私達の修煉の道について
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 明慧日本201239日】人と人の考え方違うため、世界に対する認識も異なります。たとえば医者としては、目に見ているのは患者のことで、異なる患者に対して異なる治療法をとります。修煉者としては、目に見ているのは救われるべき衆生であり、異なる性格の人に対して異なる方法で救うのです。

 個人の理解ですが、私たちの修煉の道もすなわち衆生を救い済度する道であり、この救いの過程もすなわち自分と自分の代表する世界を正す過程でもあるのです。私たちのあらゆる執着心も自分が真相を伝え、衆生を救うことを妨害する関となっています。例えばある人の性格が荒い場合、その人が真相を伝えるときは必ず自分を怒らせる人と出会い、自分が怒りっぽくなったため知恵も制限されてしまい、ひいては相手とけんかにすらなりかねません。そうなるとどのように相手を救うのでしょうか?大法にマイナス的なダメージすらもたらしかねません。私たちは修煉者であり、修煉者として常人の観念を持っていては永遠に高い次元に到達できないのです。

 修煉者なぜ苦難を耐えなければならないのでしょうか? それは、彼が世間の快楽を享受したいと思っているからです。相生相克の理に制約されています。人は快楽を享受すると同時に、必然的に苦痛が伴われます。苦がなければ楽とは何かを知らないように。

 例えば、ある日私はいつよりも早めに仕事を終わらせました。午後になってやることがないのでネット上で動画を見ようとしました。ちょうどドラマを楽しんでいとき、電話が入り、私の担当している仕事が問題になったと知らせられ、直ちに解決に出かけました。この件が終わる前に、新たな問題が起きてしまい、さらに数日前の仕事も問題が起きてしまいました。その結果、本来なら午前中に終わるはずの仕事が、夜遅くまでかかってしまいました。これは応報だと私は分かっています。世間の快楽を享受したいのなら、必ず世間の苦痛が伴われます。さらに例えて言えば、ある人お金が大好きで、お金を手に入れたときは必ず歓喜心が生じ、お金を失うときは必ず機嫌が悪くなります。もしお金を気にしなければ、お金の得失自体はもはや彼の心を動じることはできません。名を求める人がよく言われたら嬉しくりますが、悪く言われると怒り出してしまいます。良い名声のため心が動じてしまいます。このような心構えで大法に同化しようとしても、どのように衆生を救うのでしょうか?

 私たちは法を正す時期の大法弟子です。あなたは自分が三つのことをしっかり行うことでどれほどの衆生が救われるのかを知らないかもしれませんが、私たちには大きな責任があるのです。私たちの修煉は法を正す時期の修煉と呼ばれています。これまでのあらゆる修煉方式と異なっており、師父もこの上なく功が高いので、私たちのために多くの業力を身代わりに負担してくださました。残された少ない業力も私たちが心性を向上させるためにあるのです。私たちが法の要求を満たし、心性が向上すれば、私たちが耐えるものは取るに足りません。しかしながら、もし私たちがしっかりと三つのことを行わないと、常に迫害される危険にあることを認識しなければなりません。

 私たちが迫害されるとき、私たちが迫害の中で何をどうすれば良いか分からないとき、私たちは果たして自分の心と行為が法の要求に達していないことに気づいたのでしょうか? 私たちの修煉の過程は師父が按配されたもので、まさに仕事のように、もし毎日自分の仕事をしっかりしないで、未完成の仕事が日々たまっていくと、果たして直ちにすべての仕事を終わらせることができるのでしょうか? 私たちが毎日学法煉功し、真相を伝え、発正念して積極的に自分の世界を正し、他空間の邪悪生命を取り除いていますが、もし長期にわたって怠惰になり、やるべきことをやらず、取り除くべくものも取り除かなかったならば、邪悪生命が集まり多くなってあなたを迫害しようとした時、それに対抗することができるのでしょうか? 決して不可能とは言いませんが、かなり難しくなると思います。なぜならば普段の準備がなく、法に基づいて向上していないため、法による指導がなくなれば、自分がどのように行うかはわからなくなります。邪悪は必ずあなたが最も弱まっているときに迫害するのです。修煉は遊びではありません、絶えず精進して初めて世俗の妨害から抜け出すことができるのです。

 修煉の過程で嬉しくないことに出会っても他人や環境を恨んではなりません。私たちの修煉の過程はすなわち執着心を取り除く過程でもあり、自分の世界を正す過程でもあるのです。私たちがどのような人なのかによって、必ず私たちの周りにはそのような環境があり、私たちによって正されるのを待っているのです。もし金を愛しているのなら仕事がうまくいきません。闘争心が強いのなら回りに必ず自分の機嫌を悪くする人がいます。名声を好むのなら必ず自分を誹謗中傷する人が出てきます。恐怖心があるのなら必ず自分を妨害する人が出てきます。修煉という船と人間という船の二つの船に乗ってるのなら、旧勢力に修煉の船から落とされるかもしれません。個人の執着を放下して大法に同化しましょう。これは私たちの唯一の選択なのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/3/5/253824.html)     更新日:2012年3月12日
 
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