文/中国の大法弟子 法生
(日本明慧)『転法輪』を読んで、すべてが分かりました。座禅のときに足を組めず、一秒一秒を頑張ることから始まって、師父は夢の中でいくつもの現象を見せてくださいました。法輪椿法をしているとき、黄金色の大きな「真・善・忍の三文字が目の前に現れたことや、白い「徳」が頭上に漂ってきたこと、各次元で師父が法を説いているのが見えたことなど、これらの事を通じて師父は私に煉功の信心を強めてくださっていると悟りました。
法を得た後、法理から道徳が滑落した常人の基準に従って徳を失ってはならないと分かっていました。しかし、その後主人の病気が重くなった時、利益心に駆られ心性を守ることができず、薬代をやはりあの幹部に公費治療として清算してもらいました。事後後悔して、心の中でまた間違ったと師父に謝りました。その夜夢を見ました。師父は立っていて、私は床に正座をしていました。師父は私に下さった気機を取り戻そうとしていました。師父が手を振ると、私はすぐに全身が引きつったように丸く縮んで、その痛みは言葉で形容できません。私は絶えず師父に額をついて謝り、気機を戻さないように願いました。師父は手を下ろして、後ろへ向いて法像に戻りました。師父の法像はテーブルに置いてあるので、目を覚めてからちょうど、師父の足がテーブルに上っているところが見えました。すぐに起きて再び見てみると、師父の法像はちっとも変わっていないようで、もうすでに元に戻っていました。その瞬間に涙が溢れ、おでこはまだ痛んでいました。この件を通して、師父が本当の仏だということがはっきりと分かり、修煉の厳粛性も分かりました。
――本文の作者より
尊敬なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会の場を借りて、私の15年来の修煉の道を師父に報告し、同修たちと交流したいと思います。
法を得て心性を修め、執着を取り除く
1996年のある日、お隣さんが私に一冊の『転法輪』をくれて、新しい気功の本が出たから読んでみてくださいと言いました。夜に一回読み終わって、翌日返しに行きました。当時、私たち2人は他の気功をやっていたため、法輪功をやるかどうかを相談してみました。当時10年の気功ブームの真っただ中、私は気功なら何でも学び、どんな気功講座も受けていたので、師父が説いたように「あれやこれやの気功の修了証書だけは山ほどある」(『転法輪』)人でした。本物か偽物かも選ばずに全てを習いましたが、それらは皆病気治療のもので、一向に功が伸びていないと自覚していたので、その後は何の気功講座にも参加していませんでした。そのため、師父が北京で講座を行なうという情報を数回耳にしたにもかかわらず、私は参加しませんでした。機会を逃してしまい、私はいまだに後悔してもしようがありません。しかし、師父は一人の弟子をも手放さないため、方法を尽くして私が法を得るようにしてくださいました。翌日の夜、散歩の途中に公園を経由すると、ちょうど多くの人が煉功をしているところでした。その音楽は耳を響いて強烈に私を引き付けました。私は一緒にいたお隣さんに見に行こうと誘うとお隣さんは、「あなたが今やっている気功はとてもよくできているから、それを変えない方がいいです」と言いました。家に帰ってから一晩中、その音楽が耳に響きました。私は翌日煉功点へ行くと、一人の学習者が動作を教えてくれました。半分くらい覚えた私は、家に帰ってもう一回やりました。すると夜、夢の中で法輪世界から三つの大きな法輪が飛んできて、それらは白と黄色と黄金色で、私の体に飛んできて非常に壮観でした。それから法輪功を修煉するという信心を固め、ほかの功法をやめました。
その後、協調人は皆に師父の講法ビデオを見せてくれて、10日の学習班を行いました。その時は、毎日の学習班が終わると、帰り道では体が軽くてまるで飛ぶことができるかのように感じました。また、天目のところに小さい法輪が半年くらい回っていました。たくさんの現象を経験し、しばらくして私は十数年来所蔵してきた各種の気功本を燃やして、確実に大法の修煉に入りました。私の一生は気が強く他人の上に立ちがちで、常人から見ると私は、気立てがよく率直で、有能で世話好きな人です。しかし物事は私の願い通りにはならず、人に善いことをしても感謝してもらえず、かえって悪い評判を得てしまい、不平に思って人と争ったりして、結局色々な病気にかかりました。『転法輪』を読んで、すべてが分かりました。私は師父の写真の前で、自分がまったく師父の本の中に書かれている人の通りで、どんな気功でも習って人に病気治療もして、会社で名声と利益を争うこともあったと認めました。
最初、座禅のときに足を組めず、一秒一秒を頑張ることから始まって、師父は夢の中でいくつもの現象を見せてくださいました。法輪椿法をしているとき、黄金色の大きな「真・善・忍の三文字が目の前に現れたことや、白い「徳」が頭上に漂ってきたこと、各次元で師父が法を説いているのが見えたことなど、これらの事を通じて師父は私に煉功の信心を強めてくださっていると悟りました。
もう一つ不思議なことがありました。主人は96年に癌を患いました。当時子供はまだ小さく、自分も仕事をしていなかったため、生活がとても苦しくなりました。主人が入院する時、同じ病室の人は幹部だったので、彼は入院代や保健薬品を全部会社から清算できました。彼は同情心から、私たちの分も清算してくれると言いました。どうせ他人の会社のお金だからと思って、安心してそのとおりにやりました。法を得た後、法理から修煉者として便宜を得て貪欲にしてはならず、常人の滑落した道徳を基準にして徳を失うことをしてはいけないと分かりました。師父は「誰も他人を責めるまでもなく、みんながそれぞれ一役買っているのです。ですから誰でも修煉すれば必ず苦難に遭遇するのです」(『転法輪』)と説かれました。私は波に流されたくないと思いました。しかし、その後主人の病気が重くなった時、利益心に駆られ心性を守ることができず、薬代をやはりあの幹部に公費治療として清算してもらいました。事後後悔して、心の中でまた間違ったと師父に謝りました。その夜夢を見ました。師父は立っていて、私は床に正座をしていました。師父は私に下さった気機を取り戻そうとしていました。師父が手を振ると、私はすぐに全身が引きつったように丸く縮んで、その痛みは言葉で形容できません。私は絶えず師父に額をついて謝り、気機を戻さないように願いました。師父は手を下ろして、後ろへ向いて法像に戻りました。師父の法像はテーブルに置いてあるので、目を覚めてからちょうど、師父の足がテーブルに上っているところが見えました。すぐに起きて再び見てみると、師父の法像はちっとも変わっていないようで、もうすでに元に戻っていました。その瞬間に涙が溢れ、おでこはまだ痛んでいました。この件を通して、師父が本当の仏だということがはっきりと分かり、修煉の厳粛性も分かりました。
それからは自分を真の修煉者と見なし、常に法の基準で自らを要求し、同時に主人が病気の検査するたび旅館を利用するという便利な条件で大法を広め、各地から北京へ出張に来た人や病気の検査に来た人など、私と同じ部屋に泊った人や、接触できる人なら、すべて大法の良さを知ってもらいました。接触時間が少ない人には別れるときに『転法輪』をあげて、時間が長い人は付近の煉功点へ連れていって功を伝え、多くの人に法を得させました。修煉を通して、この一生の追求は全部この本にあると分かったので、師父は夢の中で私に自分の次元を見せてくれて励ましてくださいました。
96年に法を得てから、中央テレビの正月番組を二度と見ていません。正月にはちょうど時間があるから、法を手で写して、二年間で二冊を写しました。法を得たばかりの時、ちょうど主人は入院していたので、私は毎日『転法輪』を三講読んで煉功を二回やり、それらはすべて病室か旅館で行いました。主人は2009年に亡くなりましたが、葬儀を行なう三日間も寝る前に三講を読んで、煉功を全部やりました。お昼には穏やかな心で主人の葬儀を常人の習慣通り順序よく行ないました。師父は法の中ですでに人生の因縁関係を明かしてくださいました。主人は病気を患って、私も十数年を魔につきまとわれ、主人に支払うべき債務を返しました。私は全身全霊、修煉と法の実証に没頭しました。私は毎日学法、煉功し、真相を伝えています。本を読むとき何の観念も持たずに、ひたすら小学生のように読み通しています。「求めずともおのずから得る」(『精進要旨』 「法を学ぶ」)、「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』) 師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』)と教えてくださいましたので、私は毎日法に照らして各種の執着を取り除く過程で、向上がとても速いと感じ、その時期の着実の修煉は、以後の迫害、師に手伝って法を正す時期への堅実な基礎を築きました。私が新たな次元を修めるたび、師父は夢の中でその現象を見せてくださいました。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)