明慧法会|私が主導する(三)
■ 印刷版
 

 【明慧日本2011年2月8日】

 三、しっかりとした放映係になる

 今年に入って間もなく、私は他の3人の同僚と同じ事務所に配属されました。彼らと一緒になってから、私は彼らに真相を説明して、同僚のRさんが共産党を脱退し、Wさんは「団、隊」を脱退しました。しかし、Zさんはまだ「三退」を言わないうちに、私と論争を始めました。論争の中で私が気づいたのは、彼は隊に入ったことがなく、しかも団にも党にも入っていないと言っているのですが、彼は邪党にひどく毒害されています。誰かが中共は良くないと言ったら彼はすぐ気分を悪くします。そこで、私は時間を掛けてじっくりやろうと思いました。

 毎日の仕事は半日ぐらいで終わるので、午後からはあまりやることがありません。そこで、私は家で新唐人テレビと明慧の番組をダウンロードして、暇な時にパソコンで彼らに見せました。最初に「解けない謎」の番組を選び、彼らに無神論は間違いだと認識させました。

 彼らが「いいね」と納得したら、私はさらに「中国大陸ニュース解毒」の一部の番組を選びました。彼らに、同じニュースや事件に関する異なる報道を見せる中で真偽を弁別させました。放映中に私はほとんど何も言わず、自分の見解を述べず、ただ彼らに番組を放映してみせるだけです。見終えてから皆は自分の考えを話したりしますが、私は彼らと論争したことは一度もありません。しかし、私は彼らが党文化に惑わされたところを覚えておき、次回、彼らに相応しい番組を見つけて思想のウイルスを一掃しました。

 彼らがますます番組を認めるにつれて、私は彼らに短編の「事務所のストーリー」、「党文化をじっくり話す」等の番組を放映しました。このように、見て喜ぶような番組の中から、彼らはだんだんと真相を受け止め、しかも「プロデュースが本当にうまい、演技が本当にうまい」と、絶えず言っていました。一番ひどく毒害されていたZさんは、「どこで著作を見つけられるの、ちゃんと読みたい。『事務所のストリー』は気に入った、面白いよ。でも十数話しかないなんて、少ないよ」」と、私に言いました。暇な時に私は伝統物語、歴史の事件を用いて、社会や会社内の出来事を分析し、彼らはみんな私の分析が適切で、明晰だと認めてくれました。

 彼らの真相を受け入れる程度と異なる特徴を、私は綿密に選別して、一緒に見る番組と別々に見る番組を分けました。授業を行うように、学習者の能力に応じて教育して、相手に応じて適切な措置を取りました。今、彼ら全員が「明慧焦点」、『共産党について九つの論評』と、神韻公演の全てあるいは一部を見ました。Wさんは自宅で『転法輪』を一回読んだ後、私と一緒に師父の大連での説法ビデオを第三講まで見ました。

 番組をたくさん見て、私の大法弟子としての言動を見るにつれて、彼らはみな明らかに変わりました。

 Zさんは今、中共が何かニュースを出すと、「共産党がまた悪いことをしているよ。彼らを信じるな」と言います。私が数日研修で出張したことがありますが、戻ってきたその日にWさんは急いで私に、「あなたの影響力はとても強い」と言いました。私は訳が分からずぽかんとしていると、Wさんは、「あなたがここにいる時には私はほとんどタバコを思い出さないが、あなたがいない数日間、ポケットにタバコがなかったら人に借りて吸い、我慢しようと思ってもできなかった。なぜだろう?」と言い、Rさんも頷きながら「私も同感です」と言いました。私は笑いながら「あなたたちの感じたことが本当に私と関係あると思いますか」と聞くと、そうだと彼らは答えました。そこで私は「場」の概念を用いて「佛光が普く照らせば、礼儀が圓 明となる」の理を分かりやすく彼らに説明しました。

 次第に、仕事が終わると彼らは私の傍に近づいて、「もう時間だよ。今日は何を見せてくれるの」と催促し、私は笑いながら、「午後の映写室は間もなく放映開始します」と言い、すぐに用意した番組を放映しました。

 四、師父を信じ、法を信じ、妨害を排除する

 2007年から、邪悪は毎年いわゆる「敏感日」にさまざまな方式で私を邪魔しました。いわゆる「面談する」、あるいは「旅行させる」、あるいは陰で見張り、尾行、監視をしました。毎回私は協力しないで、機に乗じてたくさんの人に真相を伝えましたが、私にかなり妨害をもたらしたことは確かです。特に、私が参加したいくつかの法を実証することはひどく邪魔されました。しかも、自分がだんだんと知らないうちにある観念ができてしまいました。時々、無意識にこう思ったりしました。「私はとても有名で、影響が大きいから、きっと邪悪が邪魔する重点であるに違いない」

 今年6月17日に、明慧から「百パーセント師を信じる」という小冊子が発表されました。たくさんの大法弟子がこの面でまだ問題があります。もちろん自分もこの中に入っていると私は認識しました。そこで、私は小冊子をダウンロードして、読みながら自分に照らし合わせ、自分の思想がずっと変化し続けました。2時間で18篇の文章を一気に読み終えたとき、自分の頭がすでにはっきりするようになりました。師と法に対し、確固不動で穏やかになりました。実は、実修とは「師の言われるとおりにすること」であると、本当に分かりました。

 「もし私がこうすれば、ああすれば・・・」とか、「もしかしたら彼らはそうするのではないか」というのは、実は人心で修煉のことを考えており、百パーセント師を信じることができていません。すべては師父が綿密に按排されている中で行われており、偶然なことなどあるわけがありません、師と法を信じれば師父の按排の中にいます。師と法を信じることが足りなければ、旧勢力の按排に入ってしまいます。師父が『各地説法(二)』「2002年ボストン法会での説法」で明確に私たちに教えてくださっています。「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをする時の心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです」これらの法理は私の頭の中で明白になりました。少しもあいまいな点はありません。

 その後も、人の観念がまたしょっちゅう頭の中に現れましたが、それはとても弱くなり、現れると、すぐに揺るぎなくそれを否定しました。現れたとたんにそれを否定し、絶対に良くない観念に生存する機会を与えず、師父の言われることだけを聞くうちに、次第に私の思想はますます清浄になり、ますます揺るぎないものになり、常人の心もますます少なくなりました。中共が90周年の行事を行なったとき、当地区の多くの同修が妨害されましたが、私は静かに、何も起こっていないかのように、するべきことをして、私は私の境地で師父を信じ、法を信じることの美しさを感じ取りました。

 その他に、修煉の向上につれて、私の文章はもとの党文化の要素が強いものから、次第に師父が求められる「素朴で正確かつ清らかであり、人間の情のない文章」(『成熟』)を書くことができるようになり、同修もみな褒めてくれました。私の文章はますます穏やかになり、説得力があるようになりました。実は一人一人、真に修煉する大法弟子は修煉が向上する中で、語りきれないほどの体験と物語があり、いつでもどこでも師尊の広大な佛の恩、大法の博大さと深さを表すものばかりです。

 師父、ありがとうございます。同修のみなさん、ありがとうございます。合掌。

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/9/248908.html)     更新日:2012年2月28日
 
関連文章