明慧法会|観念を変えて、衆生を救う(二)
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 (明慧日本)このことがあってから数日経って、私は市場で野菜を買っていた時、同修と出会いました。同修から警官がいま私を探していると聞いたので、私はすぐ家に帰りました。庭で知らない人に、おまえは誰だと聞かれました。私は相手にせず、家の中にいる息子に、ドアを開けなさいと急いで大声で言いました。突然、家の前にもう一人が現れ、私に「派出所まで行こう。そうなると私の任務は完了だ」と話しました。私はその人に「あなたがここまで来て、私にその旨を伝えたので任務完了です。あなたの上司に言ってください。私は行きません」と言いました。その人が私の話を聞いてぼんやりしていたとき、息子はすぐドアを開けて、部屋の中に私を引っ張り込み、ドアを閉め、鍵をかけました。一瞬の間に発生したことで、私は師父が私たちの周りにいらっしゃり、保護してくださっていると実感しました。

 このとき、外から「その人を入らせてどうするんだ、覚悟しろ」という声が聞こえました。その後、彼らは激しく家のドアを叩きました。息子は「部屋に入って、私が相手にします」と言ってくれました。息子はドアを隔てて彼らといろいろ話し、繰り返し「私にはお母さん一人しかいません。あなた達に連れて行かせるわけにはいきません」と言いました。私は部屋の中でずっと発正念しました。時間がどのくらい経ったのか、息子は部屋に入って、もう帰ったと言いました。息子はタバコを吸おうと火をつけましたが、手が震えて何回もつけなおしました。修煉していない常人がこのように大きなことを経て、師父の保護がなければできなかったでしょう。

 邪悪な人達が帰ってから、今後はどうするかいろいろ考えました。このとき友達から電話が来ました。同級生たちの集まりが他地区で行われ、そこまで車で行くので、私に参加するか聞いてきました。電話をもらってから、師父がまた私に真相を伝える機会を下さったと分かりました。昔の友達の集まりの場で、私は仲の良い9人に、真相を伝え、三退させました。

 1カ月の間に、三回もこのような危ない場面に出会って、私は大きなショックを受けました。私はすぐ着実に学法をし、自分の漏れを内に向かって探す中で、三つの問題を見つけました。一つ目は「厳正声明」のことに厳粛に対処しませんでした。当初、「厳正声明」を発表するとき、同修Aさんが私の名前を明慧ネットにつなげる他の同修に連絡して登録してもらいました。当初、私は自分で明慧ネットにつなげる同修に声明を伝えた方がいいのではないかとAさんに話したら、Aさんは、私の名前だけでいいと言いました。Aさんがこのように言ったので、私も自分の考えを主張しませんでした。厳正声明は、慈悲なる師父が間違った道を歩んだ弟子たちに改めて修煉する機会を与えられたことで、このように厳粛で大きなことを、私はいい加減に扱いました。二つ目は他人に学び、法を学びませんでした。Aさんは1995年に修煉を始めた古い弟子で、私はずっとAさんに感服し、尊敬していました。基本的にAさんの話に従い、異なる意見があっても法で量らず、人心で常人の情で量りました。三つ目は旧勢力の按配を否定せず、関を徹底的に乗り越えませんでした。師父の保護がなければ、想像するにも耐えられません。

 それ以降、私は学法と発正念の重要性が分かり、修煉の厳粛さに新たな認識がありました。それから、私は法を暗記し始めました。私が一回『転法輪』を暗記したとき、私は法を暗記することのすばらしさを体験しました。一つ一つの文字を心を込めて読んでから、初めて暗記することができます。その過程で、行き詰まるように感じたとき、師父は法理を私に表してくださり、一層の法理が分かったとき、そのすばらしさ、喜びさは言葉には表現できません。数年来、私は毎日『転法輪』を一講読み、その後、時間を作って法を暗記します。今は四回目の暗記をしているところで、本当に師父が次のようにおっしゃったとおりです。「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」(『精進要旨二』「妨害を排除せよ」)

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/2/249564.html)     更新日:2011年12月9日
 
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