【明慧日本2012年2月20日】2006年7月、義理の姉が亡くなり、葬儀のことは私が全てやりました。実は義兄のお子さんたちに任せてもいいのですが、私は気にせず文句もなく全部やりました。義理の姉が亡くなってから、旧正月や祝日、農繁期など、義兄はいつも我が家でご飯を食べていました。他の人に「どうしてここまでしてあげるのか」と聞かれました。私は大法弟子であり、師父の要求することに従います。何処に行っても、私は大法弟子であることを忘れずに、しっかりやって大法を広げます。
長年私がやったことを見た村民たちは、心の中で納得しました。村の他の同修たちも良くやっていたので、村民の皆は法輪功を修練する人はすべて良い人であることが分かり、大法を支持していました。私は迫害が始まった頃のことをまだ覚えていました。その時、村の書記さんはずっと共産党の側に立ち、大法弟子からの真相を聞かずに、迫害ばかりして、警官らを導き、大法弟子の身柄を拘束しました。数年後、彼は死亡しました。逆に、村のもう一人の幹部ですが、とりあえずAさんと呼びましょう。Aさんは大法弟子から真相を聞いてから、理解してくれて、何度も大法弟子を保護しました。北京オリンピックの期間中に、私は警官に連行され、Aさんはこれを知ると村の外まで車を運転して、警官に「連行してはいけない、彼女は良い人だから」と言いましたが、警官は聞きませんでした。その後、Aさんは洗脳班に来て私たちを連れて帰ることを要求してくれました。当時、村では私を含めて三人が洗脳班にいました。Aさんが行ったとき、村のある年配の同修は鉄窓に手錠で掛けられ、拷問されているところでした。Aさんはこれを見て「彼女は高齢者なのに、こんなことをしているのですか? 君たちの家に年配の人はいませんか? もし、自分の家族のお年寄りがこんなことをされたら、君たちはどんな気持ちでしょうか」と言い、警官は何も言えずに、老人を降ろしました。私たちが帰宅できるように、Aさんは三回、洗脳班に来て、私たちを連れて帰りました。Aさんは今、真相がよく分かって、昇進もして、さらに大法弟子を守ってくれて、何度も警官からの妨害を止めました。今では、我が村の環境はゆったりとしていて、同修たちは正々堂々と煉功点に行って学法と煉功をすることができます。
農閑期のとき、同修たちはいくつかのグループに分かれ、二人一組になって、夜に遠い所へ行き、真相の資料を配ったり、貼ったりしていました。私は五十歳で、まだ若い組に属し、もう一人の同修と一緒に自転車で十キロ以上遠くにある村に真相の資料を配り行きました。この村から次の村へ行き、資料を配り終わったら三十キロ以上も遠くにいました。十キロ以内の村は、年配の同修に任せました。出発する前に、皆はいつも発正念をし、道中もずっと発正念をして、あるいは「法輪大法はすばらしい」「真善忍はすばらしい」と心の中で言います。師父に加持されているので、いつも妨害なく順調にできました。往復で六十キロを越えても全然疲れなくて、自転車に乗るときはまるで飛んでいるようでした。農繁期のとき、昼間は仕事をして、夜の時は三キロから五キロぐらいの近い村で資料を配りました。真相資料を配るほかに、私たちは直接会って真相を伝えることもします。皆一人ずつ村の各部分に対して自分の責任を持ちます。私が担当している部分の人は基本的に皆、三退しました。
師父はおっしゃいました(要点)。「大法弟子は全体で向上すべきで、全体で昇華します」ですから、私たちはよく近所の村の同修たちとお互いに学法して、交流します。交流を通して、皆の認識がついてきました。日頃は、各自で三つのことを行いました。毎度、中共の「敏感日」が来ると、三キロ以内の五つの村や、十キロぐらいの八つの村の同修たちは、一人残らず全員出てきました。事前にルートを計画し、自らの村から外へ真相の資料を配ったり、貼ったりして、旗を掛けたりしていました。十キロ以上のところへ歩いて行き、また歩いて帰ってきました。皆の心は一つで、真相を伝えることを協力してやりました。
夫も私の修煉を支持してくれました。迫害が始まった時、一度、私と数人の同修たちは時間を決めて北京に行くつもりでした。それを知った夫は、「あなたは北京に法を実証しに行って、どうやって法を実証するのか。君は『洪吟』さえ暗記できなかった」と言いました。そのため、私は昼も夜も『洪吟』を暗記して、夜寝ずに全部『洪吟』を暗記しました。二昼夜でようやく『洪吟』を暗記できました。彼は私をテストして、私が本当に覚えていると彼はわかりました。そして夫は一緒に行く同修に、どのように行けば安全か、どんなふうに行ったら警察に止められないかなどの意見をあげました。私が北京で不法な労働教養を強いられて帰ってきた後のある夜、私は起きて煉功していました。夫は私が再び迫害されることを心配していました。私は大法を学ぶ前後の体の状態を比較してあげました。彼はそれ以来、私が修煉することについて何も言わないようになりました。時々夫も私を手伝って真相の資料を配ってくれました。長年来、彼は何度も大法の書籍と真相資料を守ってくれました。大法の本は私の命であることを彼は知ってます。ある時期に、彼も真相資料の作成を手伝い、夫が作った資料はよくできて、少しの皺もなく、ちゃんと貼って曲がってもいませんでした。普段、家に来る同修たちは多いのですが、彼はよく面倒を見てくれます。同修たちも「旦那さんの状態は結構良いですね」と言いました。
私には修煉の足りない所もあり、邪悪に家財を没収されたことが二回ありました。一回目は北京で不法な労働教養を強いられた時期でした。もう一回はオリンピックの期間に連行された時であり、邪悪は何度も家に来て私生活を侵害しました。このことに直面して、邪悪に隙に付け入られてしまったと分かりました。もし正念が強ければ、邪悪が妨害することは出来ないでしょう。ある時、邪悪は再び家に来ましたが、私は少しの恐怖心もなく、すぐに発正念して邪悪や邪霊などを取り除き、師父に加持してくれるようにお祈りすると同時に、正念で彼らに、どうしてこんなことをするのかと聞きました。それ以降、邪悪が来ることはなくなりました。
たくさんのことを述べましたが、ただ一言を伝いたいです。師父が要求することに従って、内に向けて探すことを忘れずに、いつでも自分が大法弟子であることを覚えていたら、どんなことがあっても必ず乗り越えられるでしょう。
最後にもう一度師父に感謝いたします。大法に感謝いたします。
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子修煉心得交流会)
(完)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/1/3/130487.html) 更新日:2012年2月21日