をやっていたことを収録しました。私が法輪功をやっているから孫の教育に悪い影響を及ぼしてしまうと婿は言いました。この話を聞いて娘は全身が震えて、頭も真っ白になって、裁判長と弁護士の話も全然聞こえなかったと、後で娘に聞かされました。私の事が婿にすべて知られているので、万が一、彼が公安局へ私のことを訴えたらどうするかと娘は心配でした。婿は裁判長に賄賂を送り、大法を謗る卑劣な手段でこの裁判に勝ちました。

 判決文を見てみたら、内容も偽りだったため、この判決文を持って上告しました。主な目的は中共の内部へ発正念して、真相を伝えるためでした。当市の政法委員会、婦人連合会、人民代表大会、政治協商会議、裁判所など、このような所へ全て行って来ました。列に並ぶ間を利用して正念を発して、陳情に行った人に真相と『共産党についての九つの論評』を伝え、皆が受け取りました。中に陳情を2年しても無駄で、中共は法律を重んじる政権ではないと話す人もいました。また、弁護士を探す機会を利用して真相資料を配るにはとても便利でした。中へ入りやすく、でも入ったら弁護士探しではなく、ビルの上から下へ資料を配って、とても安全でした。2年経っても孫への情はやはり放下できませんでした。師父が夢を見させてくださり、孫を見つけて家へ連れ帰りましたが、目の前でいなくなった夢を三回も見せてくださいました。これでやっと、孫は元々そこにいるべき人だと分かりました。情の魔を取り除くと、背中から荷物を降ろしたように感じて、体が軽くて何とも言えませんでした。

 去年、孫の居場所が分かって、そこへ衆生を救い済度しに行かなければと悟って、真相資料と神韻公演のDVDを持って行きました。婿は警戒心があるので、孫と二人にはしてくれませんでした。一緒にご飯を食べた後、婿は孫を連れて帰りました。私は心が動じませんでした。夜に旅館に泊まって、従業員に三退させてから、外へ行って住宅街を見つけて持って来た真相資料を全部配りました。翌朝、長距離バスに乗って帰ってくると、同修たちが心配していました。今年の前半にまた孫を見に行きました。「慈悲は能く天地の春を溶かし」(『洪吟二』<法正乾坤>)心が慈悲の状態になると、以前のように婿を気にかけるようになりました。婿も冷たい態度が変わり、孫を私に一晩付き添うようにしてくれました。夜、孫を連れて洋服や文房具、おもちゃを買いに行って、行ったところの店員さんに真相も伝えて、三退をしてもらい、それから神韻DVDもあげました。タクシー代が安いので、運転手に三退させるため、どこへ行くにもタクシーを拾いました。孫が、「おばあちゃんはどうして人に会うたび同じことを話して、DVDもあげるの」と聞きました。私は、「彼らは皆おばあちゃんに感謝してくれているでしょう」と聞くと、孫は「うん」と答えました。そして大法の真相を伝えて、小さいときおばあちゃんと一緒に真相資料を配ったことを思い出させましたが、孫は全部忘れていました。孫はまた、「おばあちゃんは刑務所に入ったことがあるとパパから聞いたよ」と言いました。だんだんと思い出し、孫は自分のお守りがパパに捨てられたことも、師父の写真のことも思い出して、大法との縁を再び結びました。

 法を正すことが終わりに近づくにつれ、私は同修と一緒に毎日三つのことをよく行うと同時に、法を多く勉強して、大法に同化しています。法を実証しに出たばかりの頃の悟性を思い出すと、本当に小学生のようなものでした。師父は「彼は四十九年間にわたる説法の間も、絶えず自分を高めていました。次元を一つ上がる度に振り返って見ると、説いたばかりの法はみな違っていました。さらに上がれば、先に説いた法もまた違ってきました」(『転法輪』)と説かれました。歩んできた修煉の道を振り返ってみると、もし当時、現在の次元のことを悟れば、行なったことは別の結果になるはずで、多くの遺憾が残ることもないでしょう。「心性の高さは功の高さ」(『転法輪』)なのです。

 各種の執着は、次元が上がるたびに新たな試練があり、違う形で関を乗り越えなければならないと悟りました。次元が高いほど私たちへの法の要求も高いのです。旧勢力の妨害のため、関を乗り越えられず亡くなった同修も少なくありません。利のための人もいるし、情のための人もいます。今年3月から、私への妨害も絶えずやって来ました。例えば、子供たちが生活費をくれなかったことで不満になり、電話をかけてなぜくれないのかと口にして、子供たちも私のことが面倒くさいと言いました。その間、子供たちが電話かけてくるたびに彼らを怒り、まったく常人のようでした。旧勢力が他のところで妨害できないから、経済の面から迫害しようとして、法を実証するための経済的出所をなくそうとしていると悟ることができませんでした。

 次のいくつかの件から、法の勉強と同修との交流を通して、自分にある今まで認識できなかった執着を見破りました。ある年配の同修は学校へあまり行ったことがないので、私と一緒に法を勉強したいと言いました。そして、毎週月曜と水曜に家に来て法を勉強することを約束しました。でも月曜日は来ておらず、一人で午前いっぱい勉強しました。水曜日にまた来ませんでした。夜に同修の所へ行き、どうして来なかったのと尋ねると、彼女は月曜日は遅くまで寝ていたから、水曜日は忘れてしまったと言いました。では、明日私が来るのであなたが勉強しなかった分を補いましょうと言いました。そして、翌日の土曜日に彼女の家に行きました。しかし、しばらくノックしても返事がありませんでした。私は不平に思い、数日後、彼女に会ってどうしてドアを開けてくれなかったのと聞いたら、内に向けて探すように言われました。その時、師父が彼女の口を借りて自分に向上してほしいとおっしゃっていると悟りませんでした。家に帰って考えれば考えるほど腹が立ってしまい、もう彼女と法を勉強しない、何か理由をつけて彼女から逃げようと思いました。でも、自分は何か間違っていると思い、真相資料を配ることをいったん止めて、二日ぐらい法を勉強して、じっくりと執着を見つけたいと思いました。しかし、数日前から作った資料はいつもより多いので、やり終わってからにしようと、仕事をする心が出てきました。

 ある日、カバンの中に『共産党についての九つの論評』DVDを入れて、ある会社へ配りに行きました。順調に配ったのですが、正門を出るとき、真相を知らない人にDVDを見られて通告され、警察署まで連行されました。この過程で私は何も応じず、すべてを否定したため、師父は慈悲に保護してくださって、血圧が220まで上がった虚像を演化してくださり、当日のうちに家に帰りました。帰って、内に向けて探し始めました。同修も、この数日はどこへも行かないで、家でよく法を勉強したほうがいいと提案してくれました。娘は警察が再び来るのを心配して、飛行機のチケットを買って長女の家に行くように言い、お姉さんにも頼んで私を見張って外へ行かせないようにしました。捕まったらまた苦労すると心配してくれる、子供の気持ちも理解してあげなければなりません。この数年、子供たちも私のことでびくびくしています。家で毎日本を読んで、各地の説法を読んで、強く発正念をしました。夜、散歩に行くと娘に言って、同修と交流して、自分の経過を話しました。交流から自分の私心が暴露され、恨む心、仕事をする心、自我の心、闘争心、欲深い心など、根本的な執着心が見つかりました。娘の家で二カ月住んでいましたが、ある日、孫が庭にたくさんの優曇華(うどんげ)の花を見つけ、数十本もあって、1本に20、30個の花がありました。娘は心を打たれて、その日から孫と煉功を始めました。そして、私は自分の家に戻ると、自分の家にも優曇華(うどんげ)の花が咲いていて、ガラス、手すり、植木鉢、壁にも咲いていました。師父が励ましてくださっていると悟りました!

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/2/250085.html)     更新日:2011年12月16日
 
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